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112.300年前の幻影 (さんびゃくねんまえのげんえい)

「三百年前、魔界の侵攻が始まった頃……」


ラティオメスティアの落ち着いた声が、

魔法陣の中の幻影とともに響いた。


「その時代、エルフたちは滅亡寸前の危機に追い込まれていました。

あの圧倒的な『理不尽な力』の前では……

種族の誇りも、知恵も、何の役にも立たなかったのです。」


幻影が暗い森へと切り替わる。

崩れ落ちた古木。

燃え広がる灰色の炎。

絶望に沈むエルフの兵たち。


その中に。


光のように現れた、ひとりの女性の姿。


白いローブをなびかせるエルフ。

青い精霊たちが、その周囲を包み込んでいた。


「エルフ族を救うために現れた者がいました。

その名は『ナレイラ・エルード』。

当代最高、そして歴代最強の精霊使いでした。」


幻影の中のナレイラは、精霊と語らいながら森を蘇らせていく。

空から降り注ぐ魔族の炎さえも防ぎ切る。


「彼女は『勇者パーティー』の一員として、

最前線で誰よりも先頭に立って戦いました。」


名を明かされた三人の顔が、光の中に浮かび上がる。


大精霊使いナレイラ・エルード。

勇者ハークフレイオン。

聖女クレセリア。


そして、名もなく顔だけがぼんやりと描かれた三人の仲間。

最後の七人目の席には、影だけが描かれていた。


「彼らは全部で七人。

その中で……彼女が愛した『あの人』……

名は伝わっていませんが、

彼はいつも静かに彼女のそばを守っていた人物でした。」


穏やかな背景。

ナレイラとひとりの男が、木の下で言葉を交わしている姿。


精霊たちが二人の周りで歌い、

ナレイラはその手をぎゅっと握って、小さく微笑む。


「ですが……」


ラティオメスティアの声が、わずかに沈んだ。


「魔界の力を打ち砕くための道の先で、

『犠牲』という代償が求められた時……

その男の名が、名簿に記されたのです。」


「……え?」


小さく、息を呑むような声が漏れた。

アイラは映像を見つめたまま、唇をきゅっと結ぶ。


幻影の中のナレイラは、何かを拒むように激しく首を振っていた。

その隣には、目を閉じ、うつむいた『あの人』が立っていた。


「ナレイラは、愛する人を失う運命を受け入れられませんでした。

けれど……ハークフレイオンは彼女とは違いました。」


次の場面。

激しく言い争うナレイラとハークフレイオン。


「二人の対立は深まり、

やがて……勇者パーティーの亀裂を生んだのです。」


そして。


魔王城の入り口。

六人が集っているが、そこにナレイラの姿はない。


「ついに、魔王との最終決戦を目前にして。

大精霊使いナレイラはパーティーを離脱しました。

それは、自ら感情を選んだ代償であり……

誰ひとり彼女を責めはしませんでしたが、

それもまた……終わりのない悲しみの中へ消えていったのです。」


ラティオメスティアの声が、再び静かに響く。


「そして時が流れた後、

勇者パーティーはついに魔王を討ち果たしました。」


幻影の光景は、黒い空を切り裂きながら光を放つ五人の姿へと変わる。

その中に、ひとつだけ空いた席。


「その勝利は、

ひとりの男の『犠牲』の上に成り立ったものだったのです。」


光が次第に薄れていき、

その後ろに新たな名が浮かび上がる。


『ムリムリプ』


「ナレイラ様と、犠牲となったあの男の子供。

それこそが、のちに『大賢者』と呼ばれることになる……

ムリムリプ様です。」


場面が変わり、

静かな机の前で記録を書き続ける、ひとりの老いたエルフの背中が映し出される。

大賢者ムリムリプ。


「時が流れ、

その方が残した回顧録には、このような記述がありました。」


ラティオメスティアが指先を上げ、ひとつの文を浮かび上がらせる。


『母は、

自らが愛した男を

自分の手で犠牲にし、

魔界へ通じる道を開いたのだと信じていた。』


「ですが……」


ラティオメスティアの指先が、再びかすかに光を帯びた。


遺物と文書、

神官たちの解釈が次々と重なり、『後世に明らかになった事実』が浮かび上がる。


「後世になって判明したところによれば、

それはまったく別の話でした。」


「犠牲となったあの男。

名すら記されなかった彼は、

『神の欠片』を宿した存在であり……

自らの運命を知っていたのです。」


幻影の中の男が、かすかな笑みを浮かべる。

まるで、すべてを受け入れていたかのような眼差し。


「彼は、自らその道を選んだのでした。

誰かの命令でも、強制でもなく……

彼自身の意志によって。」


だが。


「大精霊使いナレイラ様は、

その真実を受け入れようとはなさいませんでした。」


ナレイラの最後の姿が映し出される。


片手に精霊石を握ったまま、

病んだ体で窓の外を見つめる彼女。


その目には、かすかな火種のように

恋しさと悔いが残っていた。


「認めたくなかったのでしょう。

愛した人を失い、

彼が自らの選択で去っていったという真実を……」


「ハークフレイオン様の決断。

そして……その岐路で

自分が何を守り、何を失ったのかを。」


ラティオメスティアはさらに声を落とした。


「彼女は毎日のように天秤にかけていたのでしょう。

そして……静かに、少しずつ……

心は崩れていき……」


最後の場面。


この世で最も静かな部屋。

かすかな寝息が、途切れる。


「恋しさと罪悪感、

愛と憎しみの狭間で……

ついに耐えきれなくなった彼女の灯火は、ああして消えてしまったのです。」


ラティオメスティアはしばし言葉を止めた。

そして再び、静かに続ける。


「けれど……そうした事情が

広く知られることはなかったのでしょう。」


幻影は、無表情なエルフたちの顔へと切り替わる。

その口々から吐き出される言葉。


「信じられない種族だ。」

「結局、人間というのは……」

「精霊使いを壊したのも、あいつらだ。」


「多くのエルフたちは、

ただ『人間』であるというだけで

激しい憎しみを向け始めました。」


「『本音を明かせない種族』。

『利益がある時だけ関わる存在』……」


ラティオメスティアは言葉を選ぶように続けた。


「そうした排他的な思想が、

時をかけて根を下ろしていったのです。」


その言葉に、アイラはそっと拳を握りしめた。

指先に力がこもる。


「大賢者ムリムリプ様でさえ……

その壁を越えることはできませんでした。」


少年時代のムリムリプ。

灰色の髪と、淡い緑の瞳。

エルフたちの中で、どこか浮いている空気。


「愛する母を病ませた存在。

彼にとって人間とは……そういうものでした。

その血が自分の中に流れているという事実さえ、

彼を苦しめたのです。」


ムリムリプは幼い頃から誰よりも聡明で、

魔法と知識への理解も圧倒的だった。


だが、そんな彼でさえ『ハーフエルフ』であるという理由で

完全な信頼を得ることはできなかった。


「エルフの大英雄の血を引いていたとしても、

彼はエルフ社会に完全には受け入れられなかったのです。」


アイラはその言葉を聞いた瞬間、

胸の奥が重く詰まるのを感じた。


あまりにも馴染みのある孤独。

説明しなくても、体の方が先に思い出してしまう感覚。


けれど。


幻影が変わり、

青年となったムリムリプの姿が浮かび上がる。


どこか……『すべてを整理して去ろうとする者』のように。

彼は毎日のように、せわしなく動いていた。


「何が彼をそこまで動かしたのかはわかりません。」


ムリムリプはエルフの古代魔法を整理し、

公式と理論を体系化した。

既存の文献を再解釈し、後世へ残した。


それだけではない。


都市の魔法防衛体制。

精霊との意思疎通の手段。

魔族探知術。


実用的な知識までも、まるで時間がないかのように遺していった。


「そしてある日、

彼は何ひとつ言葉を残さぬまま……

忽然と姿を消したのです。」


ラティオメスティアは魔法陣の光を少し落とし、

再び穏やかに続けた。


「そして……今から十年前。

滅んだエルフェンシアの代替都市として、

ムリムリプ様はこのエルカディアンへ戻られました。」


「ですが、長くは留まられませんでした。

『行かねばならない場所がある』と、

先代都市長に予言書を託した後……

そのまま姿を消されたのです。」


彼女が手を動かすと、

大きな木々に囲まれた都市長の執務室と、

そこに置かれた古びた巻物が幻影の上に浮かび上がった。


「その方の最後の痕跡であり、遺したもの……

それが、あの予言書だったのです。」


「……ムリムリプ様って、そういう方だったんですね……」


アイラはわずかに俯きながら、慎重に口を開いた。


厳かな空気。

混血として生まれ、偏見に耐え続けなければならなかった偉大な存在。


アイラにとって、その重みは単なる尊敬では収まらなかった。


「ムリムリプ様に……

会ったことはあるんですか?」


その問いに、

アイラは静かに自分の首元へ手を伸ばした。


そして、そっと取り出したのは。


淡い黄緑色を帯びた精霊石。


「それは……」


ラティオメスティアの目が、瞬間的に大きく見開かれる。


「ムリムリプ様からいただいたものなんです。

私がまだ人間の村で暮らしていた頃……

あの方がしばらく滞在していて、

精霊魔法と回復魔法を……直々に教えてくださいました。」


アイラは精霊石を再び服の中へ大切にしまった。


しばらく言葉を失っていたラティオメスティア。

その目には、驚きと畏敬が入り混じっていた。


「……信じ難いことです。

ムリムリプ様が人間の村へ自ら赴かれたとは。」


「しかも、その方の精霊石を授かった子が

この都市に足を踏み入れたとは。」


「では、アイムリプ様は……

ムリムリプ様の弟子なのですか?」


ラティオメスティアが慎重に尋ねた。


「そういえば、お名前もよく似ていらっしゃいますね。こんな偶然が……」


彼女はアイラを見つめ、

静かに笑った。


「そ、そういうのはよくわからないですけど……

でも、どうして私の名前を知っているんですか?」


「お名前は、門番のトレントから伺いました。」


「あ……そうだったんですね。」


アイラは納得したように頷いた。


「では、話を戻しましょう。」


ラティオメスティアは姿勢を正して座り直した。


「その予言書の一部であり、核心となる内容はこうです。

世界樹の花が咲く時、その下で……

エルフと人間がひとつになれば、

エルフは真の価値と本来の力を得るだろう、と。」


「エルフの……本当の力……?」


アイラは小さく首を傾げた。


「そうです。」


ラティオメスティアは頷く。


「我らの種族が持つべき、エルフだけの力。

受け継がれる途中で途絶えた、その真なる潜在力を……

私たちは目覚めさせる日を待ち続けているのです。」


「そ……その、具体的には。

その力って何なんですか?」


アイラは言葉を結びながら、

ラティオメスティアをまっすぐ見つめた。


すると彼女の表情が、初めて少しだけ重くなった。


「……それはわかりません。」


短い沈黙。


ラティオメスティアは慎重に続けた。


「ただ、予言書には

『世界を変える力』、

『新たな秩序をもたらす力』と記されています。」


「世界を……変える……?」


アイラはうまく想像できないように、小さく呟いた。


「それなら……

ムリムリプ様ご本人に聞くことはできないんですか?」


その問いに、ラティオメスティアはゆっくりと首を横に振った。


「……それは難しいのです。」


短く、きっぱりとした答え。


「今のムリムリプ様は……

生死すらわからない状態です。」


沈黙が落ちる。


アイラは小さく息を呑み、

気づかぬうちに手に力を入れていた。


「そうなんですね……

いろいろ頭に詰め込みすぎて、少し混乱してきました……」


アイラはこめかみを押さえ、軽く首を振った。


ラティオメスティアはそんな彼女を見つめ、

やわらかく言った。


「そうでしょうね。

ですが、アイムリプ様には……

どうしてもこのことをお伝えしたかったのです。」


「え? 私に……ハーフエルフだからですか?」


アイラは、彼女がわざわざ自分にこんな話を聞かせた理由を

おぼろげながら察し始めていた。


脳裏に、フェイオの言葉がよぎる。


「そうです。」


ラティオメスティアは少しもためらわなかった。


「ほかのエルフたちは不快だと言ってあなたを避けていますが……

私はムリムリプ様を知っていますし、

予言書の内容も知っています。」


「……つまり、

私の力が必要だということですね。」


アイラがゆっくりと言葉を継ぐ。


「エルフと人間がひとつになった……

ハーフエルフの力が。」


その言葉に、ラティオメスティアの口元に

かすかな笑みが浮かんだ。


「話が早いですね。」


「その通りです。」


ラティオメスティアは小さく息を吸い、頭を下げた。


「本来の予定では、

二日後に都市長様と

皆様全員でお会いする手はずでしたが……」


彼女は一瞬ためらい、

それでも言葉を続けた。


「私の勝手で……

アイムリプ様のことが気になってしまい、

つい、ここへお連れしてしまいました。」


「どうか、お許しください。」


ラティオメスティアは、丁重に深く頭を下げた。


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