5 異界の麗人
桜井美和との一戦の会場は、いつもの公式戦とは違って、大きくはなかった。その中にこもったむき出しの熱気と雑多なざわめき――その飾らなさこそ、アリシアが求めていたものだった。
「三冠王——アリシア・ストーン選手の——入場ですっ!!」
リングアナの声が響く。ライトが入場通路を鋭く照らし出した。アリシアはゆっくりと歩き出す。
いつも通りの白いTシャツに赤のショートパンツ。一歩踏み出すごとに、観客の拍手が大きくなっていく。
リングサイドに立つと、アリシアは深く息を吸い込んだ。——久しぶりの、高揚感。
「今日だけは……好きなようにさせてもらうわ」
ロープを掴んでリングへと滑り込む。対戦相手、桜井美和とはいったい何者なのか。
「続きまして——桜井美和——選手のー入場でーすっ!!」
アリシアは遠く、対戦相手が現れるゲートのほうをじっと見つめる。いよいよマネージャーも調べきれなかった選手が姿を現すのだ。
「……⁉」
現れたのは、紫色の和服をまとった女性だった。
淡い藤色の訪問着には無数の桜花が散りばめられ、袖口から裾にかけて柔らかな花模様が流れている。帯は黒地に金糸の花模様が織り込まれた豪奢なもので、その中央には紅色の飾り紐が結ばれていた。
艶やかな黒髪は腰近くまで伸び、後ろの高すぎない位置でゆるやかにまとめられている。まとめ髪には薄紅色の花の髪飾りが添えられ、その先から小さな飾り房が揺れていた。
「……これが、桜井美和……」
その美和の横には、同じく和服姿の小さな少女が付き従っていた。
少女は年の頃なら十歳前後だろうか。淡い生成り色の着物に黒い帯を締め、肩の辺りで切りそろえられた黒髪を小さく結んでいる。華やかな美和とは対照的に、飾り気のない装いだったが、その所作には妙に落ち着きがあった。
背中には丸めた赤色の敷物を背負い、両腕では大きな木箱を大事そうに抱えている。少女は決して前へ出ることなく、美和の半歩後ろを歩き続けていた。
紫の和服の女性は、その少女の歩調に合わせるようにゆっくりとリングへ向かう。それは、プロレス会場にはあまりにも場違いな二人だった。
最初はざわめいていた観客たちも、美和の異様な雰囲気に押されるように、次第に静かになっていく。
「……フリーの試合とは聞いてはいたけれど、『フリー』っていうのは、格闘技の試合を自由な形式で行うという意味じゃなくて、自分の得意なものなら何でもいいという意味の『フリー』ってことなの……?」
もしそうだとすれば、三冠王も王者のベルトも役にも立たない。マネージャーの勘違いで自分はとんでもないところに足を踏み入れてしまったようだ。
そんな戸惑っているアリシアに構うことなく、美和はゆっくりと進んできた。そして当然のように四角い舞台の前にたどり着く。少女の手を引いて階段を上がり、ロープを広げて先に通した。その後、自分もロープをくぐる。長い袖を軽く持ち上げ、引っかからないよう滑らかに身を通した。
「初めまして。アリシア・ストーンさん。本日はよろしくお願いします」
紫の和服の女性は、深々とお辞儀をした。長い黒髪が垂れる。
「わ、わたしこそ、よ、よろしく、おねがいします」
アリシアも美和と同じように、日本の流儀に従って深々とお辞儀をする。
試合相手の中にはリングに上がった時点で不貞腐れているか、ひどいものになると最初から噛みついてくる者もいる。その闘志は大いに買いたいところではあるが、こちらもそれなりに応じてきた。もっとも、威勢のいい相手ほど、いざ始まるとあっさり負けてしまうのだが。だから逆に、美和のように礼儀正しく挨拶されてしまうと、無下にするわけにもいかない。




