第3話 いくら待っても
夕方、食事と入浴を終えた私はイルルドとともに自室にいた。
お母様は、まだ帰ってきていない。使用人を通じて連絡があってから、彼女は一向に帰ってくる気配がない。
「……どうやらお母様は、帰るつもりがないみたいね?」
「ああ、そうみたいだね。一応、お父様が捜索しているみたいだけど」
「もうこの辺りを離れているのかしら?」
「ばれているとしたら、そうなんじゃないかな?」
「……もっと慎重に行動するべきだったわ」
お母様がばれていると気付いたのは、恐らく私に見られたことを悟ったからなのだろう。
考えてみれば、ばれていてもおかしくはない。隠れているつもりだったが、所詮素人の私が完全に気配を消すなんてできはしないだろう。何かしらの痕跡などから、お母様は私があそこにいたことを理解したのかもしれない。
「姉さんのせいではないよ。そもそも、姉さんがその場にいなければ、僕も父様も母様の浮気を知れなかった」
「でも、私には色々と落ち度があったわ。もう少し動向を見守っていれば、二人がどこに向かったかもわかったはずなのに……」
「その状況を見て、冷静な判断を求める方が無理というものさ。まあ僕達は待つしかないし、昼と同じように落ち着こう」
イルルドに言われて、私はハッとなる。
確かに今の私は昼に動揺していた時と同じだ。イルルドを見て、私はひどくそう思った。
彼だって、動揺しているのだ。それでも私を気遣って、それを表に出そうとしていない。
姉であるというのに、弟に気遣ってもらってばかりでは情けない。そう思って、私は少し落ち着くことにする。
「……ああそういえば、リビルト様はどうしているのかしら?」
「それはわからないね。でも、状況から考えると彼も戻りづらいんじゃないかな?」
「お母様と一緒に逃げている……駆け落ちってことかしら?」
「そうなるのかな? でも、それはエルヴィー侯爵家にとって大変な事態だよ。次期当主が、いなくなるなんて」
「よく考えてみれば、そうだわね……」
少し落ち着いたことによって、私は事態がかなり厄介なことになっていることを理解した。
エルヴィー侯爵家は、リビルト様以外に子供がいない。あちらの家にとって、子供が侯爵夫人と駆け落ちするということは、こちら所の騒ぎではないのだ。
元々心配していたが、これは二つの家にとって大きな溝となるかもしれない。
せっかく二つの家が手を結んだ婚約だったのに、どうしてこんなことになってしまったのだろうか。少し頭が痛くなってくる。
「それにしても、そもそも母様は一体どうしてリビルト様と関係を持ったのだろうね……」
「え?」
「いや、少し気になったんだ。その、二人は年も離れているし、とてもそういう関係にはなりそうにないからさ」
私が落ち着いたからか、イルルドは自らの疑問を口に出した。
彼の疑問は、当然のものだ。普通に考えたら、二人はそういう関係になり得ない。もちろん会う機会は度々あったはずだが、一体いつ何があって関係を持ったのだろうか。
「……私が見る限り、アプローチをかけたのはリビルト様だと思うわ。お母様の方は、一歩引いている感じだったから」
「人妻を、それも婚約者の母親を口説いたということか……」
「ええ、もしも本当なら控えめに言って最低だけど」
リビルト様は、お母様にかなり熱を持っていたような気がする。
一方、お母様の方はいつか身を引くつもりと言っていた。その認識の違いから考えると、どちらかというとリビルト様からと考えるべきではないだろうか。
もっとも、どちらから持ち掛けたとしても二人とも最低であることは変わらない。どちらかがまともであったなら、関係なんてそもそも持たなかったはずだ。
「なんか段々と腹が立ってきたわね……」
「え? ね、姉さん……」
そこで私は、自分の腹の底からぐつぐつと湧き上がってくる感情に気付いた。
今まではとても悲しかったが、考えてみればどうして私があの二人のような人達のために、落ち込まなければならないのだろうか。
リビルト様なんて、最低な人である。いくら紳士的で優しかろうとも、彼の本質は婚約者がいながら人妻に手を出す獣だ。いくら皮を被っていても、それは変わらない。
お母様だってそうだ。夫がいる身で、娘の婚約者と関係を持つ。妻としても母親としても最低である。
挙句の果てに、駆け落ちなんて意味がわからない。
一体あの二人は、どこまで人に迷惑をかければ気が済むのだろうか。
「あの二人は、絶対に見つけ出さなければならないわ。少なくとも一人ずつぶん殴ってやらないと気が済まないわよ」
「姉さん……やけにやる気だね?」
「ええ、急にやる気が湧いてきたわ。イルルド、明日からのためにも早めに休みましょう」
「あ、ああ、それはもちろんいいけれど……」
私はベッドに寝転がって、隣を叩いた。
しかしイルルドは、一向に動かない。訳が分からないというような顔を、私に見せてくるだけである。
「どうかしたの?」
「……いや、僕は自室に戻るよ」
「え?」
「昼間は、流れで確かにそこで寝たけど、僕だってもう子供じゃないんだ。姉さんと一緒には寝られないよ」
「そう……まあ、あなたがそう言うなら無理強いはしないわ」
気分的にイルルドにはいて欲しい気もしたが、私は彼の意思を尊重することにした。
本人も言っている通り、彼ももう大人だ。よく考えてみれば、思春期真っただ中である訳だし、姉と一緒に寝るなんて流石に恥ずかしいのだろう。
そんなことを考えながら、私は明日からのために早めに休むのだった。
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