表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
101/130

101. もう一人の導き手 (もうひとりのみちびきて)

「リエナ……

リエナ、しっかりして」


かすかな声に、

リエナのまぶたがゆっくりと震えた。


「ん……お姉ちゃん……」


リエナは苦しそうに目を開け、

シルバレンの胸にすがるように身を預けた。


シルバレンは彼女を強く抱きしめたまま、

やさしく背中をさすった。


リエナはあたりを探るように見回して、尋ねた。


「ここ……どこ?」


「……よく分からない。

人間の村の近くの、どこかだと思う」


「お姉ちゃん……魔法を使ったの?」


リエナが首をかしげると、

シルバレンはしばらく手の中の何かを見下ろした。


「ううん。

この赤い石が……導いてくれたの」


「それって……どういうこと?」


リエナが不思議そうな目を向けたが、

シルバレンは静かに首を振った。


「ううん……何でもない。

それは、あとで話すね」


「今は……

とりあえず町を探そう」


姉妹は、

果ての見えない荒れ果てた野原を歩いた。


歩いて、また歩いた。


すると遠くに、

煙の上がる場所が見えた。

人の気配がある集落だった。


「た……助けてください!!」


リエナは両手を振りながら、

大声で叫んだ。


人々が驚いたように振り向き、

しばらくして年配の人間の男が

村のほうからゆっくり歩いてきた。


彼は警戒する様子もなく笑みを浮かべ、

姉妹に近づいてきた。


言葉は通じなかったが、

その目は温かかった。


簡単な身ぶりだけで、

食べ物と眠る場所を与えてくれた。


シルバレンとリエナは

その場で安堵の息をこぼし、

おずおずと頭を下げて礼を伝えた。


その夜。

姉妹は人里離れた小屋で

あたたかな毛布にくるまって横になった。


あたたかい食事。

静かな夜。

安全な場所。


長い悪夢のような時間を越えて、

二人はまるで夢に引き込まれるように

ゆっくりと眠りに落ちていった。


けれど、

悲劇は隙を与えてはくれなかった。


リエナが再び意識を取り戻したとき、

全身は冷たい鎖に拘束されていた。


目は厚い布で覆われ、

周囲からは正体の知れない人間たちの

がやがやとした声が聞こえてくる。


知らない言葉。

知らない匂い。

そして、恐怖。


「……お姉ちゃん……」


その名を呼びたかったが、

口に噛まされた猿ぐつわが

あらゆる声を呑み込んでしまった。


それでもリエナには、はっきりと分かった。


すぐ隣、近くで

姉の息遣いが聞こえることを。


それは間違いなく……シルバレンだった。


『お姉ちゃんも……今の私みたいに、声が出せないんだ……』


リエナはぎゅっと目を閉じた。

見えなくても感じられる存在。


今の彼女が縋れる、

たった一つの希望だった。


『……助けて。お姉ちゃん……

お母さん……お父さん……族長さま……お願い……』


そう心の中で祈るように叫んでいるあいだも、

ガタ……ガタ……


彼女たちを乗せた荷車は

荒れた道を長い時間揺られながら進んでいった。


どれほど時間が経っただろう。

音の響きが変わり、

空気の匂いも変わった。


「……?」


リエナはぼんやりと悟った。

どこか新しい場所に着いたのだと。


しばらくして、

目隠しの布が解かれた。


突然の光が

目を刺すように差し込んだ。


長いあいだ闇の中にいたせいか、

瞳が縮み、痛みが押し寄せる。


それでもリエナは

目を開けようともがいた。


そしてついに、

彼女が必死に探していた存在が

視界に入った。


「……お姉ちゃん……」


シルバレンは

もう以前の姿ではなかった。


まるで何もかもを諦めた人のように、

やつれた姿で座り込んでいた。


リエナは口を開いたが、

喉に食い込む猿ぐつわのせいで

まともに言葉を出せなかった。


「ん……んうぅ……うっ……」


声にはならなかったが、

その目だけははっきりと告げていた。


『お姉ちゃん……私だよ』


ほんの短い視線の交差。

それだけで二人は同時に涙を流した。


冷たい鎖が音を立てた。

その音の中で、姉妹は再び互いを確かめ合った。


そしてしばらくして、

リエナの口を塞いでいた猿ぐつわが外された。


同時に、

小さな器に入った食べ物が目の前に置かれた。


母がいつも手ずから用意してくれた

あたたかな食事とは比べものにならないほど

粗末な食べ物。


けれど、そのときは

そんなことはどうでもよかった。


リエナは手も使わず、

器ごと口に持っていって

がつがつとむさぼるように食べた。


胃が痛くなるほど、夢中で。


息を整えながら

ようやく食べ終えたあと、

リエナはゆっくりと顔を上げた。


「……お姉ちゃんは?

お姉ちゃんのお皿は……?」


そこでようやく気づいた。


姉には

何も与えられていないことに。


その瞬間、

リエナは自分が姉の分まで

全部食べてしまったのだと悟った。


目が大きく見開かれる。


「……わたし……じゃあ……

お姉ちゃんの分まで……全部……」


シルバレンは黙ったまま

リエナを見つめていた。


顔はやつれ、

身体も力なく垂れ下がっていたけれど、


その眼差しだけは

いつものように優しかった。


一言もなかったのに、

リエナにはその目だけで

すべてが伝わってきた。


『大丈夫。

おいしく食べられてよかった』


そういう意味だった。


するとシルバレンが

本当に小さな声で言った。


「明日も……

私の分、あなたにあげる」


「たくさん食べて、リエナ」


リエナは

深くうつむいた。


その瞬間、

堪えようとしていた感情が崩れた。


あふれ出すように

涙が頬を伝ってぽろぽろと零れ落ちた。


「……ひっ……お姉ちゃん……

ごめんね……」


いつまでも、

果てなく涙がこぼれ続けた。


名もない牢の中、

二人だけがいるその静かな空間で、

少女は小さくすすり泣いた。


「今回のは、ずいぶん金になりそうだな。ははは!」


荒っぽい笑い声が、暗い空間を揺らした。


「まったくだ。

盗賊の根城の近くにエルフがひょっこり現れるなんてな。

こりゃまるで、宝が自分から歩いてきたようなもんだ」


聞き慣れない声が飛び交った瞬間、

リエナの胸は恐怖で締めつけられた。


「……お姉ちゃん、私たち……どうなるの……?」


小さく震える声に、

シルバレンは短く息を吸って

静かに答えた。


「心配しないで。

私が……守るから」


たとえ鎖に縛られて

互いの指先ひとつ触れられなくても、

二人の心だけは

確かにつながっていた。


そのかすかなぬくもりが

地獄のような現実の中で

彼女たちが掴んだ唯一の希望だった。


その後も

何度も移送が続いた。


どこへ向かうのかも分からないまま、

揺れる荷車の振動に

身を任せたまま。


そしてある日、

聞き慣れない声が聞こえてきた。


「おお……これはとんでもない品ですね。

カイル様がたいそうお喜びになるでしょう」


「値はしっかり弾んでくださいよ。

こいつら、見つけるの本当に大変だったんです」


「もちろんです。

ちょうど最近、カイル様が

やけにエルフに興味をお持ちでして……

高くても、きっとお買いになりますよ」


「ははは!

それじゃあ、いい返事を待ってますよ」


耳障りな笑い声。

その音に、リエナの身体は震えた。


そのあと、

彼女たちの目と口は再び塞がれた。


見えない空間。

そして冷たい気配。


鎖のこすれる音が響いた。


続いて、

焼けつくような痛みが耳を突き刺した。


「……ああっ!」


左右の耳が焼け落ちるような激痛。

そして首には

冷たい金属の輪が嵌められた。


リエナとシルバレンは

悲鳴を上げたが、

その声は厚い壁に遮られ、

かすかな響きすら外へ届かなかった。


数日後。


「今回の品は、皆さまお待ちかねだったと信じております」


競売人は舞台の脇へ向かって

早く出てこいと言わんばかりに手を振った。


そうして現れたのは、

耳を半ば切り落とされた二人の女エルフ。


一人のエルフは涙を流しており、

もう一人のエルフは長い髪に隠れて、

どんな表情をしているのか分からなかった。



ライネルは、

静かに話を聞いていた自分の腕に

鳥肌が立つのを感じた。


「……赤い石だなんて……」


それはただの石ではなかった。

リエナが語った『あの赤い石』が、

まさか始原の宝石……それだとしたら。


『シルバレン……

あの子の姉もまた、

その石に導かれた存在だったんじゃないか?』


そう考えるほど、

頭の中はますます複雑になっていった。


そのとき、

リエナが顔を上げた。


「……お姉ちゃんが……

まだ逃げられていないんです」


その一言に、

エリセルの手が止まった。


そしてしばらく、

深く考え込んだように

言葉を継げなかった。


リエナの目には

かすかだが確かな不安が滲んでいて、

エリセルは静かに立ち上がり、

そっとリエナを抱きしめた。


「……リエナ。

私たちが助けるわ」


そのあたたかな抱擁に、

リエナはぎゅっと目を閉じた。


ライネルが慎重に尋ねた。


「それで……

どうやって逃げたんだ?」


もちろん今は問い詰める場面ではなかったが、

姉の行方を追うなら、

あのとき何があったのかを知ることは重要だった。


リエナは小さく唇を噛んだ。


「それは……

その……」


迷う気配。


エリセルはそんなリエナの手を

やさしく包み込みながら、

穏やかに声をかけた。


「大丈夫。

私たちも少し知っておかないと、

本当にちゃんと助けてあげられないから」


リエナはうなずき、

少しずつ心を開く準備をしていった。


「お姉ちゃんには……

不思議な力があるんです」


その言葉に、

ライネルとエリセルは同時に視線を向けた。


「どんな力なんだ?」

ライネルが尋ねた。


「自分と親しい相手を……

その近くのどこか、ランダムな場所へ

移動させる力、だそうです」


「うーん……転移魔法みたいなもの?」

エリセルが首をかしげて聞いた。


「いいえ、魔法じゃありません。

お姉ちゃんの話では……

一年に一度くらい

その力を使えるって」


リエナは慎重に言葉を続け、

うつむいた。


「私が知っているのは……

ここまでです」


しばらく考え込んでいたライネルは、

やがてエリセルを見て言った。


「リエナのお姉さんも……

ギフトみたいなものを持ってるのかな」


エリセルは顎に手を当て、

軽く首を傾けた。


「どうでしょう……

魔法じゃないのに、そんな不思議な力を使うなら

その可能性はあります」


ライネルは再び顔を向けて

リエナに尋ねた。


「もしかして、念のため聞くけど……

その力、自分には使えないのか?」


リエナは

少し迷った末に、

黙ってうなずいた。


「……どこから手をつければいいんだ……」


ライネルは独り言のように呟いて、

額を押さえた。


その言葉を聞いたエリセルが

少しだけきっぱりした顔で顔を上げた。


「とにかく、リエナ」


「念のため、

外を歩き回っちゃだめよ」


リエナはびくっとして、

小さくうなずいた。


「こんな空気の中で言うのは悪いけど……

私もシルバレンを探すのを手伝いたい」


「でも……」


ライネルは困った顔のまま言葉を継いだ。


「王都へ出発する日が

もうあまり残ってなくて……」


そのとき、

エリセルが静かに笑って言った。


「心配しないでください、ライネルさん。

ひとまず船長さんがこの村で

片づけなきゃいけない用事が増えて、

出航を延期することにしたんです」


ライネルは驚いたように目を瞬かせた。


「そうなんですか?

出航しないんですか?」


「まだ確定ではありませんけど……

もし探すのにもう少し時間がかかっても……」


エリセルはリエナを見ながら続けた。


「私はこの村に残ることになるかもしれません。

ここは私たちの船が定期的に寄る港でもありますし」


「だから、何とか力になれるはずです」


ライネルは静かにうなずいた。


「……そうですか。

よかったな、リエナ」


彼は慎重に立ち上がりながら言った。


「じゃあ今日は……このくらいにしよう。

また明日、話そう」


ライネルは扉を開け、

静かに部屋を出ていった。


エリセルも後に続いて立ち上がったが、

その瞬間、

指先を掴んだまま震えているリエナを見て、

すぐには足を動かせなかった。


「……安心して、リエナ」


エリセルは再びその場に座り、

リエナのそばへ寄った。


「今日は……

あなたと一緒にいるから」


リエナはゆっくりと

エリセルの胸に身を預けた。


小さくてあたたかなぬくもり。

その中で二人は

互いを包むように寄り添って座った。



「出発の日、もうあまり残ってないんだろ? ライネル」


眠りにつこうとしていたライネルの枕元。

そこへ、見慣れた気配がひとつ、静かによじ登ってきた。


「カミ……」


その正体は、

ライネルと魔力で契約を結んだ存在。


ドラゴン、カミアモネ・タルガウス・メトニカ。

略してカミ。


ここ数日、カミは

ライネルとは別行動を取っていた。


ライネルが王都へ向かうための

私的な任務をこなしているのだとすれば、

カミは近くの海域を回りながら、

以前から追っていた何かを調べていたのだ。


「調査は……順調か?」


ライネルは枕に頭を乗せたまま、

目だけを上へ向けた。


「さあな……

いくら探しても、あのとき見たタコ野郎どもは感知できない」


カミはゆっくりと尻尾を揺らしながら、

身体を丸めた。


「海まで渡ってきたんだ。まさかここまで追ってきてるわけないだろ?

それに、あと数日で大陸の内側に入るんだぞ」


「ふむ……それもそうだな」


ライネルは短く呟いて、

目を閉じた。


カミは何かまだ言いたそうに

口を開きかけてやめ、

小さな吐息とともに

静かに隣で身を丸めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ