第二話『黄金の朝、黄色の薔薇が咲く』
爽やかな朝の陽射しが漂う部屋のなか。
寝間着のまま、扉の前に立つ。
あのクマはきっと優しいのだと、少女は感じている。
そして、そのクマに助けてもらったお礼を伝えたいと思った。
勇気を出して、扉を開けて足を踏み出した。
廊下をそっと進んでいく。
その先にある、昨日に小鳥が飛んでいった、入口が開きっぱなしになっている部屋の中を覗き込む。
この家はどこも大きめな造りになっているけれど、リビングであろうそこは、より広々としていた。
雑貨や家具が、品良く並べられた空間。
窓辺のソファに、大きな琥珀色の──クマが横になっていた。
そのお腹の上には、黄色の小鳥が乗って目を瞑っている。
──寝てる?
側まで寄って、じっと見る。
気持ちよさそうに、静かに眠っている姿を見て、うずうずした。
そっと手を伸ばす。
「……わあ」
お腹の辺りの毛並みは柔らかかった。
遠慮がちに触れていたけれど、少しずつ、大きく撫で回す。
指の隙間を流れていく感触がとても楽しい。
夢中になって、ぎゅっと抱きついてしまった。
「────えっ」
驚いたような声が、すぐ近くで聞こえた。
埋めていた顔を上げてバッと離れると、クマと目があった。
「……やあ。おはよう」
クマは驚いたように目を瞬かせたあと、穏やかに声をかけた。
「おはよう……ございます」
少女はつられて、控えめに挨拶を返す。
それから慌てて謝った。
「かってに触って、ごめんなさい……」
「大丈夫。驚いただけだよ。それより怪我はどう?痛む?」
激しい痛みはない。
手のひらを握りしめながら、まっすぐ見つめて感謝を伝えた。
「大丈夫です……あの、助けてくれてありがとうございました」
「どういたしまして。とりあえず朝食にして、あとで包帯を取り替えよう」
そう言ってクマは、まだ眠っていた小鳥を起こした。
座るように促されたイスで大人しく待つ。
朝食の準備をするクマを眺めていたら、その頭の上にいた小鳥がこちらを向いた。
「チュン」
小さくてつぶらな瞳と見つめ合っていると、少女に向かって飛んできて、肩にとまった。
急なことに驚いたけれど、小さくて、フワフワで、小さな重みが擽ったくて、頬を緩ませた。
しばらくしてテーブルに置かれたのは、果物が添えられて、ハチミツがたっぷりとかかったトーストだった。
手に取って一口噛むと、しっとりサクッとした暖かい食感と甘さがいっぱいに広がる。
「あまい!おいしい!」
満面の笑みを浮かべる。
蜜が垂れてくるのにも構わず、パクパクと熱心に食べ進めた。
「ゆっくり食べて」
少女に水を差し出したクマも、一緒のテーブルで同じものを食べた。
小鳥は、なにかの小さな実が入れられた器をつついている。
──とても穏やかな時間が流れていった。
「どうぞ…………あ」
食後に、コップを目の前に置いたクマがなにかに気づいたようで、それから少し困ったように言った。
「ごめん。ハチミツばかり……好物だからつい」
「えっと、わたしも、甘くてすきです」
ハチミツ湯を飲む少女に、伺うような視線を向けながらクマは尋ねた。
「それで、君はどうしてあんな所で倒れていたの」
そう尋ねられて、少女は言葉が詰まる。
この森はどこなのか、自分はどこからやって来たのか。
記憶が無くて分からなかった。
「…………わからない、です」
「そっか……家族のことは?」
──家族?
胸にぽっかり穴が空いてなにかが抜け落ちたような、頭に霧がかったような感じがした。
不安で堪らなくなって、自分がとてつもなく惨めに思えて涙が滲む。
いるのかな?いないのかな?
わたしは、だれ?
「ローゼ」
クマが誰かの名前を、唐突に呼ぶ。
俯いていた顔を上げた。
「ローゼじゃないかな。君の名前」
「わたしの……なまえ?」
自分自身でさえ覚えていない名前を、どうして分かるのだろう。
不安げに首を傾げる少女の胸元を、クマが指し示す。
「そのペンダントを見てみて」
なぜだか手放し難くて、今も首にかけているペンダント。
その裏の装飾に、文字が刻まれていた。
これが、少女の名前なのだろうか。
「君を見つけた時から身につけていたから、きっと大切な物なんだよ。それに、ピッタリな名前だと思う」
「そう、なんですか?」
「うん。髪色もそうなんだけど、君の笑顔を見ていたら、黄色の野ばらみたいだなって。だから、よかったらそう呼んでもいい?」
──ほんとうに、私にもあったのかもしれない。
深い霧の中にいるようだった不安な心が、少しずつ薄らいでいく。
さっきの悲しみの涙とは違う、安心と喜びで視界が揺れるまま、頷いた。
「──ありがとうございます」
「うん。少しは不安が軽くなったならよかった…………無理に思い出さなくても大丈夫。ごめん」
クマは、当たり前のように優しさを渡してくれる。
それにどれほど救われた気持ちになることだろう。
「ここに、いつまでだっていてもいいよ」
──その言葉に、少女は花が咲くように笑った。




