第四章 決断
松田重雄の通夜は新港町の北にある斎場で行われた。受付で記帳して香典を渡した。係の男に案内されて中に入った。会社の仲間や大西所長、工事部長の顔が見える。大西所長と何人かの仲間が目で挨拶をしてくれた。順番を待ち焼香する。
祭壇の遺影の中で松田さんが笑っていた。どこで撮った写真なのか、見たことのない笑顔だった…
現場の詰め所でオレは納品書を広げていた。大西所長が向かいに座っている。
「資材の件ですがコンクリートの配合材料、セメントの量が設計より一割ほど少ない。それからボルトの本数も——ここと、ここが規定数を下回っています」
「規定を大きく外れているわけでもない。そんな心配いらんよ、うちはこれくらいでずっとやってきてるから……」
「でも、何か起こってからでは……」
「本村くん、前もそんなこといってたようだが、ウチは建設会社といっても東方(建設)さんあっての下請けなんだからね、うまくやりくりしていかんと社員を食わせていかんのよ」
「……」
詰め所を出ると職長の松田さんが駆け寄ってきた。
「本村さん……」松田さんはそういってすぐ目線を外した。言葉を探しているように見えた。
「あんたのことはみんな認めてるんだ...若いのに力はあるし図面もしっかり見れる、これからもオレたちとうまくやって行けると思ってる。だからもう所長に余計なこといわないでほしいんだ」うつむいて小さな石をひとつ蹴る。
「オレんとこは嫁の母親も同居しててさ、子供も娘がひとりで女ばっかで毎日うるさくて敵わないんだけどさ、それでもオレのこと頼りに思ってくれてる...今の会社の待遇にも文句ないし、ほかのみんなもそう思ってるんだ、だからさ……」
自分の親くらいの年齢の男に、精一杯の気遣いをさせていることがたまらなかった。
黙ったまま二回頷いて見せた。
その日の朝は先に病院に寄り遅れて現場に入った。天気はよくみんなもいつもの表情だった。何かを感じるようなこともなかった。
詰め所で図面を広げ、梁と配管の納まりを確認していた。
突然、扉が開いた。息を切らせた作業員の平田さんが立っていた。ヘルメットが少しずれている。
「所長!ま、松田さんが……」
詰め所を飛び出した。何も考えることができなかった。
足場の下に行くと人だかりができていた。救急車はまだか!の声、行き交う人たち、一瞬空が黄色く見えた。
松田さんは病院に運ばれて間もなく亡くなった。十五メートルぐらい上から落ちたらしい。何が起こったのか、みんなに聞いてもよくわからない。ただ足場はしっかりと保たれていた。それは間違いなかった。風が強かったというのも聞いていない。
あの松田さんがもういない…どう感じればいいのかわからなかった。
読経の力強い声が聞こえる。薄明かりの中、線香の匂いに少し気分が悪くなり近くにあった椅子に腰掛けた。疲れやすくなった。息切れがして微熱がいつもある。
──心配しなくても大丈夫さ、さっき部長さんも精一杯のことさせてもらいますっていってたろ
斜め右の席にいる二人。ひとりは松田さんの奥さん、もうひとりは母親か?また声が近くに聞こえてくる。
──あいつはホント飲む打つ買うでろくに金入れなかったからね!
──でも、いい死に方してくれたじゃないか、生命保険の方もあるんだろ?これからいい暮らしができるよ
──冴子もいい学校入れてやれそうだし、あたしヨーロッパとか行きたいわ...
──どこでも行けるよ、あたしらついてるねぇ...
「何だね、これは?」差し出した辞表を見て大西所長がいった。
「申し訳ありません。一身上の都合で…」
「松田のことは君の責任じゃないし、現場に問題があったわけでもない。不運な事故だったんだよ」所長は引き出しからタバコとライターを取り、タバコに火をつけた。しばらくライターをもて遊んだあと目を上げていった。
「本村くん、君はよくやってくれている。みんなも君を信頼しているんだ。いきなり辞めるといわれたら...」
「いきなりじゃないんです...もう前から体が動かないんです。これからもっともっと悪くなっていくやつで…」
「何だ、そんなに悪いのか?何故もっと早くいってくれなかった」
「すみません、でももう限界が来ています。今日限りで辞めさせてください。詳しいことは西にある瀬戸中央病院に問い合わせてもらえばわかります。失礼します!」
呼び止める大西所長の声を振り切り詰め所を飛び出した。何人かの職人が不思議そうに見ている。
白瀬川のあの土手まで何も考えずに走った。息が切れめまいがする。何とか土手に辿りつき倒れこんだ。
仰向けになって深く息をする。空が色褪せて見えた。
病気のことはいうつもりなどなかった。もっといいたくないことがあった。誰も理解してくれないだろう。
家族という世界、世間という毎日、自分なりに当てをつけてやってきたつもりだった。でも何もわかっちゃいなかったんだ。
「亜希さぁーん、亜希さぁーん」
トシキか?あわてて立ち上がる。相変わらずのヘンテコ自転車で走り寄ってきた。
「ここ好きっスねぇ、仕事休みですか?」
「……今日はちょっとヤボ用があってさ、それより花屋行ってたのか?」
「そうなんスよ、これ見てくださいよ。いいでしょ!」
手にした白と薄桃色のコスモスを持ち上げた。
秋の陽を受け花びらが淡く光って見えた。
「マリアさんがね、コスモスは秋の風を部屋に連れてくるっていうんですよ。気に入っちゃいまして、何かあの人詩的なんスよねぇ」
「あれから、どれくらい通った?何かわかったことあったか?」
「あの次の日さっそく行って、とりあえず白とオレンジの菊買ったんスよ。マリアさんが菊は秋の花の王様よっていうもんでね。そして次の日また行って『あの花、彼女にあげたらすごく喜んでくれた』っていって『自分も何か欲しい』っていってグラジオラス買って、またカメリア買って今日はこれ、部屋が花だらけになっちゃいました」
「そうか、かかった金また渡すからな……」
「いや、そりゃいいんですよ。花瓶なんかも買っちゃいまして、花っていいなぁなんて目覚めたというか...」
「それで、どんな感じだ?」
「いや、あの親子本当にいい人たちで、擦れてないっていうか一緒にいると癒やされますね。カルロもすごく心開いてくれてけっこういろいろ話してくれました。お父さんとマリアさんがフィリピンで知り合って結婚したとか、自分が生まれて間もなくお父さんが亡くなったとか...あっマリアさんが心臓の病気で高い薬がいるみたいで内田って人から金を借りてるようです。週に一回ぐらいお金を返しに行ってるみたいです」
「週に一回?どこに」
「一度わからないようにつけたんですが、南浜町入ってすぐくらいにその内田って人の金融関係の事務所みたいなのがあって、そこに入って行きました。三十分ぐらいで出てきて、まっすぐ帰りましたね」
「そりゃ、ご苦労さんだったな」
「週に一回って多すぎませんか?何か他にあるんスかね?」
「……」
「あ、それから亜希さんがいってた男かな?痩せた色黒の男、寺島さんって呼ばれてました。確かに見た目は怪しい感じですけど差し入れに果物とか持ってきてくれてね、話してるの聞いてるとそんな悪い人じゃない気がしましたけど」
「……トシキ、時間あるか?」
「えぇ、いいですよ」
「その内田ってヤツの事務所まで連れて行ってくれるか?」
「はい、わかりました。じゃ、またこれ乗ります?」
「悪いな、頼むよ」
何か思いついたわけじゃなかった。でももう考えている時間もない気がしてきた。




