102. 再決闘 (さいけっとう)
「今日は個人的な約束があるので、一人で動きますね!」
エリセルが明るい笑みを浮かべて現れた。
大事にしまっていたらしい、かなり女性らしい装いだった。
スカートの裾がふわりと揺れ、
髪もいつもより丁寧に整えられている。
少し離れた廊下の端から歩いてきたライネルが、目を細めた。
「もう男装はやめるんですか?」
「何言ってるんですか!
そもそも男装なんてしたことありませんけど?」
エリセルは鼻にかかった声を混ぜながら、つま先でくるりと一回転してみせた。
「動きやすいからああしてただけで、
今日は……楽しみにしてた特別な競売の日ですから!」
彼女はスカートの裾を指先で軽くつまみながら、言葉を継いだ。
「招待されてるのに、いつも通りの格好で行くわけにはいかないじゃないですか?」
ライネルは一拍遅れて口元を緩めた。
「……何か別の思惑がありそうですけど」
「なんですって?」
ライネルは少し首を傾けて笑った。
「いえ、はは。
では、楽しい時間を」
「もちろんです。最高の時間にしてきます!」
エリセルはぱっと笑ったあと、
少しだけ語尾を濁した。
「それと……余裕があれば、リエナのお姉さんの情報も……」
「分かりました。
ちょうど市場を回りながら、奴隷関係の情報も調べるつもりでした」
ライネルはうなずいた。
そしてふと、
リエナがいる部屋の扉を静かに見やった。
エリセルは先に外へ出ていき、
ライネルは少しのあいだ迷ったあと、リエナの部屋の前に立った。
「リエナ、入るよ」
ノックとともに扉を開けると、
リエナはベッドの上で毛布にくるまったまま、小さく身体を震わせていた。
まだ完全には落ち着きを取り戻していないようだった。
ライネルは扉を閉め、慎重に口を開く。
「その……お姉さんの居場所を探すには、
もう少し情報が必要なんだ」
「……わ、分からないです……」
リエナは目を赤くしながら首を横に振った。
一筋の涙が頬を伝って落ちる。
ライネルは短く息を吐いた。
「大丈夫。
残ってるあいだ、この場所にいて……何でもいいから手がかりを集めてみるよ」
短い慰め。
それ以上は引き止めず、静かに背を向けた。
◇
リエナに言葉を残したライネルは部屋を出ると、
船長の部屋の前に立った。
「コンコン」
「うん、入りな」
ぎい。
扉が開くと、船長は椅子にもたれたまま顔を上げた。
「どうした?」
「あ、今日はエリセルさんが個人的な用事があるそうなので。
俺も少し、私用を済ませてこようかと」
「そうか?
君はもうやることは済ませただろう。もちろん構わんよ」
「……あ、はは……そうですね」
ライネルは曖昧に笑いながら、頭をかいた。
実際には、ほとんどエリセルが片づけていて、
自分は話し相手になっていただけのようなものだった。
船長は淡々と続けた。
「この街で王都行きの荷は、あと二日もあれば全部揃う予定だ。
それまでは自由に過ごすといい」
「ありがとうございます」
ライネルは頭を下げて礼を言い、
それ以上迷うことなく、そのまま街の中心へ向かって歩き出した。
◇
「はぁ……奴隷の情報って……どこで集めればいいんだ……」
落ち着かない気持ちのまま、街をさまよう。
足取りは遅くなったかと思えば、また速くなる。
手がかりを探し続けていたライネルは、
ふと何かを思い出した。
「……そうだ。冒険者ギルド……!」
どうして今まで思いつかなかったのか、
自分でも不思議になるほどだった。
ここポート・リアンは、
多くの人と物資が行き交う大都市だ。
当然、魔物やモンスターの襲撃もときおりあり、
それに伴って物資護衛の依頼も絶えない。
中央の王家の支援を受ける王都のギルドとは違い、
各大都市のギルドはある程度独立して動いているが、
情報の流れだけは確かだった。
「なんで今までこれを思いつかなかったんだ……」
遅れて込み上げてきた後悔に、
ライネルは息が上がるほどの速さで走り出した。
遠くに見える建物。
その上に刻まれた、冒険者を象徴する紋章。
ライネルは息を切らしながら、
そのまま中へ身体を滑り込ませた。
内部は想像よりもはるかに華やかで広い。
にぎやかな喧騒。
あちこちから飛んでくる叫び声と身振り。
誰かを助けようとする者、
自分を売り込む者、
そして誰かを待つ者まで。
皆が忙しなく動いていた。
最初の一歩を踏み出したボブル村の静かなギルドとは、
比べることすらできない規模と密度。
ライネルはしばらくのあいだ、
呆然としたまま辺りを見回した。
豪華な内装。
洗練された魔力灯。
そして、びっしりと集まった人々。
ボブル村とはまるで別世界だった。
「おい、坊主。
なんで通り道をふさいでるんだ?」
「……あっ、すみません!」
気まずそうな笑みで謝りながら、ライネルは慌てて道を空けた。
気を引き締め直し、受付へ向かう。
「あの……もし、
奴隷に関する依頼ってありますか?」
受付席に座っていた女性職員が、
慣れた様子で軽く笑った。
「冒険者登録に来られたんですか?」
「いえ。登録はもう済んでます。
ただ……依頼掲示板にはない情報があるかと思って」
職員はうなずきながら尋ねた。
「依頼内容は等級によって公開範囲が異なります。
最初に登録した地域と、お名前を教えていただけますか?」
「ボブル村です。名前は……ライネル」
「バッジを見せていただけますか?」
ライネルは腰元からバッジを取り出して差し出した。
職員はそれを受け取り、
机の脇に置かれた魔道具へ慎重にかざした。
ふるる。
笛のように軽い音が魔道具から響く。
「Cランクなんですね?」
「はい、そうです」
背後で小さく、
『あいつがCランク?』という声と、
いくつかの遠慮がちな視線がよぎった。
ライネルは気にしていないふりで、
わずかに頭を下げた。
職員は結果を確認し、微笑んだ。
「確認しました。問題ありません。
少々お待ちください。関連する依頼を確認します」
静かな沈黙の中、
ライネルが乾いた唾を飲み込む音が妙にはっきり聞こえた。
しばらくして。
「申し訳ありませんが……現在、奴隷に関する依頼はありません」
「あ……そうですか。そうですよね……」
期待が折れたように、ライネルは少し視線を落とした。
探していたものがないという事実に、
かすかな落胆が顔をかすめる。
職員は書類をめくりながら続けた。
「代わりに、Cランク向けの依頼がありますが、確認なさいますか?」
ライネルは首を振った。
「いえ、今はほかのことに気を回してる余裕がなくて。
ありがとうございました」
丁寧に礼を言ってから、
ライネルは静かにギルドの外へ足を向けた。
だが、彼が背を向けたあとも、
ギルドの中では二人の視線が最後までライネルを追っていた。
二人は互いにうなずき合うと、
何かを小さく囁きながら手で合図した。
そしてそのまま、
ライネルの後を追い始める。
◇
「……面倒だな」
ライネルはゆっくりと息を吐き、
少しずつ街の外れへ進路を変えた。
戦いになる可能性を察したのだ。
人目の少ない場所。
街外れの路地の近く。
そこでライネルはゆっくり立ち止まった。
「俺に……何か用ですか?」
後をつけてきた二人は、
互いに一度だけ目をやって笑った。
「大したことじゃない。
依頼を受けて来たんだよ」
「……依頼?」
「ああ。
この辺じゃ、なかなか珍しい条件の依頼でな」
「銀髪で赤い腕輪をつけた見知らぬ少年を探してたんだ」
「……」
「今見た感じ、ぴったりじゃないか。
お前のことだろ?」
「……何のことかよく分かりません。
悪いけど、忙しいので帰ってもらえますか」
すると前に立っていた一人が、
薄く笑いながら言った。
「奴隷を探してるんだってな?」
その言葉に、
ライネルの目つきが一変した。
冷気を宿した真剣な眼差しが、
二人をじっと射抜く。
そして間もなく、
ライネルを囲んでいた二人のあいだから、
誰かが静かに前へ歩み出た。
ゆっくりと、だが迷いのない足取り。
「……不思議な技を使う少年。
また会ったな」
見覚えのある顔。
盗賊のアジトで一度ぶつかった男、ノックスだった。
「あなたは……」
ライネルの眉がわずかに歪む。
「ははは!
ああ、あの時は少し油断してたみたいでな。ひどい目にあったよ」
ノックスは首を傾けながら笑った。
「だがな……
今回はあの時みたいにはいかない」
ライネルは黙って彼を見つめていたが、
やがて淡々と答えた。
「悪いけど、
あなたの実力はあの時もう見た。
あなたじゃ……俺には勝てない」
「くははは!
ああ、その通りだ。あの時はお前に無様に叩きのめされた」
「訳の分からない、
理解すらできない力に圧倒されたよ」
「たぶん……
あの時に戻っても、同じ結果が何十回と続くだろうな」
彼はゆっくりとマントを持ち上げた。
その瞬間、
両耳に下がる赤い耳飾りと、
首を囲う首飾りから、
禍々しい気配が滲み出した。
ライネルの目が一気に細くなる。
「……マグレイ?」
「ははは!
やはり、何も知らない目じゃないな」
「この宝石が何か分かる者なら、
その威力を軽く見ることはできない」
ノックスは指を握りしめながら笑った。
「全身が煮えたぎる。力が……
内側から際限なく湧き上がってくる!」
「そうだ、この力を使ってみたかった」
「試し相手、そして復讐相手。
お前ほどふさわしい相手もいないだろう?」
ノックスが両腕を広げると、
彼の全身から強烈な赤い波動が波のように広がった。
次の瞬間、蹴りが伸びてくる。
「っ!」
ライネルは反射的に念動障壁を展開した。
直撃こそ免れたが、障壁ごと後方へ吹き飛ばされる。
ドン! バキィッ!!
背後の外壁が崩れ落ちた。
土煙が舞い、破片が飛び散る。
「おおおおお!!! すごい!!
俺は今……たまらなく戦いたい!!」
ノックスは狂ったように笑いながら拳を握りしめた。
「こんな脆い鉄くずなんて、
もう必要ない! ひひひ!」
「この状態なら素手でも!
お前を……制圧できる!!」
あふれんばかりの自信。
その目は獣のようにぎらついていた。
ライネルは片膝をついて立ち上がる。
短く息を整え、再び戦闘態勢を取った。
目元で青い気配が揺らめく。
「……!」
砕けた壁の破片が、
その気配に引かれてふわりと浮かび上がり、
矢のようにノックスへ飛んでいく。
「ふっ」
ノックスは鼻で笑った。
「甘いな」
短い気合とともに、
石片はあっさり弾き飛ばされた。
だがライネルの視線は、
その隙にもノックスを一瞬たりとも見逃していなかった。
「……またこんな鬱陶しい鎖遊びか?」
ノックスは苛立ちの混じった目で、
身体に巻きつく青い鎖を見下ろす。
「うおおっ!」
腕に力を込めると、
鎖の気配は一瞬で粉々に散った。
「……お前さ」
ノックスの表情が奇妙に変わった。
単なる好意でも、嘲りでもない。
優越感と興味が入り混じった目だった。
「本当に面白い芸を持ってるな」
彼は口元を吊り上げた。
「ボスがすごく……気に入りそうなタイプだ」
「……どうだ?」
「俺たちのファミリーに入らないか?」
「くだらないままごとに
付き合ってやれるほど暇じゃない」
ライネルの声はどこまでも無機質だった。
「そんなのは……
家に帰って寝込んでる連中とでも、
好きなだけやってろ」
言葉とともに、
青い気配が彼の全身を包み始めた。
風が揺れ、
足元の塵がふわりと浮かび上がる。
「……っ!」
ノックスの口元が引きつる。
「礼儀として誘ってやったが!」
「断ったなら!!」
彼が再び間合いへ踏み込む。
赤く輝く耳飾りと首飾り。
マグレイの力が爆ぜるように脈打つ。
その瞬間、拳が突き出され――
「ぐっ!!」
ノックスの身体が何かに叩きつけられたように、
地面へと叩き落とされた。
「な……なんだこれはああ!!」
見えない力が、
彼の全身を下へ強引に引きずり込んでいた。
ドン! ゴゴゴゴッ!!
徐々に地面へ埋もれていくノックス。
口元に血が散り、顔が歪む。
「……はあっ!」
彼は歯を食いしばり、
気合とともに地面を爆砕した。
噴き上がった衝撃波が
一瞬だけ拘束をほどき、
彼はどうにか身体を引き抜く。
「……危なかった……」
荒い息を吐きながら、
ライネルを睨みつける。
「お前……!!
ここで必ず殺す……絶対に!!」
牙を剥くように叫んだ。
「ドプル!!」
血のような気配がきらめき、
ノックスとまったく同じ姿をした、もう一人の『彼』が
目の前に現れた。
「一人じゃ足りないよな……そうだろ?」
ノックスの一人が笑う。
そして、
そのうちの一人が全力で
ライネルへ突っ込んできた。




