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カラスみたいな真っ黒な髪に、リズと同じ夕日のような赤い目をした背の高い男。リズの兄、ユーリ・ヘルツ・ティファレイトだ。
「お、お兄様。これはその……」
「お従兄様、聞いてください! お従姉様ったらひどいんですよ!」
リズが話そうとしたのを遮るように、アイネがそう言って階段を降りてきたユーリに駆け寄る。
「猫を助けに外に出たせいで濡れてしまったというから、私の風魔法で乾かして差し上げようとしたんです! そしたら有り余る魔力のせいで失敗してしまって……」
アイネがうるうると目を潤ませて、ユーリにそう訴えていた。
おいおい、男に媚びるのは恥なんじゃなかったのかよ。
ユーリは頭を抱えるように短いため息をつくと、パチンと指を鳴らす。すると温かい風がリズをふわりと包み込むように吹き抜けて、服を一瞬にして乾かした。さすが公爵家の次期当主、魔法もお手のものである。
「リズ。お前の服は乾かしたが、部屋に戻ったらちゃんと着替えるように」
「は、はい。……ありがとうございます」
「そしてアイネ。使い慣れていない魔法を、無闇に人に向けるんじゃない」
「はぁい♡」
リズが一礼したのに対し、アイネは怒られたくせに反省などしてもいないようだった。
ユーリはもう一度ため息をつく。
「……リズ、お前の魔力量では理解できないかもしれないが、大きな魔力の操作はとても難しいんだ。アイネも悪気はないのだから、叱責などしないように」
「はい、分かっております。 ……失礼します」
リズはそう言ってもう一度頭を下げると、吾輩をギュッと抱きしめて階段を駆け上がる。
「さすがお従兄様ですわ! もしよろしければ、今度のお休みに魔力操作について教えてくださいませんか?」
「ああ、構わないぞ」
「やったぁ!」
階段の下で交わされるユーリとアイネの楽しそうな会話がだんだん遠ざかって、そのうち聞こえなくなった。
「ああもう! ムカつく〜〜!」
リズの部屋に入り扉を閉めた途端、侍女のキイラが地団駄を踏む。
「なーにが『魔力が有り余ってるから失敗しちゃいましたぁ♡』よ! ユーリ様もユーリ様です! あの女の言い分ばっかりお聞きになって!」
「仕方ないわ。私の魔力量では、理解できないことなのは本当だから」
「リズ様……」
この世界では高位貴族であればあるほど、優秀な魔法の使い手であるのが当たり前。リズのような平民以下の魔力量では、周りに侮られても仕方がないのである。
ただ、リズには一つだけ希望があった。
「大丈夫よ、キイラ。『聖女覚醒の儀式』で聖女になれば、魔力量が上がると言われているし。そうしたらもう少し、まともな魔法も使えるようになるはずよ」
代々ティファレイト公爵家に生まれた女性は、十八歳で成人となったら『聖女覚醒の儀式』というものを経て、女神の代行者でもある 『聖女』になれるのである。
もちろんそのためには、金髪か赤目という『女神の容姿』のいずれかを持っていないといけないという条件があるのだがな。
ただリズの場合、珍しくその両方を持っていたから、持っている魔力量が極端に少なくても、幼い頃からすごく期待されていたらしい。
――ま、リズの場合は本当にすごい大聖女になる素質があるんだけどな。
なんせ運命の女神様が、時間を巻き戻してでも聖女にしたいと思ってるほどなんだから。
出来ることならそれを伝えてやりたいけど、ただの猫である吾輩はリズの腕に額をすりすりと擦りつけて、慰めるしかできないのである。
そんな吾輩を見ていたキイラが、ああそうだ、という顔をした。
「そういえば猫ちゃんたらやるわね! あのアイネ様に攻撃するなんて! あれは正直スカッとしたわ。ああ、いい気味!」
侍女のキイラが嬉しそうに吾輩の頭を撫でた。
ふふん、そうだろう、そうだろう。吾輩は胸を張り、キイラの手に頭を押し付けた。
しかしリズは少し困ったように笑うだけである。
「もう、キイラったら。そんなこと言ってはダメよ」
そう言ってキイラを窘めると、今度は吾輩を自分の顔の前まで持ち上げて、眉の端を上げた。
「そして猫ちゃんもよ。無闇矢鱈と人を引っ掻いてはダメ」
「……ミャウ、ミャウアウ」
――そんなことは分かっているが、あの女は嫌いなんだから仕方ないだろう。
吾輩は懸命に言い訳をしてみたが、残念ながら猫の言葉は人間には分からない。ああ、まったくもう、もどかしい!
しかしリズもキイラも吾輩の声はミャウミャウしか聞こえていない割に、なんだか目を丸くしている。
「なんだかおしゃべりな猫ちゃんね」
「きっとこの猫にも、アイネ様の性根の悪さが見えたんですよ。それを言い訳してるんじゃないですか?」
「ミャウ!」
――その通りだ!
吾輩が元気よく返事をすると、リズとキイラは顔を見合わせた。
「……本当に、人間の言ってる言葉がわかるんじゃないですか?」
「そうかもしれないわね」
二人は驚いた顔をそのうちふふっと笑顔にして、着替えをしましょうか、と吾輩をソファにおろすと、部屋の端にある衣装部屋へ行ってしまった。
一匹残された吾輩は、ソファの上から室内をぐるりと見回す。
室内は見覚えのある大きなベッドのほかに、細工も豪華な沢山の調度品があちこちに置かれている。花が好きなリズらしく、ドアの近くから窓の周辺に至るまで、あちこちに花瓶があるのも特徴的だ。
これらの品々は、リズの立場が悪くなっていくに連れ、華やかなものから順に姿を消していったのを覚えている。ここまで華やかな状態は、吾輩がここにきたばかりの頃くらいだろう。
――吾輩は、本当に過去に戻ってきたのだな。
室内を見回していると、ベッドの奥のほうにある壁に一際大きな絵画がかかっているのを見つけて、吾輩はソファから飛び降りるとそちらへ向かう。
人物と果物、そして猫が写実的に描かれた『ミケランジェロ・バウ・オムール』という人物の描いた絵画。リズが大好きだった画家で、この屋敷のあちこちにもこの画家の絵は何点か飾ってある。
「あら、猫ちゃんたら。仲間を見つけて気になったのかしら」
じっと絵画を見上げていると、着替えたリズがやってきて吾輩を抱き上げた。リズの腕の中からだと絵がよく見える。
「そういえばこの猫ちゃん、お嬢様の好きなこの絵の猫にソックリですね」
「あら、そういえばそうね」
リズが嬉しそうな顔で吾輩と絵画の猫を見比べる。
確かに前足の先や鼻周りが白いのは似ているが、吾輩の方がかっこいいはずだ。
まぁまだ子猫なので、リズからするとどちらも可愛いになるだろうが。
「この絵の猫に名前はないんですかね? あったら猫ちゃんの名前によさそうですけど」
「そうよねぇ。でも、たしか記録には『猫』としか残ってなくて」
この絵を描いた画家は結構な昔に亡くなっているらしく、画家が好きなリズは彼の半生について書かれた本などもたくさん読んでいた。そのリズが言うのだから、この絵の猫は名無しなのだろう。
「でも本当にソックリだし……彼の名前をもらって『ミケランジェロ』にしようかしら」
そう言ってリズがにっこり笑った。
名前をもらったこの瞬間を、吾輩はよく覚えている。
――ああ君はまた、吾輩にその名前をくれるんだな。
嬉しいと同時に、今いるここが過去であることを思い知った。
「いいですね」
「よろしくね、ミケランジェロ」
「ミャウ!」
――よろしくな、リズ!
もし吾輩がこのまま何もしなければ、未来はあの寂しい牢獄へ繋がるのだろう。
せっかく時間を巻き戻すという、あり得ないチャンスをもらったのだ。
――今度こそ、寂しい思いはさせないぞ!
吾輩はこちらに笑顔を向けるリズにそう誓った。




