124.抗えない提案 (あらがえないていあん)
「私の中に、別の存在なんていません……」
ライネルが低い声で言った。
「本当に?」
ヘレニアが短く問い返す。
その視線は相変わらず鋭かった。
「はい」
ライネルは目をそらさず、きっぱりと頷いた。
数秒のあいだ、
息づかいさえ重たく沈むような静寂が流れた。
けれど、やがて。
「そうか。ひとまずは信じよう」
ヘレニアはやわらかく微笑み、再び椅子に腰を下ろした。
「君の仲間たちから聞いた話もあるし、
実際に向き合ってみると、少なくとも悪い人間ではなさそうだからね」
ライネルはそっと安堵の息を吐く。
だがヘレニアはすぐ、意味ありげな言葉を続けた。
「念のために言っておくけど、
君に『魔族の魔力』が流れていることは、
すでに何人かは感知しているかもしれない」
「……!」
「だけど、君の中にいる別の存在については……」
ヘレニアは静かにライネルを見つめながら言った。
「この瞬間に至るまで、それを知っているのは私だけだよ。
だから、そこまで心配しなくていい」
ライネルは重たく息を吐き、うつむいた。
だがその次の瞬間。
「ただし」
ヘレニアが再び口を開く。
「これから先、王国の監視団とは少し……
付き合ってもらうことになる」
「それって……
僕を拘束するってことですか?」
ライネルの眉が自然と寄る。
するとヘレニアは小さく笑って言った。
「『協力関係』と呼んだ方がよくないかい?」
「協力……
ですか?」
「そう」
ヘレニアは両手を軽く組みながら言った。
「君は王国に、自分の力と情報を提供する。
その代わり、私は君をこの世界の『枠の中』に定着させる」
「…………」
「それに君の仲間たちが、より良い冒険者へ成長できるように、
王国としての支援も惜しまないつもりだ」
ヘレニアはわずかに微笑みながら、
やわらかいのに隙のない声音で言い添えた。
「どうだい。悪くない提案だろう?」
強い命令でも、親切な説得でもない。
半ば脅しに近い申し出だった。
「じゃあ……
僕はこれから、どうすればいいんですか?」
ライネルが慎重に尋ねた。
ヘレニアは軽く笑って答える。
「まずは、
王国冒険者学校に正式所属して活動してほしい」
「それだけですか?」
「今日は、ひとまずそれだけだよ」
ヘレニアはティーカップを置きながら言った。
「今後、何か変更があれば、
その都度すぐに伝えるから」
そうして軽く指を鳴らす。
ぱち。
「そうだ。学校生活の助けになる仲間もひとり紹介してあげよう」
扉の方へ視線を向け、声をかける。
「入りなさい」
ほどなくして扉が開き、
神官服をきちんと着こなした少女が、おそるおそる入ってきた。
銀色の短い髪。
少しずり落ちた眼鏡を指先で直してから、
丁寧に頭を下げる。
「神官のルエンナと申します」
「この子はね」
ヘレニアが静かに続けた。
「これからこの学校で、君と顔を合わせることが多くなるはずだ。
どうぞ、仲良くしてやってくれ」
「あ……
はい。よろしくお願いします」
ライネルはぎこちなく頭を下げ、
ルエンナもまた、小さく一礼した。
「こちらへどうぞ。
学校で過ごすお部屋までご案内します」
短く整った口調とともに、
ルエンナは顔を背け、さっさと先に歩き出した。
ライネルはヘレニアへ頭を下げて挨拶し、
その後を追って静かに部屋を出る。
だが。
ルエンナは一度も後ろを振り返らず、
かなり先まで、ずんずんと歩いていってしまう。
「あの、ちょっと待ってください!」
ライネルは慌てて彼女を呼び止めた。
「ちょっと速すぎませんか?」
ルエンナは足を止めて振り向く。
それから眼鏡を鼻の上へ押し上げ、落ち着いた口調で問い返した。
「それが何か?」
「え? いや……
案内してくださるっていうのに、もうあんな先まで行かれたら……」
「冒険者なら、この程度の距離を追いつくくらい
大したことではないのでは?」
「そういう意味じゃないんですけど……」
ライネルが困ったように語尾を濁すと、
ルエンナは視線をそらし、ぶっきらぼうに言った。
「私は忙しいんです。
ヘレニア様に頼まれたから、仕方なくやっているだけですから」
投げ捨てるような、冷たい言葉。
その態度に。
ライネルの胸元から、ひとつの影がぴょこんと飛び出した。
「おい、人間の神官」
カミが羽をぱたぱたさせながら言った。
「初対面で、その態度は冷たすぎないか?」
ルエンナはしばらくカミを見つめると、
そのまますたすたとライネルに近づいてきた。
「ライネルさん。
その……
モンスターはあなたの使い魔ですか?」
「え? いえ、違いますけど」
ライネルは慌てて手を振って否定する。
するとルエンナは、間髪入れずに続けた。
「魔族の魔力に汚染された者は
モンスターを使役するという噂があります」
「何言ってるんですか。魔族なんて……
僕は人間です!」
ライネルはむっとして、隣のカミを指差した。
「それにこの子は、
僕のパートナーです。ドラゴンのカミですよ!」
だが。
ルエンナはその言葉にも無関心な顔のまま向きを変え、
また先に歩き出した。
「はいはい。
そうやって人をうまく騙して、楽しんできたんでしょうね」
「今の、冗談でもそういう言い方は
さすがにひどくないですか?」
ライネルの表情が固くなる。
「神官だっていうのに、
そんなに攻撃的に人に接していいんですか?」
その言葉に。
ルエンナはぴたりと立ち止まり、
再びライネルを振り返った。
「私にはですね」
眼鏡の奥から、冷たい視線が突き刺さる。
「相手の魔力を視るギフトがあるんです。
普通の人には見えないでしょうけど、私には見えるんです」
「あなたの体を流れているのは、
紛れもなく『魔族の魔力』です」
「…………」
ライネルはすぐに言葉を返せず、口を閉ざした。
その時、
横でカミが小さくため息をつきながら、ちらりとライネルを見る。
適当に機嫌を合わせて、やり過ごそう。
そんな無言の合図だった。
「ふう……」
ライネルは仕方なさそうに、小さく息を吐いた。
「最初から僕の話を聞く気なんてないんですね」
するとルエンナは冷たく言った。
「私は、あなたを監視する任務を受けた神官です」
「それから、はっきり言っておきます」
「私はあなたを信用していません。
その『本性』がいつ現れるのか、この目で見張っているつもりです」
そうして、
部屋へ向かうあいだにも、短いやり取りが何度か続いた。
そして、ようやく辿り着いた場所。
「今後は、この部屋を使ってください」
ルエンナは硬い声で言ったあと、
ライネルからひとつ質問を受ける。
「それで……
王都の学校の中では、僕は主に何をすることになるんでしょうか?」
ライネルの問いに、
ルエンナは振り向きもせず、短く答えた。
「その辺の詳しいことは、明日になればわかるでしょう」
そして。
ばん!
勢いよく扉が閉まる。
挨拶もなく去っていくルエンナの背中に、
ライネルとカミは同時に呆れた顔をした。
「カミ。あの人、本当に疲れるタイプっぽいな……」
「だろうだろう。
あんな性格の隣にいたら、この私、溶けて消えるかもしれないぞ」
二人はほとんど同時に頷いた。
するとふと、
ライネルが小さく呟く。
「それにしても……
学校の中では、お前を僕の使い魔ってことにした方がいいのかな」
「……何だって?」
「もしモンスターだって誤解されたら大変だろ。
だから、そういうことにしておいた方が楽かなって」
「この誇り高きドラゴン、
カミ様を人間の使い魔だと紹介するつもりか?」
カミがむっとする。
するとライネルは、平然と返した。
「それが嫌なら、
人間の姿で歩けばいいだろ」
「くっ」
しばし沈黙。
そしてカミが、しぶしぶ折れた。
「わかった。好きにしろ。
その代わり、もう二度と狭いところに隠したりするなよ」
ライネルは小さく笑って頷いた。
「はあ、よかった。
お前が中で動くたびに、どれだけ気を使ったか知らないだろ」
するとカミが、にやりといやらしい笑みを浮かべて顔を寄せてくる。
「何だよ? まさか……
私が中で動くたびに、何か変な感触でも覚えたのか?」
「ち、違うって!
勝手に変な想像するなよ、ほんとに!」
ライネルは顔を赤くしながら、カミを押しのけた。
そうして、
王都冒険者学校に着いた初日の夜。
長かった一日の終わりは
冗談と他愛ない会話の中で
笑いながら締めくくられていった。
◇
早朝。
ライネルの部屋に
こんこんと、軽くはないノックの音が響いた。
とっくに目を覚ましていたライネルは
静かに立ち上がり、ゆっくりと扉へ向かう。
そして。
がちゃり。
扉を開けた途端、
ルエンナが腕を組んだまま、無表情で立っていた。
「もっと早く開けられませんか?」
朝から刺々しい言い方。
やはり気の強い性格らしい。
ルエンナは慣れたように
眼鏡を鼻の上へくいと押し上げながら言った。
「時間がありません。早くついてきてください」
ライネルは疲れた目でため息をつく。
「ほんと……
朝から勢いがすごいな……」
そうして、
肩にカミを乗せたまま
二人は長い廊下を歩いていく。
やがて。
ひとつの教室の前に辿り着いた。
ルエンナが扉を開けると
かちゃりと静かな音とともに扉が押し開かれ、
二人は中へ入った。
授業が始まる前。
幸いにも教室には一人、
授業の準備をしている教師が先に来ていた。
がっしりした体格。
きちんと整えられた髪と、無駄のない印象。
彼は静かにルエンナの方へ顔を向け、微笑んだ。
「おはよう、ルエンナ。
この方が、前に話していたあの人かな?」
「はい。お伝えした通り、
今日からこの学校で過ごす方です」
シリアン。
王都冒険者学校の担当教師のひとりであり、
ルエンナとはかなり親しい間柄のようだった。
ライネルは見知らぬ視線に少し緊張したが、
シリアンは気を張らせない笑みで手を差し出した。
「初めまして。
ここで授業と訓練を担当しているシリアンと申します」
「こんにちは……」
ライネルは少しぎこちない笑みを浮かべながら
シリアンと目を合わせた。
「ライネルさんの噂は、いろいろ聞いています」
「え? 僕のことをですか?」
ライネルが戸惑いながら聞き返すと、
シリアンは静かに頷いた。
「ええ。安心してください。
あなたに関する話を知っているのは、この学校でもごく一部だけです」
「そうなんですね……
それなら、よかったです」
少し緊張がほどけたように、
ライネルは小さく息を吐いて頷いた。
だが、その時。
「では、授業が終わる頃にまた迎えに来ます」
ルエンナが言葉をぶつ切りにするように割って入った。
そして腕時計へちらりと目を落とす。
「え? 僕、子供じゃないんですけど……
そこまでしていただかなくても……」
ライネルは不快そうな色を隠さなかった。
すると。
「私だって嫌なんです!」
ルエンナが眉をひそめて言い返す。
「上からそうしろと言われてるからやってるだけです。
そちらも少しは協力してください」
冷たい口調を残し、
ルエンナはそのまま何も言わず教室を出ていってしまった。
「はあ……」
戸惑った顔のまま口を動かしかけていたライネルは、
静かに首を振った。
そんな彼を見ていたシリアンが、やわらかい声で言う。
「空いている席に座ってください。
それと、これからは同じクラスですから、気楽に名前で呼ばせてもらいますね、ライネル」
「はい……」
ライネルは静かに頷き、
教室の隅の比較的静かな席へ歩いていった。
そうして、少し時間が経つ。
一人、また一人と、教室へ生徒たちが入ってき始めた。
ライネルは何気なく顔を上げて彼らを見たが、
思わず目を細める。
「ん?」
入ってくる生徒たちの顔には
どこか幼く、まだあどけない空気が漂っていた。
みんな……
若すぎないか?
どう見ても
自分より少なくとも五歳は年下に見える。
十一歳。多くても十二歳くらい。
ようやく魔力を学び始めたばかりの年頃だ。
教室には、いつの間にか十人以上の子供たちが席を埋めていた。
ライネルは少し戸惑ったように、小さく呟く。
「同じクラスってことは、
みんな……
実力は相当あるんだろうな」
そう言って、隣にいるカミへ視線を向ける。
「カミ、お前もそう思わないか?
これ……
変なの、僕だけじゃないよな?」
だが。
「…………」
静かだった。
カミから返事はない。
「カミ?」
ライネルは眉をひそめて周囲を見回す。
その時。
「きゃはは!」
教室の一角で、女子生徒たちの笑い声が弾けた。
視線が向いた先。
何人もが囲んでいる、その中心には。
「カ、カミ!?」
ライネルの目が大きく見開かれた。




