105. 再び訪れたポエン村 (ふたたびおとずれたポエンむら)
荷台の真ん中、山積みの干し草の上に寝転がったライネルが、何でもないように尋ねた。
「ところでカミ。お前って、いつから人間みたいに変身できるようになったんだ?」
胸元でもぞもぞ動いていたカミが、ひょこっと顔を出した。
「宝石を探して回るって言い出した頃から、少しずつ練習してたんだよ。けど、まだ完璧じゃない。魔力もものすごく食うし」
「まあな。尻尾も翼も普通に見えてたし。半分ドラゴンのままだったぞ」
ライネルが笑うと、カミは目を細めた。
「もともと格の高いドラゴンほど、人間に近い姿に擬態できるんだ。魔族も似たようなもんだろ」
「へえ。よりによって、なんで人間の姿なんだ?」
「そりゃ、人間の中に紛れて静かに暮らすのが一番楽だからだよ。しかも騙しやすいし」
「うわ··· 理由それかよ」
二人は冗談めかして笑い合った。
そのとき。
ガタン。
馬車が不意に止まった。
ライネルが上体を起こす。干し草がかさりと鳴った。
「何だ···?」
彼は荷台から下り、車輪を避けて前へ回った。すでに何人かが集まっている。
「馬車が止まったんで、出てきたんです」
そう答えたのは商人たちのまとめ役だった。年のいった顔は落ち着いていた。
「ああ、はい。今は中継の村の近くです」
「中継地?」
「領内に入るには許可の手続きが必要でして。少しお待ちいただくことになります」
「なるほど···」
ライネルの視線が何気なく村のほうへ向いた。
そして。
彼の目がわずかに見開かれる。
「···この村、まさか···」
商人のリーダーは大したことでもないように言った。
「フレシアン伯爵領の一つ、ポエン村です」
「やっぱり···!」
思わず声が漏れた。顔つきにぱっと色が戻る。
「ここにはどれくらいいるんです?」
「三日です」
「それなら···少し席を外してもいいですか?」
商人のリーダーが眉を上げた。
「何かご用ですか?」
「ええ。昔の知り合いがいるんです。せっかく来たんで、少し顔を見たくて。遠くまでは行きません。村の中にいるだけです」
商人のリーダーは少し考えるようにライネルを見てから、懐から小さな紙を一枚取り出して差し出した。
「でしたら···これを持っていてください」
「これは···?」
「出発の時間が近づくと、紙に光が宿ります。そのとき、またここへ戻ってきてください」
ライネルは紙を受け取り、軽く頭を下げた。
「分かりました」
彼はその紙を懐にしまい、村の中へと歩き出した。
足取りは軽い。
「銀月の盾···あいつら、元気にしてるかな」
小さく呟きながら、近づいてくるギルドの建物を見つめる。
「アイラとモネロも一緒なら、もっと良かったんだけどな··· まあ、この状況じゃ仕方ないか」
「何が仕方ないって?」
不意に、聞き慣れた声がした。
荷台の隙間から、カミがひょこっと顔を出していた。
「うわっ、びっくりしただろカミ···! それより、人間の姿で歩いたらどうだ? そのほうが目立たないだろ」
「だめだ!」
カミはきっぱりと言い切った。
「無駄に魔力を使いたくない。それに今は、お前の魔力なしじゃ変身を維持できても数分が限界だ」
「···え? そうだったのか?」
「そういうこと」
カミは大きくうなずきながら、ぶつぶつ言った。
「ところでライネル、お前の仲間ってアイラとモネロだけじゃなかったのか? もしかして、隠してる別の仲間でもいるのか?」
「正式なパーティーメンバーじゃないよ。前に協力してた冒険者たちさ。一緒に動いてたのは···たぶん半年くらいかな」
「ふぅん···なんか、お前の顔がちょっと違って見えたからさ」
「そう見えたか?」
ライネルはぎこちなく笑った。そして視線をギルドへ戻す。
もう手を伸ばせば届きそうな距離だった。
「まあ、とにかく。久しぶりに昔の知り合いに挨拶して、冒険の話でもしてくるよ」
彼は歩みを緩めなかった。
「カミ、お前は村の中では見つからないように隠れてろ。友達に会えたら、そのとき改めて紹介する」
「ちぇっ。人間の村じゃ、隠れてるのが日常になってきたな」
「仕方ないだろ。下手に魔物だと勘違いされたら面倒なんだから」
少し前まで遠く感じていたギルドの扉。
今は、もうライネルの目の前にあった。
「いやぁ~、これがどれだけ久しぶりだよ。ポエン村ギルド!」
扉を勢いよく開けて中へ入った、その瞬間。
懐かしい匂いと風景が一気に押し寄せてきた。胸の奥が少しだけ温かくなる。
そのまま受付へ向かい、手を振った。
「お久しぶりです」
「えっ、ライネルさん?」
椅子に座っていた受付係が驚いて立ち上がった。
「まだ覚えていてくれたんですね?」
「もちろんですよ! 王都へ行かれたって聞いてましたけど···もう戻ってきたんですか?」
「あはは···ちょっと事情があって。ポエン村にはほんの少しだけ立ち寄ったんです」
ライネルが笑いながら頭をかくと、受付係の表情が一瞬だけ曇った。
「それが···ネニャさんがライネルさんのことを、ずいぶん探して回ってたんですよ」
「···ネニャだけですか? 他のみんなは?」
ライネルの目つきが一瞬で沈んだ。
受付係は語尾を濁しながら、慎重に口を開く。
「その···ネニャさんを除くお三方は、今は行方不明扱いになっています」
「···何だって?」
ライネルの顔が固まった。
「そんなはずない···」
「ネニャさんも···数か月前から村では姿を見せていません。王都へ向かったとは聞いていますが、正確な居場所までは···」
ライネルは一拍遅れて息を吐いた。
「はぁ···そうですか。どうしてそんなことに···」
頭の中で考えが一気に巡る。
『銀月の盾』は、そんな簡単に消えるようなチームじゃない。少なくとも、何の痕跡もなく消えるような連中ではなかった。
そのとき、受付係が遠慮がちに言った。
「それより···ポエンのギルドに来たということは、依頼を受けに来られたんですか?」
「いえ、それは違います。長くはいられないので。今、王都行きの馬車に便乗してるところなんです」
「あ···そうなんですね」
今度は受付係の顔に、また別の影が差した。
ライネルはそれを見逃さなかった。
「何かあったんですか?」
受付係は息をのみ込むように言った。
「その···最近、冒険者がたびたび行方不明になっているんです」
「冒険者が?!」
ライネルが一歩近づいた。
「はい···不思議なことに、魔力を扱う冒険者ばかりが狙われるように消えていて」
「···」
受付係は口を慎むように、周囲をそっと見回した。
ライネルも振り返る。
前に来たときとは、空気がまるで違っていた。
人が減っている。
表情が硬い。
笑い声も、大きな喧騒もない。
受付係が低い声で続けた。
「よくない噂が広がって···拠点を移した方がたくさんいるんです。その一方で、溜まっていく依頼は···本当に山ほどあります」
ライネルは一度、唇を噛んだ。
「冒険者がいなくなって···そのせいで魔物の出没が増えたとかですか?」
「い、いえ! そうじゃないんです」
受付係はぶんぶんと首を振った。
「最近は魔物までほとんど見かけなくなってるんです。まるで···約束でもしたみたいに、冒険者と魔物が同時に姿を消していて」
「···妙ですね」
ライネルは目を細めた。
「片方が減れば、普通はもう片方が増えるはずなのに」
彼は軽く挨拶した。
「それじゃ、俺はこれで。よい一日を」
そのまま扉へ向かって体を向けた、そのとき。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
背後から、慌てた声が飛んできた。
ライネルは足を止め、ゆっくりと振り返る。
ため息混じりの顔。
「···何ですか」
受付係が机越しに深く頭を下げた。
「依頼、手伝ってください! お願いします!」
「はぁ···」
ライネルは顔を伏せ、額を押さえた。
それから、自分の頭を軽くこつんと叩く。
「···まったく」
「よし、出発だ!」
弾んだ声とともに、二人の新人冒険者が勢いよく腕を上げた。
まだ幼さの残る顔。
頼りない装備。
それなのに自信だけはたっぷりだ。
ライネルが受けた依頼は単純だった。
初心者冒険者たちに同行し、彼らの安全を守る補助役。
言ってしまえば、見習いたちの現地実習の付き添いだ。
「兄ちゃん、名前なんていうの?」
先に手を差し出した少年が、にっと笑う。
「俺はライネル。魔法使いで、Cランク冒険者だ」
「うわ、Cランク!? すげえ!」
少年は感嘆の声を上げながら満面の笑みを浮かべた。
「あっ、俺はギルロット! Fランク戦士! よろしくな!」
勢いだけなら、もうベテラン顔負けだった。
隣にいたもう一人の少年は、おずおずと口を開いた。
「僕は···エティオです。同じくFランクで···職業はまだ、これっていうのは···」
語尾はだんだん小さくなっていく。
ライネルは二人を見ながら、無理にでも柔らかく笑った。
「会えてよかった。よろしくな」
「はいっ!」
はっきりとした返事。
今日の任務は、鉱山の近くに残された罠の撤去。
正確に言えば、以前知能の高いゴブリンの群れが人間を襲うために仕掛けた罠や落とし穴を回収する作業だった。
半年前、そのゴブリンたちは原因不明の出来事を境に姿を消した。
だが、残された罠は今も人を傷つけていた。
そのため、新人冒険者と既存の冒険者が組んで処理にあたっていたのだが。
最近はベテラン冒険者の失踪が相次いでいた。
新人だけで出て、危険な目に遭うことも増えている。
その結果、ライネルのようにある程度実力の確認された者へ、同行依頼が回ってきたのだった。
「ライネルの兄ちゃん、俺たちを信じてくれよ!」
ギルロットが得意げに笑った。
「この森のことは、ちゃんと前もって調べてきたんだからな!」
エティオもつられて何度もうなずく。
ライネルは笑って流そうとしたが、視線は本能のまま茂みを探っていた。
『なんか···全然信用できないんだけど』
「ちょっと待て、あそこ···あっちはいかにも怪し――」
ドンッ!
先を歩いていたギルロットが何かに引っかかり、そのまま勢いよく木の上へ吊り上げられた。
「うひゃああああ···た、助けてくれぇ···」
木にぶら下がってじたばたする少年。
ライネルが急いで前へ出ようとした、その瞬間。
「兄ちゃん! 僕がやります!」
エティオが前に出て、腰から手裏剣を取り出した。
ヒュッ――!
だが、外れる。
二回。三回。
手裏剣はむなしく空を切り、地面にぱたぱたと落ちた。
「···はぁ···」
エティオはついにその場へへたり込んだ。握りしめた拳が細かく震えている。
そのとき。
ライネルの目元に、青い気配が薄く走った。
シュシュシュッ!
地面に落ちていた金属の手裏剣がぶるぶると浮かび上がり、一瞬で吊り縄へ向かって飛んでいく。
パッ!
キィン!
切れた縄が弾け、ギルロットの体が落ちた。
「うわああああ――!」
ドサッ!
地面に叩きつけられる寸前、青い気配が一瞬だけその体を支えて消えた。
ギルロットは地面を転がって、そこでようやく止まった。
「助かったぁ···!」
ライネルが静かに言った。
「なあ、お前たち」
「俺が先に行くから、お前らは少し後ろに下がっててくれるか?」
長いため息。
『はぁ···これは楽に終わりそうにないな』
すると二人の少年が同時に背筋を伸ばして叫んだ。
「はいっ! 兄ちゃん···じゃなくて、先輩!!」
「···え? いきなり先輩?」
ライネルは呆れたように首を振り、何も言わず森の奥へ足を踏み入れた。
ふと振り返る。
二人の目がきらきらしていた。
「何だよ。俺、何か変なことしたか?」
二人は同時に激しく首を振った。
「いえ!」
「先輩···いや、その···師匠って呼んでもいいですか!?」
「だめだ!!」
ライネルは腕を大きく広げて、きっぱり拒絶した。
それから前を向き、また歩き出す。
『まったく···新人冒険者ってやつは。何でも珍しく見えるんだな』
そうして森の中を回りながら、いくつかの罠を無事に回収していった。
日が傾き始めたころ、ライネルが口を開く。
「よし、お前たち。予定の分も全部終わったし···そろそろ戻ろう」
「先輩! さっき先輩が使ってたあれって···魔法ですか? それとも技? いや、何か別の力なんですか!?」
エティオが目を輝かせて尋ねた。
「ん? まあ···とりあえず魔法、ってことになるかな」
「魔法!!!?」
ギルロットがエティオを振り返る。
エティオは目に決意を宿して叫んだ。
「僕、決めました! 魔法使いになります!!」
ライネルはその言葉に、一瞬だけ笑った。
どこか嬉しそうな顔がよぎる。
だが。
「それは無理だ」
ギルロットがきっぱりと言った。
「おいおい。友達の夢なら応援してやれよ」
ライネルがなだめようとした、そのとき。
ギルロットが続ける。
「だってお前、魔力をまったく扱えないじゃん。大人たちも言ってたろ。魔法使いになるには、生まれつきの才能が必要だって」
エティオの肩がぴくりと揺れた。
唇をきゅっと噛み、うつむく。
けれどすぐに、もう一度顔を上げてライネルを見た。
必死な目だった。
「それでも···努力すれば、僕にもなれますか、先輩!?」
ライネルは一瞬、言葉に詰まった。
その目があまりに真剣だったからだ。
「···ああ···そうかもしれない」
「ありがとうございます、先輩! それじゃあ···先輩の魔法の師匠って、どんな人だったんですか?」
「師匠?」
ライネルは首をかしげ、それから小さく笑って首を振った。
「そんなの、いないよ」
「え···? いないって···?」
「自然に身についた力なんだ。誰かに教わったことはない」
「やっぱり···生まれつきじゃないとだめなんだ···」
エティオはしゃがみ込み、しょんぼりと鼻をすすった。
「大丈夫だよ、エティオ」
ギルロットがぽんと肩に手を置いて笑う。
「俺が! 一緒に頑張ってやるから。魔法使いじゃなくても···何にせよ、俺たちでやってみようぜ!」
ライネルはその様子を見ながら、静かに口元を緩めた。
『やっぱり、仲間っていうのは···こういうもんだよな』
アイラとモネロの顔が頭をよぎる。
胸の奥が少しだけあたたかくなった。
そのとき。
「ん? ···あそこにいる女の子、何だ?」
危険区域とされている森の外れ。
そこを一人で歩いている赤髪の少女が、ライネルの視界に入った。




