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しばらくユーリの指を堪能していると、コンコンと開いたままだった扉の外側をノックする音が聞こえた。
「ユーリ様、扉が開いておりましたが、いかがされましたか?」
そう言って入ってきたのは屋敷の執事長のブラウンだった。
すぐに扉近くにいるユーリと、普段ならここにいないはずの吾輩を見つけて目を丸くする。
「おや、ミケランジェロ様ではないですか」
「仕事をしてたら、こいつが勝手に開けて入ってきたんだ」
「はー。噂は聞いていましたが、いやはやなんとも賢い方でいらっしゃる」
「ニャウン」
――そう、吾輩は賢いのである。
執事長に返事をした後、ふと日差しのよく入る窓辺が目に入った。どうやらこの部屋は日差しがよく入る位置にあるらしい。リズの部屋は午後になると少し暗いんだよな。
「しかし勝手に開けてしまうとは困りましたね。何か対策されますか?」
「うーん、そうだな」
執事長とユーリが話を始めたので、吾輩は長い尻尾をピンと立てて日当たりのいい窓辺へと上がり、そこにごろんと寝転がった。
「……いや、いいよ。きっと日向を探していたんだろう」
吾輩の後を目で追っていたらしいユーリが、小さく笑いながらそんなふうに言う。まぁ本当の目的はこの部屋がどこにあるかを見つけることであったが、心地よい日向もまた猫にとっては重要な場所だ。
「賢い猫だし、邪魔はしないさ。なぁ?」
「ニャーン」
――その通りである。
そう呼びかけられたので、吾輩はちゃんと返事をしておいた。どうだ、賢いだろう。
今日は目的である兄の部屋を見つけたし、これでことが起きた時の対策はバッチリだ。あとは人間の好きにしてくれ。
「この階の部屋の扉は子どもでも開けられるよう、少し薄くて軽くしてあるからな。父上の執務室の扉くらいなら、ミケの体重じゃ開かないだろうし」
「そうですね。ではそのように」
執事長が目を細めてにっこり笑い、軽く一礼した。律儀な爺さんである。
「それで、何か報告か?」
「はい。先日のナタリー様に対する毒殺未遂の件で」
ユーリが仕事用の机に戻りながら尋ねると、執事長はそう言って持っていた書類を差し出した。
吾輩は寝転がったまま、耳だけをパタパタ揺らす。
「まず、鍋に残っていたシロップですが。より詳細に解析したところ、どうやら劣化だけでは説明のできない毒も混入していたようです」
「……つまり、意図的に鍋に毒が仕込まれていた、ということか?」
「はい」
吾輩はちらりとユーリたちの方に視線を向ける。二人とも表情がかなり険しい。
巧妙に事故に見せかけようとしていたのだから、そりゃあ怒るよなぁ。
「……毒を後から入れた様子がなかったとすると、内側に毒が塗られていたのか。でも新人メイドが鍋を引き継いだのは、事件より何日も前だろう? 毒が塗られていたならもう少し早い段階で事が起きそうな気もするが」
「ナタリー様の使われているシロップは、普段は大きめのボウルに入れて冷蔵室で保管されているものを使っており、それがなくなるとあの鍋で元となる材料を温め、液体にしたものを使っているのだそうです」
「ではちょうど、リズと母上の茶会のタイミングで新しいシロップを温めることになり、新人メイドが引き継いだ小鍋を初めて使った、というわけか」
「そのようです」
どうやら鍋を仕込んだ犯人は、結構長いこと屋敷に潜伏し、内情を細かく把握したうえでやったようだ。そりゃあ未来を知ってる猫でもいないと、防ぎようがないな。
――この様子だと、潜んでる敵がまだいそうだな。
「新人メイドに鍋を渡したメイドの行方は掴めたのか?」
「はい。ですが残念ながら、王都郊外で遺体となって発見されました」
「……そうか」
母親殺害に失敗したと分かって自ら死んだか、誰かに消されたかだろう。
人間っていうのは本当、同士討ちが好きだな。
「では、そのメイドに何か不審な点は?」
「いえ特には。ただ彼女はもともと、アイネ様の側付き侍女として雇いましたが、辞める数日前にアイネ様の不興を買ってメイドに下げられていました。その後も度々アイネ様からお叱りを受けていたそうですし、辞めたのもそれが原因かと思われますが」
「……アイネ、か」
ユーリが何か考え込むような顔をしながら、指の先でトントンと机を叩く音が聞こえた。
「アイネの学園での様子はどうだ?」
「変わらず、リズリー様の噂をあれこれ吹聴されておるようです。そして使用人の一部は、何故かそれらを鵜呑みにしております」
「母上に叱られたというのに、懲りないな」
兄ユーリにとって、アイネは両親を亡くした可哀想な従妹で、前回の時はかなり溺愛していたはず。吾輩がここに来たばかりの頃も、どちらかといえばアイネの肩を持っているような雰囲気だったが、今では随分と変わったように思う。
なにか心境の変化でもあったんだろうか。
だって前回の時は一度だって、学園でのアイネの実態を調べたりなんかしなかったし。
もしかしたら単純に、女性として規範となるべき存在の母親がいることで、正常な判断ができているのかもしれない。
――これは思わぬ収穫だな。
これが女神の言っていた、小さな変化がもたらす大きな結果というやつだろうか。
その後ユーリと執事長は、領地の話がどうとか難しい話をし始めたので、吾輩はあくびを一つ寝入ることにした。
だって、リズに関係のない話には興味がない。
――それにここは、本当に、日差しが……気持ちいい。
吾輩はそのままぐっすりと眠りに落ちる。
そしてぷーぷー寝ていると、不意に聞こえた、コンコンというノックの音でパチリと目が覚めた。
「お兄様、いらっしゃる?」
「リズか。どうぞ」
ユーリの返答に、扉を開けて入ってきたのはリズだった。
ああ、もうそんな時間だったのか。
リズは帰ってきたばかりのようで、学園に行く時のグレーの制服を着たままだ。
「ミケランジェロが、お兄様の部屋にいると聞きまして」
「ああ、そこにいるよ」
「ニャーン」
――ここだよ、リズ。
ユーリが吾輩のいる窓辺を指差したので、吾輩は分かりやすく鳴いて返事をする。
「まぁ、本当にいたのね! ごめんなさい。お仕事の邪魔をしていないかしら」
リズが慌てたように窓辺に駆け寄り、吾輩を抱え上げた。
「いいや、まったく。ずっと静かに寝ていたよ」
「本当ですか?」
「ああ。俺の部屋は日差しがよく入るから、気に入ったのかもしれないな」
そう言って近くにやってきたユーリが、リズの頭を優しく撫でる。騎士団の奴らがリズに触ろうとするのはなんだか嫌だったが、兄はまだ許せるから不思議なものだな。
「まだ制服のままじゃないか。着替えてゆっくりしなさい」
「はい。ではまた夕飯の時に」
「ああ」
小さく手を挙げて応えるユーリに、リズは吾輩を抱えたまま制服のスカートの裾を片手で少しだけ摘んで、小さく淑女の礼をした。
「さぁ、行きましょうミケランジェロ」
「ミャウ」
――おう。
そうやって吾輩は、迎えにきたリズに抱かれてユーリの部屋を後にしたのであった。




