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◇ ◇
気付けば寒かった冬が終わり、日差しの暖かい春がやってきた。
吾輩の体もすっかり成猫に近いサイズになり、リズの部屋の窓辺でまどろみながら、回帰する前の世界を思い返す。
以前の世界の今頃は、アイネに飼育放棄されてリズに助けてもらったこと以外、特に大きな問題は無かったように思う。もちろん、定期的にリズとアイネの間で何かしらあったようだが、小さかった吾輩はこの部屋の外に出られなかったので、その辺は分からない。
ただ、暖かくなってしばらくした辺りで、リズの一番の味方である母親が亡くなった。それ以降リズの評判はどんどん悪くなり、致命的な事件が起きた後、王太子との婚約も破棄。全てが悪い方向へ向かって、断罪まっしぐらになっていくのだ。
つまり、母親が生きている今は、まだ平穏な時期。
吾輩はごろんと体勢を変えて、再び日差しを堪能する。
それにリズとアイネは日中、貴族の通う学園に通っているので、吾輩は何もできないのだから、どうしようもない。
だが相変わらず、リズを『従妹を悪く言う悪女』と言う輩が屋敷の内外にいるらしく、侍女のキイラが時々吾輩に愚痴っていた。
――そこはリズにも少し非があるんだけどな。
リズはなかなか咄嗟に言い返すことが出来ない性分だし、口下手で人見知りなこともあってあまり社交的なほうじゃない。
一昨年までは、二つ上の兄ユーリと、リズの婚約者でこの国の王太子サミュエル・ディー・マルクトゥーラも学園にいたので、変な悪評が立つことはなかったようだ。
しかし昨年、アイネが貴族学園に入ってきてからというもの、使用人たちが妙な噂を口にするようになった。
『リズリーお嬢様は、従妹のアイネ様を学園で虐めているらしい』と。
例えば、元々はアイネのワガママで学園に通うための馬車を別々にしたはずなのに、リズがアイネと登校したくないから別々にしているとか、学園では綺麗な容姿で魅了した男子生徒を使ってアイネに酷いことをしているとか。
吾輩も成猫になったので時折屋敷内を散策するのだが、おしゃべりな使用人たちがそんな会話をしているのを度々見かけた。幸い吾輩をただの猫と思っているせいか、口さがなくペラペラと喋るので、リズがどのような扱いを受けているかを把握するのは簡単だ。
――いつかあいつら引っ掻いてやる。
もし人の言葉を話せたら、リズの母親や兄に告げ口してやるのに、それが出来ない吾輩は、やはりただの猫なのだ。虚しい。
リズの悪評をどうにかする方法も思いつかないまま昼食の時間が過ぎ、やはり変わらず窓から外を眺めて過ごしていると、公爵家の紋章をつけた馬車が一台屋敷にやってきた。リズかアイネのどちらが帰宅したのだろうか、とそわそわしながら待っていると、部屋のドアが開く。帰ってきたのはリズだった。
「ただいま、ミケ」
「ニャーン!」
――おかえり、リズ!
すぐに窓辺から降りて駆け寄ると、リズが優しく抱き上げてくれる。
「良い子にしてた?」
「ミャウ!」
――もちろん!
吾輩が答えると、リズがにっこり笑う。しかしその目元が赤いのを、吾輩は見逃さなかった。また馬車の中で泣いていたのだろうか。
ああ、吾輩も一緒に学園に行けたらいいのに。そしたら吾輩の愛嬌でリズに友達を作ってやって、嫌なことを仕掛けてくるアイネを引っ掻いて、学園でも守ってやれるのにな。
家で待つだけの猫とは無力である。女神様も、吾輩に解決を頼むなら、人間になれる能力を授けるとか、そういう気の利いたことくらいしてくれてもいいのに。
そんなことを考えながらリズの頬に額を擦り付けていると、コンコンとノックがして、誰かがドアを開けて入ってきた。
「お帰りなさい、リズ」
「あ、お母様」
入ってきたのは、この公爵家の女主人であり、リズの母親であるナタリー・ハーフェ・ティファレイトだった。
リズが年老いたらこうなるだろうな、というくらいにリズにそっくりだが、髪は茶色く瞳も新緑の葉っぱのような色をしてるので、そこだけが違う。まるで色違いのリズのようだ。
「あなたの元気がないようだと聞いたの。学園で何かあったの?」
「……いえ、たいしたことではないんです」
二人はそんなふうに話しながら、ゆっくりとソファに腰を下ろす。
するとすぐ気の利く母親の侍女がお茶の支度を始め、ソファ前のテーブルにあっという間にティーセットが用意された。
「もしかして、春試験の結果のことかしら?」
「……はい」
ポツポツとリズが語ることには、貴族学園の三年生になって最初の試験結果が出たのだが、一般教養や魔法学などの座学は学年で上位に入れたけれど、どうしても魔法学の実技でいい点が取れなかったのだそうだ。
そしてそのことを、たくさんの人がいる前でアイネに「恥ずかしい」と詰られたらしい。
「人前で身内を貶すなんて、公爵家として恥ずかしいことをしているのはどちらなのかしら」
母親が呆れたようにため息をついた。
「確かにあの子は両親を亡くした可哀想な子かもしれないけれど、それを言い訳にしていい期間はとっくに過ぎたわ。この家にいる以上、公爵家の人間として高位貴族のマナーをもっと身につけてもらわないとダメね」
「ですがお母様、私の魔力が少ないと言うのは、事実ですし……」
リズが苦しそうに言うのを見て、母親がギュッと抱きしめる。
「大丈夫よ。貴女は覚醒すればきっとすごい魔力を持った聖女になるわ。魔力がないからと諦めず、魔法学の試験で上位に入れるくらいの頑張り屋さんなのだから」
「……お母様」
「女神様はちゃんと貴女の頑張りを見てくれているわ」
「ニャーン」
――そうだぞ、リズ。
母親の言葉に同意するように吾輩が声を上げると、母親がにっこりと吾輩に笑いかけながら頭を撫でた。
「貴方もそう思う? ミケランジェロ」
「ニャウン」
――もちろんだ。
なんせこの世界は、リズのために一度巻き戻ってるんだからな。
吾輩が得意げに鳴いてみせると、母親もリズも楽しそうに吾輩を見て笑った。
それから、ああそうだ、と母親が何か思いついたような顔で手を叩く。
「ねぇ、あったかくなったし、明日は庭でお茶会をしない? 美味しい茶葉をいただいたのよ。試験の結果がよかったお祝いも兼ねて」
「まぁ、素敵ですね。では、ミケも一緒にいいですか?」
「もちろんよ」
そう言って二人が楽しそうに笑い合うのを見て、吾輩はハッとする。
――お茶会! そうだ、この時期だ。
前回の時は、あったかくなってしばらくした頃、リズの母親が庭でお茶会をしている最中に突然倒れ、そのまま亡くなったのである。
リズはショックでしばらく学園を休み、吾輩はそばでずっと慰めていたが、以降心から笑うことはなくなったように思う。
しかも学園を休んでる間、アイネが『リズのワガママで開いたお茶会のせいで母親が死んだ』と触れ回っていたらしく、そのせいで余計にリズの立場が悪化した。
リズの悪評を止めるためにも、お茶会で母親を助ける必要がある。
――それに、リズがあんなに悲しむ顔は、もう見たくない。
吾輩はそう決心したのであった。




