第一話『夢幻的な目覚めと眠り』
瞼を上げると、見慣れない木の天井があった。
ぼうっとする頭のまま、ウェーブがかった髪を揺らして起き上がる。
暖色の光に灯される空間を見渡して、新緑の瞳を瞬かせた。
どうやら、少女は見覚えのない部屋で眠っていたらしい。
不安に駆られて、ベッドから降りようと、身を包むシーツを掴んだ腕と動かした足に違和感がある。
服を捲ると、包帯が巻かれていて困惑した。
窓のカーテンを少し開いて覗いてみると、とっくに日が沈んでしまって外は真っ暗だった。
部屋から出ようと扉に駆け寄って、ドアノブに手を伸ばす。
けれど、ピタリとその手を止めた。
ここから出て大丈夫だろうか、と不安がよぎる。
なにがあるか分からないし、どうすればいいのかも分からない。
胸の前で手を握りしめて立ち尽くしてしまった。
──張り詰めていた緊張が緩んだ瞬間、お腹がぐう、と情けなく鳴った。
そこで初めて、そばにあった机の上の料理に気がついた。
パン、スープ、果物、水が入ったグラスとポットが並んでいる。
喉の渇きと空腹が限界で、それに飛びつくように口にしてしまう。
グラスの水を一気に飲み干して、パンを頬張り、野菜の入ったスープで潤して、瑞々しいブルーベリーの甘みと酸味を味わった。
食事を終えて満たされた気分のまま、ポットからグラスに移した水を飲んでいると──。
ドシ……ドシ……。
重々しい足音が近づいてくるのが聞こえた。
──コンコン。
ノックの音が響く。
ビクリと肩を震わせて、急いでベッドの陰に身を隠した。
「驚かせてごめん、森で倒れていた君をここに連れてきたのは私なんだ」
緊張で、言葉を発せられない少女を察しているのか、声の主はそのまま続ける。
「食事は食べられたかな。急がなくて大丈夫だから、終わったら食器を扉の外に置いておいてくれると助かる。あと、体を拭くものを用意したから使って。もし良ければ、着替えはベッド横の台にあるものを」
音が聞こえてきそうなほどの激しい鼓動と、扉の向こうの少しの沈黙。
「……それから、私はクマだ。君とは姿が違うから怖いだろうけど、君を傷つける気はない。安心してほしい」
なにかあれば呼んで、と言い残して足音が遠ざかっていく。
ほっとして、肩の力を抜いた。
抑揚がない、でもそれは冷たい印象ではなくて、落ち着いた低い声だった。
腕や膝の包帯にそっと触れる。
この傷の手当をしてくれたのは、さっきのクマなのだろうか。
──どうして、怪我をして森で倒れていたんだろう。
何も分からない。
思い出そうとすると、気分が悪くなってしまった。
服が土などで汚れていることに気がついて、ベッドのシーツを見ると、うっすら汚れの跡が移ってしまっていた。
罪悪感が滲み出てくる。
それから、クマにどれほど親切にされたのかをようやく実感した。
「くまさん…………」
扉に張りついて、向こう側の様子に耳を澄ましていた少女は、意を決してそっとドアノブを捻った。
恐る恐る、廊下を見渡してから木製の食器を床に置いて、体を拭うためのタオルと水が入った器を、部屋の中に入れる。
そしてもう一度、廊下へ顔を向けると──。
いつの間にか、そこに黄色の小鳥がいた。
少しのあいだ見つめ合ったあと、小鳥はピョンと跳ねて向きを変え、パタパタと羽ばたいて明かりが漏れ出ている部屋に入っていった。
静寂なその部屋へ、息を潜めながら慎重に近づく。
一歩、一歩。
集中しながら。
また一歩、踏み出した瞬間──。
──ギシ。
床板の軋む音が、鳴ってしまった。
冷や汗を全身にかいて、駆け込むように元の部屋へ逃げ返った。
心臓がバクバクと音を立てる。
見つかって、足音が近づいてくるかもしれないと思ったけれど、外は静まり返ったままだった。
安堵して息を吐く。
──あの可愛いことりさんが入っていった部屋に、くまさんもいたのかな?
濡らした布で体を綺麗にしようと、汚れた服を脱ごうとして、胸元に宝石が輝くペンダントがあることに気がついた。
いつから身につけていた物だろう?
体を拭き終わってクマが言っていた台を見ると、ランプ、シーツ、寝間着、そして赤い服が置いてあった。
赤い服に興味を引かれて、手に取って広げた。
袖や裾にフリル、白い襟元の刺繍とレース。
ランプの暖かい光が優しく魅せるそれに、瞳を煌めかせる。
そのワンピースは、少女にとってドレスのように素敵だと思えた。
身にまとってみたくなって、ワンピースを頭からかぶって、袖を通す。
服の中にある髪をすくい上げて背中に流した。
ペンダントの煌びやかな金の飾りと真紅の宝石、ワンピースの薔薇のように繊細な深紅が、白い肌の透明感を際立たせる。
赤、金、緑──。
まるで絵画のような、儚い美しさを放っている。
膝くらいまである裾をふわりと揺らしてみた。
──お姫様みたい。
そんなふうに、しばらく堪能してから白い寝間着に着替えて、ベッドのシーツを新しいものに取り替えた。
枕元にある小さな棚にペンダントを置く。
その棚には本があって、目に止まったものを手に取ってみると、表紙にクマとミツバチが描かれた絵本だった。
じっくり没頭して、ページを捲っていく。
絵の中のクマは、初めはミツバチに怖がられていたけれど、いつしか仲が良くなっていっていく。
遊んで、寝て、そんな平和な生活。
可愛くて優しいお話だった。
──ふわふわと、心地いい。
どれくらい時間が経っただろう。
うとうと、眠気がやってきて瞼を開いていられなくなる。
絵本を開いたまま、いつの間にか深い眠りへと落ちていった。
──少女は朧気な夢をみた。
優しい揺れに身を任せて、包み込むようなじんわりとした温もりを感じる。
微かに遠くで聞こえる鳥の鳴き声が、安心感を滲ませる。
ずっと浸っていたいと思える。
夢のなかで、クマに「ありがとう」と伝えた。
目が覚めて明日になったら。
その言葉を、ちゃんと伝えたい。




