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「鹿子」
声になお驚いて振り返る。
すすむがしゃらっとした顔で笑いかけている。
視界の端で、例の二人が自分達が呼ばれたように同時に振り向いたのに、わけもなくうろたえた。慌てて立ち上がり、すすむの手を取る。
「鹿子?」
「行こう、すすむ」
「え…だってさ……咲子ちゃん……」
「あ…」
すすむに言われて初めて気づき、自分がどれほど慌てているのか知った。
(なぜ)
自問した答えは無意識に『炎』と『瞳』を振り返ってわかる。すすむが鹿子の視線を追って、ロビーの向こうにいる二人を見つける。
「? 何だろ……あいつら…?」
不思議そうな茫洋としたすすむの声に、ひやりと背筋が竦む。
「VAKU……」
囁くような声、けれどもそうはっきりと二人の唇が動いた気がして、鹿子は焦った。
(まずい)
でも、何が?
「す、すすむ、こっち」
自分の中に沸き起こった疑問を押しやり、すすむの手を引っ張り、強引に咲子の座っている所にとって返す。背後から忍び寄ってくるように、『炎』と『瞳』がついてくるのを気配で感じた。
「鹿子…?」
「咲子、ごめん……すすむ、ここで見てて」
「ここでって……えー……鹿子ぉ」
「ちょっと鹿子」
訝しげに声を返す二人に周囲から怒りの呟きが上がる。それらを振り向きもせず、自分の居た席にすすむを押し込み、身を翻して見張るように壁際に立っている二人の方へ歩み寄った。
鹿子の動きに、いい加減にしろよ、と詰る声を後ろに、『炎』と『瞳』の前に立つ。
「あなた……」
「VAKUの仲間か」
『炎』の目に浮かんだ警戒と『瞳』の顔に広がった敵意をまともに受け止めて、鹿子は低い声で唸った。
「話したいことがあるの、付き合って」
映画館を出て、細い路地を右手に曲がっていくと、ごみごみした街の中にぽかりと開けた空間がある。ゆとりと潤いのある街にする、とかで、その辺りにあった小さな店をいくつか整理して作られた小公園だ。
だが、今、石畳の丸い空間には、あちらこちらにファースト・フードの食べ残しやチラシ、わけのわからないゴミなどが散らかり、とてもじゃないが『憩いの場所』とは言い難かった。
その隅の方にある細い木の下、やはり石造りのベンチがある所に、鹿子は『炎』と『瞳』を誘導した。
「ここなら、いいか。派手に言い合っても誰にも迷惑かかんないし」
一人つぶやいて、鹿子は振り返った。
黙々と後ろからついてきた二人は、元々きれいな容姿に昼過ぎの日差しを浴びて、きらきらとどこか透けるような儚さで立っている。鹿子の正面に立つ『炎』とそれを守るかのように彼女の後ろに立つ『瞳』の姿は、それだけで王子と王女の物語を思い出させる。
鹿子は、何が起こったかも知らないで、今頃咲子と映画を見ているだろうすすむを思って、少し溜め息をついた。
(こんなことして、何になるんだろう)
「……この前の夜は、ただの通りすがりだと思ったのだけど……そうではなかったようね」
『炎』がゆっくりと桜色の唇を開いた。
無言で鹿子を射すくめるように見ている『瞳』をあえて無視して、鹿子は首を振った。
「ううん、やっぱり通りすがりだと思う」
「でも、VAKUを知っていた」
追うように、否定させない強さを込めて、『炎』がことばを続ける。黒い髪の下、黒い目がじっと鹿子を見つめている。彼女の片手が翻らないことだけに注意して、鹿子は応じた。
「あたしにはわからないことだらけだわ。あの夜の質問、もう一度尋ねる。あなた達は何者なの? どうしてここにいるの? ………すすむとどんな関係があるの?」
「………わたし達は『ーーーー』だ」
「…何?」
一瞬、『炎』のことばがもやもやと揺れて聞こえ、鹿子は慌てて聞き返した。
相手がふ、と悩ましく息をつき、ゆるやかに首を振ってみせる。
「あなた方には発音できないし……その概念もないと思うわ。……そう、一番近いことばで言えば……環境保護監察者…ね」
「環境……保護……?」
鹿子の頭の中に『地球に優しい』というキャッッチフレーズが過った。
「ベンチに座りましょう……わたし達はあなたに危害を加える気はない…………ただ、不良なVAKUの調査と処理が目的なのよ」
『炎』は鹿子を促して、ベンチに腰を降ろしてみせた。『瞳』がすうっと影のように移動して、姫君に仕える従者よろしく再び『炎』の背後を護る。
鹿子は少しためらった後、半分『炎』に体を向けるような形でベンチに座った。
「始めに、今まで学校で習った事、本で読んだ事、全て白紙にして聞いてちょうだい。この世界が物質である、ということを忘れて欲しいの」
「物質である、ということを忘れる?」
鹿子は無意識にベンチを撫でた。
その仕草を見て取った『炎』は、何度か頷いて、同じようにベンチを撫でた。
「そう……ここはひどく『頑丈』にできてるわ。きっと、住んでいるものが物質だと信じ込んでいる率が、異常に高いんでしょう。でも、これは、本当はこれほどしっかりした物じゃない。ここにいるものの意識が固まって、そう見えているだけなの。だから、こんな事もできる」
「ひゃ…」
鹿子は上げかけた悲鳴を必死に呑んだ。




