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119.躊躇い (ためらい)

部屋にひとり残されたアイラ。

ふかふかのベッドに横になってはみたものの、なかなか眠ることができなかった。


目を閉じても、耳の奥に残っているのは

彼女たちが口にした切実な言葉だった。


『私たちエルフに……本当の自由を。』


その言葉が、胸の深いところに静かに刺さっていた。

まるで……自分が背負うべき宿命のように。


「絶対に……

儀式を成功させなきゃ。」


アイラは小さく呟きながら

布団をぎゅっと握りしめた。


今この感情が何なのか、

はっきりとはわからなかったけれど。


確かなのは、

自分の選択が誰かにとって

『希望』になれるかもしれないということだった。



その頃。


アイラが泊まっている建物の反対側。


静かな部屋の中で

シレンは闇の中、魔道具を取り出していた。


繋がった魔道具の向こうから

聞き慣れた声が流れてくる。


「シレン、そっちはどうなってる?」


フェイオだった。


シレンは一度息を整え、

低い声で答える。


「計画通りだ。

奴らはアイラを連れて行った。」


「だがアイラは……

どうにも経験が足りない。

どこまでこちらに協力してくれるかは疑わしい。」


「俺もそう思う。

表向きは従っているように見えても、

温室で育った子供は、時に感情に振り回されるものだ。」


「そうだ。そこが一番の問題だ。

アイラからも情報は取るが……」


フェイオの言葉が一度途切れ、

すぐにまた、きっぱりとした口調で続いた。


「どんな情報であれ、

最優先はお前の判断だ。シレン。」


シレンは黙って魔道具を見つめたあと、

短く答えた。


「……肝に銘じておく。」



「アイムリプ様、おはようございます。」


やわらかく、聞き慣れた声。

都市長エディルアムールが軽く手を振りながら、

儀式の練習に集中していたアイラへ歩み寄ってくる。


「あっ、都市長様。おはようございます。」


アイラはあわてて頭を下げた。

そばで手伝っていた女性エルフたちも

一斉に腰を折って挨拶する。


「儀式の準備は順調ですか?」


都市長が親しげな口調で尋ねると、

アイラは頭をかきながら気まずそうに笑った。


「まだちょっと足りない気もしますけど……

みんなが横で一生懸命手伝ってくれてるので、

たぶん大丈夫だと思います。」


「それなら安心ですね。」


都市長は少しだけ視線を動かした。

そしてアイラの後ろに立っていた女性エルフたちへ

静かに目配せする。


その短い合図ひとつで

エルフたちは何も言わず、静かに部屋を出ていった。


「……?」


急な変化に

アイラは目をきょろきょろさせながら様子をうかがった。


すると都市長が口を開く。


「そんなに緊張なさらなくても大丈夫ですよ、アイムリプ様。」


声は相変わらず落ち着いていて、穏やかだった。


「あの方々を外へ出したのは、

アイムリプ様と静かにお話ししたかったからです。」


彼はゆっくりと部屋の隅へ向かう。

整えられた椅子に腰を下ろしながら、手を差し出した。


「少し座りましょう。

長くはかかりません。」


「あ……はい。」


何となく怪しい気配。

それでもアイラは、その妙な空気を無理に押さえ込みながら

都市長の申し出を静かに受け入れた。


「アイムリプ様は

我々エルフのことをどう思っておられますか?」


唐突に投げかけられた質問。

アイラは一瞬きょとんとしてから、


「あ……エルフ……

エルフ、ですか……」


頭をかきながら、困ったように笑う。


「何というか……

うまくいくといいなって感じ、ですかね……」


深く考えるより先に

口が勝手に動いてしまった答えだった。


そんなアイラの様子に

都市長エディルアムールは小さく笑った。


「ははは、それはもちろんですとも。」


そう言ってから、いつの間にか真面目な口調に変わる。


「私はね。

我らエルフを、人間種の中で最も強い種族にするつもりなのです。」


その声は力強く、

手振りには確信が宿っていた。


「そしてその上で

世界は新たな秩序を得ることになるでしょう。

誰もが願う理想郷が、

エルフの手によって築かれるのです。」


都市長の強い口調と、

高ぶった身振り。


その姿を見ていたアイラが

おそるおそる聞き返す。


「『最強』……

ということなんですね。」


「その通りです。」


エディルアムールは頷きながら続けた。


「我らエルフは、何百年もの間

王国の中であらゆる抑圧と不利益を受け入れて生きるしかありませんでした。」


「勢力が小さいという理由で、

技術の発展が遅いという理由で、

我々はいつも後ろへ追いやられてきたのです。」


その声には

少しずつ怒りが滲み始めていた。


「そのせいで埋もれていった真実……

涙なくしては耐えられぬ出来事が、

数え切れないほど我らエルフを襲ってきました。」


都市長はふと、しばらく目を閉じた。

そして低く、静かに言う。


「私の両親も……

その被害者の一人でした。」


短い沈黙。


やがて彼の表情は

悲しみから重々しい真剣さへと変わっていく。


「だからこそ、

我々は人間たちと分かたれなければならないのです。」


口調はいっそう確かなものになった。


「まずはそこから始めるつもりです。」


彼は落ち着いたまま言葉を継いだ。


「我々エルフは、人間という存在を

心から信頼できる相手とは見ていません。」


「ビジネス上の関係であれば

問題はないでしょうが……」


ふっと、含みのある笑みが口元に浮かぶ。


「ああ、もちろん。

血の混ざりが薄い『ハーフエルフ』は

その限りではありませんが。」


その言葉に

アイラは黙って都市長を見つめた。


ぼんやりと。

複雑な感情が横切っていく目だった。


しばらくして、

都市長が静かに立ち上がる。


そして、まだ座ったままのアイラのそばへ歩み寄り、

両手で彼女の肩をそっと押さえた。


「アイムリプ様。」


その声には、さっきまでより

はっきりとした重みがあった。


「たとえ誰が横で何を言おうと、

儀式を中断してはなりません。」


「誰が、

何を言おうとも。」


「どうか。

必ず儀式を成功させてください。」


都市長は一度息を整えると、

さらに声を落として付け加えた。


「……たとえ

アイムリプ様の前にご両親が現れたとしても。」


「あるいは

長く会っていない友が現れたとしても。」


「決して

中断してはなりません。」


その目は鋭かった。

どこか不吉だった。


「……はい。わかりました。

絶対に成功させてみせます。」


アイラは小さく頷きながら答えた。


だが。


都市長が何度も強調する言い方。

大げさな手振りと口調。


それらすべてが、

頼もしいというよりは。


不気味だった。


都市長エディルアムールが部屋を出たあと、

室内には静かな沈黙だけが残った。


アイラはしばらくそのまま固まっていたが、

やがてそっと息を吐く。


「……ふぅ。」


そして、小さく呟いた。


「少しでも失敗したら……

食べられちゃいそう……」


か細い声とともに、

彼女は力が抜けたように、椅子へもたれかかるように座り込んだ。


張り詰めていた緊張が抜けた場所へ

妙な疲れが押し寄せてくる。


その時。


ぶるるる。

ぶるるる。


「……?」


低く響く振動音。

顔を上げたアイラが耳を澄ませる。


音は部屋の片隅、

自分の持ち物をまとめていた小さな鞄の方から聞こえていた。


「何の音……?」


ゆっくり歩いて鞄の前で立ち止まるアイラ。


音の正体を確かめた瞬間、

その顔がわずかに歪んだ。


「……こんな時に限って……」


片手を上げ、小さな魔道具へ

そっと魔力を流し込む。


かちり。

魔道具が反応し、かすかな光が揺れた。


「はい、アイラです。」


するとすぐ、

荒っぽい声が響いてきた。


「おい! お前、今何をしてるんだ?!」


聞き慣れてはいる。

けれど今は嬉しくない声。

フェイオだった。


「え……? 私ですか?

もちろん……

儀式の準備をしてましたけど……」


語尾を濁しながら答えるアイラ。


するとフェイオの声が

さらに鋭く飛んできた。


「連絡だ、連絡!

あそこへ入ったら

情報を流す約束だっただろう!」


「そ、それは……」


魔道具の向こうから浴びせられる言葉に、

アイラは声を細くする。


「……あまりに慌ただしくて、忘れてました。」


少しの沈黙。


やがて、低く硬い声が返ってきた。


「アイラ。

お前の任務は何だ?」


アイラは反射的にうつむいた。


「……儀式を、適当な失敗に見せかけて

失敗させること。」


「それから

再挑戦が何度も繰り返されるように、

時間をできるだけ引き延ばして、隙を作ること。」


「そうだ。」


フェイオの声が短く切れる。


「任務は理解しているようだな。」


「それ以外に

何か変わった情報は掴めたか?」


アイラはしばらく目を閉じた。


昨夜、女性エルフたちと交わした雑談。

そして、たった今の都市長との会話。


ひとつずつ思い返してみたけれど。


『……役に立ちそうなこと、

そんなになかった気がする……』


「……いえ。

特別なのは何もないです。

でも、しいて言うなら……」


「なければいい。」


ぶつり。


フェイオの声は

アイラの言葉が終わる前に、冷たく切れた。


「……はぁ。」


その瞬間、アイラの額に青筋が浮いた。


「ほんと、このエルフの耳つかんで

引っこ抜いてやろうかな……!」


ぶるぶる。

怒りがこみ上げる。


頭に上る熱。

唇を噛みしめながら、アイラは振動の止まった魔道具を睨みつけた。


「ほんと……

誰が見ても私が部下みたいじゃん……」


むくれたまま、

アイラは魔道具を乱暴に鞄へ放り込む。


「はぁ……」


長いため息がゆっくりとこぼれた。


アイラは黙って床を見つめたあと、

両手で頭を抱え込む。


「……どうしよう。」


「誰の言うことが正しいの……?」


都市長?

フェイオ?

エルフたち?

予言?


「儀式って……

成功させるべきなの?

それとも止めるべきなの……?」


どんどん絡まっていく頭の中。

もつれた思考の糸が、どうしてもほどけない。


「……うわあああ!!」


頭を抱えたまま、

小さな悲鳴が飛び出した。


「ほんとに……

魔族なんて関係ないんじゃないの?」


「ただ

エルフ同士の権力争い、とか……?」


疑いと不安、混乱。


その全部が一度に押し寄せてきて

アイラの胸を重く締めつけた。


それでも。


時間は

彼女の迷いなんて待ってくれなかった。


そして。

儀式が始まる日がやって来た。



空が暮れ、

銀色の月が昇る時間。


アイラは静かに

世界樹へ向かって歩いていた。


その隣では

案内役として同行するラティオメスティアが歩調を合わせている。


「あの……」


アイラは空を見上げながら尋ねた。

丸く浮かぶ月を見つめたまま。


「儀式って……

夜にやるんですか?」


「はい。」


ラティオは静かに笑って答えた。


「世界樹は

月の光で開花するのです。」


「ちょうど今日は満月ですし、

とてもふさわしい日ですよ。」


少しずつ、

世界樹の気配が近づいてくる。


そして、その荘厳な木がそびえる場所に辿り着いた時、

すでに先に集まっていた者たちの姿が

順に目に入ってきた。


前方に立っているのは

エルフ大都市の長、都市長エディルアムール。


その横には補佐官アカラディメダラ。


そして、いつもそばに仕えているようなラティオメスティアも

そこに立っていた。


そのほかにも

都市の中枢を担う高位のエルフたちが

何人も集まっている。


その中にあって、

空気の違う二人。


エルード部族の代表、フェイオ。

そしてその隣で

自然に視線を逸らしているふりをしながらも

鋭い眼差しを向けている男。


双短剣使いの戦士、ルイドアン。


そして。


本来はアイラの護衛でありながら

意図的にずっと引き離されてきた人物。


ウォープリースト、シレン。


彼は今、儀式の場の端のどこかで

静かに周囲を見渡していた。


その時、アイラのそばで。


儀式に参加する女性エルフの一人が

静かに彼女を見つめて、小さく頷く。


その短い合図に、

アイラを含めた三人のエルフが

同時に動き始めた。


世界樹の儀式。

ついに、始まる。


ほんの短い時間だったが、

何十回、いや何百回と合わせてきた動き。


三人の所作は

まるでひとつの身体のように、整っていてなめらかだった。


つま先の位置、指先の曲線、

呼吸の深さまで……完璧に揃っている。


その瞬間。


世界樹の上に

満月が明るく姿を現した。


月の光が世界へ

雨のように降り注いでいく。


『緊張しないで、アイラ……

何度も、何度も練習したでしょ。』


深呼吸。


だが、その胸の中では

今もなお二つの声がぶつかっていた。


失敗させろ。

成功させろ。


フェイオの指示通りに

儀式をわざと遅らせて時間を稼ぐべきなのか。


それとも

都市長の期待通りに

完璧な儀式を成功させるべきなのか。


混乱の中で、最高潮へ向かっていく儀式。


少し離れた位置。

落ち着いて儀式を見守っているフェイオたち。


ルイドアンが低い声で尋ねる。


「おい、フェイオ。

まさかアイラ……

本気で儀式を成功させる気じゃないだろうな?」


「馬鹿でない限り

そんなことはないと思うが……」


いったん言葉を切ったルイドアンは

静かに顔を向けた。


「でも……

あの子に、

この儀式の本当の結末がどうなるかは伝えたのか?」


フェイオは何も言わず

首を横に振った。


「……冗談だろ。」


ルイドアンの顔から血の気が引いていく。


「もし……

あいつの口車に乗せられてたとしたら……」


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