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「あっちに行ったわ!」
「はやく捕まえて!」
今日の吾輩は、朝からアイネの侍女たちと数人の使用人に、屋敷の周辺を追いかけ回されていた。
もちろん、アイネの仕業である。
他人への譲渡は失敗、毒の餌もダメときて、今度はどうする気なのかと思っていたらこの様だ。
ちょうど今日は、リズが朝から王太子妃教育のため王城へ行く日。そして公爵夫婦が数日のうちに王都へ帰ってくると連絡がきたそうなので、ラストチャンスだったのだろう。
――まったくいい迷惑だ。
リズが出掛けるのを見送った後、中庭のガゼボでのんびりと過ごしていたら、いきなり泥水をぶっかけられたのである。
「まぁごめんなさい! 汚れちゃったわね、ミケランジェロ。洗ってあげるからこっちにいらっしゃい」
声のしたほうを見れば、分かりやすく首輪と檻を携えたアイネが、たくさんの侍女を従えて、ちっとも申し訳なさそうな笑顔でそこにいた。
腕まで組んで、謝罪をする気が微塵も感じられない。
「……ミャーウ」
――誰が言うことなど聞くものか。
吾輩はすぐにくるりと背中を向けて、中庭の方へと駆け出した。
「逃げたわ! 捕まえて!」
こうしてアイネの掛け声で、侍女たちと吾輩の敷地内追いかけっこが始まったのである。
薔薇の咲き誇る中庭の通路を、西へ東へ駆け回り、そのうちたどり着いた騎士団宿舎を囲む塀の上を伝って裏庭へ移動した。裏庭の奥には厩舎があるので、そこの屋根にでもいればいいかと思ったが、侍女たちが諦める様子はなく。
そのうち汚れた吾輩が逃げ回っているのは良くないと、無関係の使用人まで巻き込んで追いかけてくる始末。
――本当、厄介なやつらだ。
もちろん吾輩は賢いので、屋敷の中には一切入らない。泥だらけのまま母屋に入れば「屋敷を汚して回った悪い猫」「公爵家に相応しくない」と文句を言って追い出す口実を作ってしまうからな。それこそアイネたちの思う壺である。
そんなわけで、吾輩は中庭や裏庭、厩舎の周辺などを中心に、敷地内にある母屋の外側だけをひたすら走り回った。
しかし、さすがに大人数に囲まれては逃げ場がない。
最終的に吾輩は、屋敷で一番背の高い木の上に駆け上ったのであった。
その後、アイネが風魔法で吾輩を捕まえようとしていたが、まだこの高さまでは届かないらしい。
高い位置からはアイネが悔しそうに地団駄を踏む様子がよく見えた。残念だったな。
一先ずコレなら大丈夫だろうと、リズが帰ってくるか、ほとぼりが覚めるまで大人しく木の上にいようと思い、枝の上に陣取った。
太陽が天辺を周り、昼食の時間も過ぎた頃。
不意に木の下のほうが妙にガヤガヤと騒がしくなる。そちらを見れば、アイネと侍女たちの他に、騎士団の魔法使いが見えたのだ。
――猫なんかのためにご苦労だな。
どうせ「降りられなくなったみたいなんです」とかなんとか、そんな理由で連れてきたんだろう。自分たちが追い回したせいだなんて、きっと言ってないんだろうな。そういう奴らだ。
すぐに魔法使いは詠唱を始め、吾輩のいた木の枝をズバッと魔法の風でうまい具合に切り落とす。
ふわりと体が空中に放り出された。
どこか世界がゆっくり動いているように見える。
その瞬間にも吾輩は、落ちていく体を翻して別の枝に掴まろうと前足を伸ばした――が、そこをアイネが操る風魔法に捕まってしまった。
「ミャウン!」
――ちくしょう!
ジタバタ暴れてみるが、実体のない風をただの猫である吾輩がどうこう出来るわけもない。
「ふふ、ようやく捕まえましたわ♡」
風魔法で捕まえた吾輩を、そのまま金属でできた檻に放り込んだ時のアイネの顔は、それはそれはもう、悪人らしい笑顔だった。
「ミャウアウ!」
――このやろう!
檻の中でシャーシャー威嚇し、柵の隙間から前足を出してその顔を引っ掻いてやろうとしたのだが、残念ながら空振りに終わる。くそう。
そんな吾輩のことなどお構いなしに、アイネは檻を抱えたまま嬉しそうな顔で周囲を見回した。
「みなさん、お騒がせしてすみません。ご協力ありがとうございました。ミケランジェロは私が綺麗に洗っておきますので」
アイネは使用人や魔法使いたちに礼を言うと、屋敷内にある浴室のほう――ではなく、思った通りに裏門のほうへと足を向ける。
「うふふ、安心なさい。これでこの家もすーっかり綺麗になりますわ」
まるで吾輩をゴミか汚れのように言いやがって。
なんとか檻から脱出できないかと暴れてみたが、鉄かなにかでできているらしい檻はびくともしない。
カタカタと揺られながら外を見ると、屋敷の外側をぐるりと回って、裏門がもう見えるところまで来ていた。
「……ミャウ」
――ここまで、か。
せっかく。
せっかくリズが生き残る道筋が見えてきたところなのに。
吾輩はリズが立派な聖女になる姿を見届けられず、このままどこかも分からない場所に連れて行かれるか、殺されてしまうのか。
すっかり観念した、その時だった。
「アイネ! どこへ行くんだ!」
背後から聞き覚えのある声。
檻を持ったままのアイネが、そのままゆっくり振り返ると、裏門に一番近い屋敷のドアが開け放たれ、そこに息を切らしたユーリがいた。




