4 未知との対戦
せっかくの『転地療養』も何も得ることもないまま、終わるのか……、そんな風に思いつつ、今日もホテルのベッドで寝ころんでいたところ、マネージャーがやってきた。
「アリシア、これに出てみるかい?」
「なに?」
アリシアは気だるそうに視線だけを向けた。
「とあるフリーのタイトルマッチでな。一人、棄権が出て、穴埋めとなる人物を探しているそうだ」
「ふうん……。別に一つくらい仕事が増えても構いわしないわ」
それほど乗り気でもなかった。ただ、ホテルでごろごろしている身には、軽い暇つぶしにはなるだろう。
「それで、対戦相手はどんな人?」
「桜井美和、と言うんだ」
「聞いたことないわね」
日本に来る前に主要な選手については調べたし、何人かはすでに実際に会ってもいる。
「団体には所属していない選手でね。今度の大会は、そういう選手も出る試合なんだ」
「……フリーの選手ってことね」
「まあ、そうだな。ただ、相当な実力者のようだ。とあるベルト王者と対戦して勝ったという記録もある」
「ふぅん」
ベルト王者に勝ったと聞いても、今のアリシアはさほど気を惹かない。まあ、自分だって、そういつも勝てるわけではないし。
「分かったわ。じゃあ、出場するから、手続しておいて」
「了解」
その時のマネージャーが、この対戦に妙な引っ掛かりを覚えていたことに、アリシアは気づいてはいなかった。
桜井美和との対戦の前日、マネージャーは困った顔をしてアリシアのもとに訪れた。
「今度の桜井美和と言う選手、どうも妙なんだ」
「妙、ってどういう意味?」
「桜井美和についての情報と言うのがほとんど出てこないのだ。団体に所属していないというのが大きいのだが、試合数が極端に少ないんだ。でも、決して不人気だとか、実力がないというわけではない。一部の目の肥えたファンには、かなりの好評だ。それでいて、試合内容についてはほとんど出てこない」
「へえ。それは変ねえ」
アリシアも久しぶりに自分の対戦相手に興味を持った。何しろ、マネージャーの選手調査の腕前は相当なものなのだ。いくら異国の地とはいえ、その彼が情報が集められないと嘆くのは、どういうことだろう。
「まあ、美和についてというよりも、まず、美和の対戦相手の情報が少ないと言ったほうがいいかもしれないな」
「どういうこと?」
「大抵は試合の後、選手は勝っても負けても、一言か二言は何か求められるだろ。ところが美和と闘った選手は、ほとんどがコメントを残していない。それに、しばらく日がたってから、当時の試合を語ることもあるだろうが、彼女と対戦した選手は、なぜか、引退したり行方不明になっている者が多いんだ」
薄気味悪いことを言う。
「でも、桜井美和は、試合数自体が少ないんでしょ。ベテランの選手と闘うことが多かったとか」
アリシアは考えられる可能性を挙げてみる。
「まあ、そうかもしれないな。勿論、対戦相手のコメントが全くないわけではない。ただ、その内容がどれも、妙に薄いんだ」
「薄い?」
「ああ。普通なら、『あの技がすごかった』とか『あそこで流れを失った』とか話すだろう。ところが桜井美和と戦った選手は、『強かったです』とか『完敗でした』とか、そんな話しか出てこない」
「なんなの、それ?」
もう少し、ましなことは言えないのか。そんなの、新人選手だって口にしない。
「私もそう思ったよ」
「選手が駄目なら、試合を観た人のコメントとかはないの?」
「それが、これまた数が限られていてね。『震えるような試合だった』とか『二度と見たくない最低な試合だった』とか両極端なのしかない。しかも、技や具体的な試合展開については、誰もまともに語ってくれないんだ。」
「ふぅん……」
「なんだかプロレスの試合というよりも、何か別のものを見せられた、みたいな感想ばかりなんだよ」
それからマネージャーは少し声を落として言った。
「桜井美和については語ってはならないという暗黙の掟でもあるのか、とすら思えてくるよ」
「まあ、あなたにしてそこまで言わせるだけ、桜井美和っていう人、すごいってわけね。いいわ、リングで本人に直接、聞いてくるから」
アリシアは勤めて明るい口調で言ったが、心の中は期待の一方で、若干の薄気味悪さもあったのだった。




