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118.儀式の前日 (ぎしきのぜんじつ)

「世界樹。

この世界を隔てる壁の中心であり、

境界の鍵でもある。」


魔族たちは、その世界樹を汚染しようとしていた。

人間界と魔界の壁を崩し、

この世界そのものを手中に収めようとする野望。


エディルアムールは

エルフの独立という大義のために、

その汚染の儀式を魔界へ提供し続けてきた。


だが。


「ことごとく失敗だった。」


ある時は儀式の媒介が弱く、

またある時は精霊の拒絶があまりに強すぎた。


中には儀式に耐えきれず、

その場で消えてしまったエルフさえいた。


「……世界樹の汚染には、必ず

ハーフエルフが必要だ。」


テラニコの声が

漆黒の闇の中で響いた。


「これはフラミエラ様の神託だ。」


その言葉に

都市長エディルアムールは

冷たい汗を何度も拭いながら、深く頭を下げた。


「ですが……今この都市には、

ハーフエルフは存在しません。」


「……」


「それに人間の都市でも、その数はごくわずかです。

ハーフエルフというのは生まれつき……

逃亡者か、身を隠して生きる者がほとんどですので……

接触はもちろん、見つけ出すことすらほとんど不可能に近いのです。」


その言葉が終わると、

テラニコの気配が闇の中でゆっくりと薄れていく。


「ならば契約もここまでだ。」


「お、お待ちください!!」


エディルアムールが突然叫んだ。

その目の中に、ひと筋の光のような考えが走る。


「いい考えがあります……!」


「……」


「正確にどこにいるかはわかりませんが、

かつてこの都市の記録の中に

あるハーフエルフが残した痕跡があるのです。」


彼は額の汗を拭いながら、慎重に口を開いた。


「その記録には『予言書』という名がついており、

エルフたちの間でも一時、ひそかに回覧されていたことがありました。」


「……予言書?」


テラニコの赤い目が

闇の中で再び開かれる。


「はい。内容はかなり曖昧で、図式的ではありますが。


『ハーフエルフ』が世界を救う存在であり、

精霊たちと深く交感し、門を開く者である――

そうした一節が記されていました。」


その瞬間、エディルアムールの顔に

不吉な笑みがよぎる。


「それを少しだけ……

ほんの少し、意図的に歪めれば……」


「……」


「ハーフエルフたち自らが

予言書に従ってこの都市を訪れるよう仕向けることができます。」


「これは『名誉』『運命』『予言』――

ハーフエルフがあれほど渇望する、自分が存在する理由を与える餌になるはずです。」


「……面白い。」


「正確に誰を呼び寄せられるかはわかりません。

ですが、この都市へ足を向けさえさせれば

その先は我々でどうにでもできます。」


「……」


「どうか、今回だけもう一度機会をください。

必ず……必ずハーフエルフを手に入れてみせます。」


しばし沈黙していた闇の中で。


テラニコはゆっくりと再び姿を現し、言った。


「よかろう。

失敗は許さぬ。」


「はい……必ず成功させてみせます。」


そうして作り上げられた、

大賢者ムリムリプの予言書伝説。


真実が塗り重ねられ、

意図がねじ曲げられ、

いつしか消えた者の記録は

偽りの信仰と幻の餌へと変えられていった。


そうして。


彼らは赤い宝石、

汚染された世界樹、

そしてハーフエルフを利用し、

魔界と人間界の亀裂を開く計画を完成させていった。


だが、その計画の完成には

最も重要な『鍵』――

ハーフエルフという存在を見つけ出すことが

何よりも難しい課題として残されていた。


ほとんどの混血は

三代も経つ頃には人間の特性が強くなりすぎるか、

あるいは精霊との繋がりが完全に絶たれてしまう場合が多かったからだ。


そうして時は流れ。


今からおよそ二年前。


エルード部族の中でひそかに動いていた一人の間者が

魔族に関わる怪しい取引を察知する。


そして。

都市長エディルアムールが五十年前、

魔族から受け取った赤い宝石が盗まれる事件が起きた。


さらに。

魔族たちは盗まれたその宝石の行方を追ううちに、

世界樹の向こう側にある小さなエルフの村へ辿り着く。


そこは静かで辺鄙な、

外からの干渉とも切り離された小さな村だった。


その村を捜索する最中、

エルフたちと魔族の偵察兵の間で戦闘が起きる。


戦いの末、

魔族の偵察兵は死亡。


だが、その村のひとりの少女が

偶然にも戦闘の後で赤い宝石を拾ってしまう。


その少女の名は

リエナ。


赤い石を手に握りしめ、

ウンナとともに山の中をさまよっていた、その時。


後から到着した魔族の後続隊が

彼女たちを追い始めた、その瞬間。


奇妙なことが起きた。


「ようやく見つけた……」


だが、その次の瞬間。

二人はまるで空気のように消えた。


まるで次元の門にでも呑み込まれたように、

見えない何かへ一瞬で吸い込まれたかのように。


あの日以来、

その村は完全な廃墟となり、

宝石の行方も、少女たちの痕跡も

誰ひとり見つけることはできなかった。


だが。


それからほどなくして、

失われたはずの赤い宝石は再び魔族の手に戻ることになる。


しかも、その方法は

誰ひとり予想できなかったものだった。


それは。

ある人間が自ら宝石を差し出し、

魔族の力を乞うたという選択だった。


「この宝石を代価に、

魔族の権能を私に与えろ。」


「人間界などどうでもいい。

力だけが、私を生かす。」


そうして。


魔族が求めていた鍵の欠片が

静かに、だが確かに

本来あるべき場所へと戻り始めた。


ハーフエルフ、赤い宝石、世界樹。


すべてがひとつずつ、

まるで誰かの手によって整えられたパズルのように

その場所へ向かって動いていた。


そして今。


そのすべての計画が、ついに完成する瞬間が

目の前まで迫っていた。



夜が更けるほどに、

アイラの部屋はますます賑やかになっていった。


「ほほほ、本当ですか?」


「それでアイムリプ様は、その方のことを好きになられたのですか?」


「い、いえ! 何を言ってるんですか!」


突然の問いに、アイラは顔を赤くしながら両手をぶんぶん振った。

慌てたように何度も手を振って否定する。


「どこまでも仲間として、ですよ!

それに、私と一緒にいた男の仲間は二人いたんですから!」


照れの混じった顔の中にも

静かに恋しさの気配が広がっていく。


すると一人のエルフ女性が、いたずらっぽい笑みを浮かべた。


「でもアイムリプ様って、

その方のお話をしている時だけ、ちょっと雰囲気が違いますよ?」


「違うってば!

ほんとにひどいです、私をからかうのが楽しくなってきてるでしょう!?」


「ごめんなさい、ごめんなさい。」


部屋いっぱいに広がる笑い声。

最初は精霊の儀式について話していたはずなのに、

いつの間にか自然と恋の話へ流れていた。


そして。


「それにしても、仲間の方々と離れて……

とても名残惜しいでしょうね。」


一人のエルフ女性が、そっと尋ねる。


「もちろん、こちらへ来てくださって

エルフの未来のために力を貸してくださることは、本当に嬉しいのですが。」


「アイムリプ様、改めて……ありがとうございます。」


隣に座るエルフの女性が静かに声をかけた。

少しだけ真剣な表情だった。


「……私はただ、

私にできることをしているだけです。」


アイラはやわらかく微笑み、頷いた。


そして目を少し伏せながら、続ける。


「この儀式が終わったら……

また仲間たちを探しに行くつもりです。」


短い沈黙。

その瞳に恋しさがにじむ。


「もちろん……一人は、

行方がわからないままなんですけど。」


それを聞いたエルフの女性は

少し首をかしげ、慎重に尋ねた。


「その、今おっしゃっていた『ライネル』という方のことですか?」


「は、はい。」


アイラが小さく答える。


「実は……私が王都を離れることになったのも

結局はライネルを探さなきゃって思ったからなんです。」


その瞬間、アイラの表情に影が差した。

見慣れた顔、あたたかな笑み。

その記憶が胸を静かに揺らす。


そんな彼女を見つめていたエルフの女性が

やわらかく微笑んで言った。


「その気持ち……私にもよくわかります。」


「本当ですか? どうして? どうやって!?」


アイラはぱっと目を丸くし、

ぐっと身を乗り出す。


「あはは、少し落ち着いてください!

そんなに興奮しなくても。」


「いや、そうじゃなくて

早く教えてください!」


アイラはエルフ女性の服の裾を

両手でぎゅっと掴みながらせがんだ。


真面目な話の中でも

彼女らしい無垢さと活気が、部屋の中を明るくしていた。


「私は……冒険者ではありませんでしたけれど、

三十年ほど人間の街を回っていたことがあるんです。」


隣に座るエルフの言葉に

アイラは目を丸くして驚きの声を上げた。


「三十年も!? もしかして……お歳が……?」


するとエルフの女性は優雅に笑い、

手の甲でそっと口元を隠す。


「ふふ、私は花の盛りの青春真っ盛り……

百八十歳です。」


「えっ?! 何ですって?!」


驚きを隠せず声を上げるアイラ。


「どうなさいました?」


エルフはいたずらっぽく目を細めて尋ねた。


「アイムリプ様もハーフエルフでしょう?

人間基準で考えても、見た目よりは少し年上なんじゃないかと思ってましたけど?」


「な、何言ってるんですか! 私はまだ……十六歳です!」


その言葉にエルフ女性の目が大きくなる。


「え……本当に!?

じゃあ……本当に子供じゃないですか!」


「子供って何ですか!」


アイラは頬をふくらませ、拗ねたように叫んだ。


「これでもちゃんとC級冒険者なんですよ!

王都の学校の試験だって通ったんですから!」


唇を尖らせて言うその姿に、

エルフの女性はこらえきれず、また笑ってしまった。


「ふふ……ごめんなさい、アイムリプ様。

そんなふうに言われると、本当に誇らしげな子供みたいで。」


「ほんとにひどいです……」


拗ねたふりをして顔を背けるアイラだったが、

口元はいつの間にか少し上がっていた。


「それでも、アイムリプ様が来てくださって……

私は本当に嬉しいんです。」


隣に座るエルフの女性が、慎重に微笑みながら

アイラの両手を自分の手でそっと包み込んだ。


その手はあたたかかった。

そしてそのぬくもりは、言葉では言い表せない何かを伝えていた。


目を静かに閉じたエルフ女性の顔を見ながら、

アイラは胸の奥がじんと震えるような感覚を覚えた。


幼い頃、自分を抱きしめて笑ってくれた母の顔がよぎる。

エルフという存在が、ただ見知らぬ種族なのではなく、

自分の半分であり、自分の根なのだと改めて感じる瞬間だった。


「……あの。」


おそるおそる、アイラは口を開いた。


「都市長様って、どんな方なんですか?」


「都市長様ですか?」


エルフ女性は少し首をかしげたあと、

やがて思い返すように口を開く。


「本当に、アイムリプ様が仰る通りの方ですよ。

礼儀正しくて、物腰も柔らかくて、

そして何より、私たちエルフのことだけを深く考えてくださる方です。」


「……そうなんですね。」


「時々、少しだけ……

お辛そうに見えることもありますけど。」


「お辛そうに?」


「ええ。夜遅くまで眠れず、

街のあちこちの問題を案じながら

一人で重荷を背負っていらっしゃる姿を……見たことがあります。」


「……そうなんですか……」


「アイムリプ様はまだご存じないかもしれませんけど、

最近、エルフと人間のあいだの対立が……とても深刻になっているんです。」


「……何があったんですか?」


「おそらく、奴隷の問題のせいです。」


「奴隷……ですか?」


思いがけない言葉に、アイラは驚いた目で彼女を見る。


「私……エルフの奴隷なんて一度も見たことありません。

王都でも、冒険者ギルドでも……」


「表向きは、そうです。表では隠しますから。でも……」


エルフ女性の口調が重くなる。

唇をきつく噛み、震える息を飲み込んだ。


「エルフたちは人間の権力者たちの中で

ただの飾り物のように……あるいは慰み物のように……

静かに、本当に静かに苦しんでいるはずです。」


そして。


彼女の頬を伝って

透明な涙が静かにこぼれ落ちた。


アイラはそっと近寄り、

彼女の目元にたまった涙を指先でぬぐってやった。


「……ごめんなさい、アイムリプ様。

私……みっともないところをお見せしてしまいましたね。」


「そんなことないです。全然。」


アイラは首を振りながら、やさしく微笑んだ。


「それより……もっと詳しく話してください。

王国では……何が起きているんですか?」


しばし沈黙。

だが、やがて彼女は覚悟を決めたように続けた。


「都市長様は、私たちエルフだけの国を作ろうとしておられるのです。

エルフだけのための、エルフの自由と平穏のための、本当の国を。」


「それが……世界樹の儀式と何か関係があるんですか?」


アイラは不思議そうな顔で問い返した。


「王国と比べれば、

私たちエルフの力はまだ足りません。」


「ですが、世界樹の儀式によって

私たちエルフが本来の力を取り戻せるのなら……」


彼女の眼差しが強くなる。

長いあいだ胸の奥に押し込めてきた願いが

静かに表へ浮かび上がってくるようだった。


「王国に、人間たちに言えるはずです。」


「私たちは、もう人間の圧力に屈しない。」

「私たちは、自分たちの足で進んでいく。」


それまで静かに笑っていただけだったエルフたちも皆、

ひとり残らず高ぶった表情で頷いていた。


「アイムリプ様。」


彼女は再び両手をアイラの手に重ねた。


「どうか、儀式を必ず成功させてください。」


「私たちエルフに……真の力と自由を、

その光をもたらしてくださいますよう……

心からお願いいたします。」


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