11 一期一会
扉が閉まった後も、数十秒ほどは会場は静まり返っていた。美和の髪飾りにかけていた手もそのままになっていた。
止まったままの観客席が、少しずつにぎやかになってきた。先ほどの出来事は何だったのか、とらえようと口々にしゃべりだす。
「なんか、すごい声が聞こえたんだけど…」
「あれ、アリシアだったの?」
「なんか、イケメンとデート、とか言ってなかった?」
「逃げたんだ」
「烈火の女王が、試合放棄? 何それ?」
観客の声は次第に不満になり、騒がしくなってくる。しばらくして、場を収めようとリングアナウンサーの声が流れた。
「え〜……ただいまアリシア選手が……リングから退場いたしました。規定により、この試合はアリシア選手の棄権とみなし……桜井美和選手の不戦勝といたします」
観客席では、メインイベントがこんな形で終わったことに、不満が募るばかりだった。
髪飾りをつけなおし、髪を整えおえた美和は、リングアナウンサーからマイクを借りた。
「皆様、本日は、せっかくお越しいただかいながら、このような形になったこと、お詫びいたします。その代わりに、私の舞によって、皆様の心を少しでも和らげることができれば幸いです」
会場に静寂が訪れる。観客たちは固唾をのんでリング上の美和を見つめていた。
美和は懐から扇子を取り出してゆっくりと広げる。紫の生地に、金箔の蝶が描かれたものだった。それを垂直に伸ばして持ち、最初は音もなく、滑らかに体を移動させる。それから、扇子を持った腕が、弧を描き始める。ひらり。ひらりと。
観客たちは美和の鮮やかな動きにくぎ付けになっている。もう、誰も、先ほどの騒動は気に留めていない。
舞を舞いながら、美和はさきほどまで燃えつつあった闘志の炎を静かに落ち着かせる。静かに腕を動かしつつ、アリシアの先ほどの一連の動きを思い返していた。
(本当の勝者はアリシアさんですよ……)
アリシアが素っ頓狂な声を上げたとき、自分には確実に隙ができていた。その瞬間を、アリシアは見逃さなかった。コーナーの外に向かう瞬発力、リングから飛び降りるジャンプ力、そして、その後の走り抜けるスピード。どれも驚異的な身体能力だった。もし、リングの外ではなく、内側にいる自分へ飛び込んでいたなら、致命的な先手になっていたのは間違いない。
リングに上がってからずっと、アリシアの炎のように熱く、氷のように冷たい目を美和は感じていた。どんな些細な兆候も見逃すまいという視線。それを受けながら、美和はいつにない身が引き締まる思いを感じていた。この試合は、存分に力を尽くせるものになりそうだ。しかも時間無制限である。
美和は、試合でどのようなことになっても受け入れる覚悟を持って、常にリングに上がっている。ただ、アリシアは違う考えがあるようだ。それはそれで、尊重すべきだ。美和は、心の底でたぎっていた闘いの熱をそっと冷ました。
(それにしても、アリシアさん。身体能力も素晴らしいですが、あんな奇策を打ってくるなんて、なかなかの方ですわ。また、お会いしたいものです……)
もっともリングの上での勝負だけは、確実に拒まれるだろう。だけど、格闘技でなければ、付き合ってくれるかもしれない。例えば将棋なんてどうだろうか。アリシアさんの国にもチェスと言うのがあるそうだが、あれは将棋とルールがかなり似ているそうだし…。そんなことを思いつつ、美和は舞っていた。




