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◇ ◇
今日は休日で学園はないはずなのに、リズが朝から出掛けるための支度をしていた。
学園に行く制服でも、お茶会に行くための華やかなドレスでもない。かと言ってこっそり街歩きする時の平民風とも違い、質素ではあるが上品で綺麗な雰囲気のドレス姿である。
するとそのうち部屋をコンコンと誰かがノックする音がした。
ドアを開けて入って来たのは、大きなカゴを手に持った母親である。
「支度はできたかしら、リズ」
そういうリズの母親も、華やかすぎない上品なドレス姿をしていた。
身分の高い貴族の女性、という感じがすごくする。
「はい、お母様」
どうやら今日は、リズと母親で出掛けるらしい。
「ミャウ?」
――どこに行くんだ?
「今日は騎士団へ慰労に行くのよ。ミケも行く?」
「ミャウ!」
――行く!
吾輩が元気よく答えると、リズがうーんと真剣な顔をした。
「これはどうやら、行きたいみたいね」
最近はリズも吾輩の鳴き声で何と言おうとしてるかを、だいたいだが察せるようになってきた。頑張って喋ってきた甲斐があるってもんだ。
「あらまぁ。まぁどうせ敷地内ですし、問題はないでしょう」
母親がそう言ってくれたので、吾輩はカゴを持った二人の後を、遠慮なくトコトコと付いていった。
公爵家の大きな母屋を出て、薔薇の咲き誇る中庭の通路を通り抜けたその先には、公爵家の抱える騎士団の訓練場と宿舎がある。
ティファレイト公爵騎士団は、主に公爵家の人間の護衛を行っていて、有事の際には戦力となる存在らしい。領地のほうにある騎士団は、魔物討伐なんかもしているとかなんとか。
「アイネは結局来なかったのですね」
「ええ。お友達が来るから無理だそうよ」
中庭の通路を通りながら、母親が呆れたように息を吐く。
ガゼボのある辺りから、キャーキャー笑う声が聞こえてくる辺り、アイネはそのやってきた友達とお茶会をしているようだ。
「まったく。騎士団への慰労も高位貴族として大切な仕事だというのに」
騎士団への慰労訪問。
これは自分たちの抱える騎士団の実力を把握し、彼らに仕えるべき人間の顔を覚えてもらうために必要なものなのに、と母親が怒ったように鼻を鳴らす。
吾輩はそれを聞きながら、慰労訪問の時期に起きた事件について思い出していた。
前回の時、この騎士団への慰労訪問から数日後、リズに好意を寄せていたという下級騎士が夜中にリズの部屋に勝手に侵入した挙句、無理矢理一夜を共にするという事件が起きたのである。
騎士は自分とリズとは相思相愛なのだと嘘を並べられ、リズはそれを懸命に否定した。しかし、リズの言い分は兄にも父親にも聞き入れてもらえず「部屋に男を招き入れる淫らな女」とされてしまった。その結果、王太子との婚約も破棄となり、リズは一人離れに幽閉されてしまったのだ。
――でも、前回はもっと暑い時期だった気がするけどな。
前回の時は、母親が亡くなってリズも長く塞ぎ込んでいたし、兄に言われてようやく一人で慰労訪問に出掛けていたので、夏が終わりそうな時期だったはず。
今回は母親が生きてるし、暑くなる前の今くらいにやるのが本来の姿だったのかもしれない。
――となると、あの事件ももうすぐ起きることになるのか?
悶々と考えている間に、騎士団の訓練場がある場所に着いてしまった。
訓練場というには、なんだか静かな気もする。
母親が訓練場の門を開けると、訓練場の端のほうで騎士たちが雑談していた。
「あら、ちょうど休憩の時間かしら?」
「公爵夫人、そしてお嬢様も!」
吾輩たちに気付いた騎士団長カイエンが駆けよってくる。先日の事件の時にも調査に来ていた奴だ。
「騎士団の見学と慰労に参りました。こちらは皆さんで召し上がって」
母親がそう言って持っていたカゴを差し出す。するとそれに続くようにリズもカゴを見せる。
「こ、こちらもどうぞ、お召し上がりください」
「ありがとうございます。お気遣いいただき感謝します」
カゴを二つとも受け取った団長は、にっこり笑って一礼した。
見た目が大きくて、顔もなんだか怖い雰囲気だったが、存外丁寧な男らしい。
「こちらにお席をご用意いたしましたので、ぜひ我々の訓練を見ていってください」
「ありがとう、お邪魔するわね」
「お、お邪魔します」
団長の案内で訓練場の端に設けられた見学用の場所まで向かう。
吾輩もリズの後ろについて歩いていくと、見た目も厳つい屈強な騎士たちが物珍しげに吾輩を見ていた。
もちろん吾輩はそんなことでビビるような、柔な猫ではない。
リズと母親が用意された椅子に腰掛けたので、吾輩もその椅子の足元にぺたりと座る。
すると一人の騎士が話しかけてきた。
「リズリーお嬢様、もしかしてそちらの猫は、夫人の毒を見抜いたという猫ですか?」
「え、ええ。ミケランジェロというの」
「おお、この猫が……!」
騎士たちの数名が、物珍しげに吾輩にわらわらと近寄ってきた。
一人二人ならまだ良かったが、でかい図体の奴らがどんどん密集してきて、見るからにむさ苦しい!
「シャ――!」
――吾輩とリズに近寄るな!
吾輩は立ち上がると毛を逆立てて歯を剥き出しにして威嚇する。
するとさすがの騎士たちも驚いたようで、撫でようとしてきた手を引っ込めた。
「ご、ごめんなさい。慣れた人以外は苦手みたいで……」
リズがおろおろと弁明すると、騎士たちは笑顔で頭を掻いていた。
「いえいえ、お気になさらず」
「しかし、我々のような騎士たちに怯えないとは」
「ミケランジェロ殿は、リズリーお嬢様の護衛騎士のようですね」
騎士たちの言葉に、リズはクスクス笑って答える。
「……そうかもしれません」
「ニャウン」
――かもじゃない!
吾輩はふんっと鼻を鳴らし、地面に寝そべった。
それからは騎士団の訓練とやらが始まったので、剣の打ち合いや攻撃魔法の訓練などをリズたちと一緒にしばらく眺める。
吾輩は懸命に訓練に打ち込む騎士たちを一人ひとりじっくり見てみたが、どいつがリズの部屋に侵入した男なのかまでは分からなかった。
あの時の侵入者はフードを被っていたので吾輩の夜目でも顔まで分からなかったし、そいつを追い出そうと飛びかかったら返り討ちにあって気絶したので、残念ながら以降の記憶がない。
身長も体もそこまで大きくはなかったし、犯人は下級騎士だったはずだから、年若い男のはずだが、似たようなのが多くて見当もつかなかった。
しかし、本当に彼らの中の誰かがリズを襲うためにやってくるんだろうか?
騎士たちは見た目の割に悪そうな雰囲気はないし、リズと母親の持って来た差し入れをすごく嬉しそうに受け取っていたのだが。
――でも、事件は必ず起きる。
だってここは回帰した世界だ。吾輩が動いたせいで、色んなものがズレ始めているが、巻き戻る前に起きた大きな事件は必ず起きている。
そしてそれを知ってるのは吾輩だけ。
――リズは吾輩が必ず守るんだ。今度こそ!
騎士団の訓練を一通り見学し、その後リズと母親がそれぞれ騎士たちに労いの言葉を掛けて、慰労訪問は何事もなく終わった。
そうして訓練場から母屋に戻るために中庭を通っていると、庭師に呼び止められた。母親に何か用があるらしい。
「リズ、少し待っていてくれる?」
「はい、お母様」
庭師の後についていく母親を見送り、リズと吾輩は周囲に咲き誇る薔薇を眺めた。
この時期の薔薇はすごく香りが強くて、朝なんて窓を開けてると三階まで香ってくるくらいだ。もうすぐ太陽がてっぺんにくる時間だからか、匂いはだいぶ落ち着いている。
「綺麗に咲いているわね」
花は食べても美味しくないし、好きでもなんでもないが、綺麗に咲いているとリズが嬉しそうなので嫌いではない。
楽しそうなリズの顔を眺めていると、不意に花の匂いとはまた違う、ツンと鼻をつく独特の香水の匂いがしてきて、吾輩は耳をピクピク揺らす。
「あら、お従姉様じゃないですか」
声のしたほうを見ると、思った通りアイネがいた。こいつの香水の匂いは鼻が痛くなるから嫌いだ。
華やかに着飾ったアイネの隣には、負けず劣らず着飾ったアイネと同い年くらいの令嬢が二人。
どうやらアイネは遊びにきたという友人たちに、公爵家の薔薇庭園を案内していたらしい。




