第52話 閑梨の仕事の終わり
遅くなりました。第52話です。
宴は続く。
飲み放題ではない、という理由で焼酎のボトルが注文されていた。大きさは4合瓶。今のところ酒を飲んでいるのは矛瀬一人。酒挽は高校生で飲めず、キイナは年齢的には3桁に届くらしいが、制服を来ている上に身分証明書で成人していることを証明できないため飲まない。この量の酒を大人一人が飲むのは、飲み過ぎになるだろう。
「大丈夫です。私も仕事が終われば飲みますから」
酒挽の隣から、閑梨が声をかけてくる。席は入れ替わっていて、今はキイナが矛瀬の隣にいる。隣に焼酎のボトルと水、氷を置いて、矛瀬の飲み物を作っていた。
『お・ね・が・い』の対価として酒を一緒に飲んでいる、というだけあって、随分と手慣れているようだ。
「当職と致しましては、報告ができるだけの情報を収集できればよかったのですが……」
そこまで言うと、閑梨はため息をつく。
「……課長は、上役に八方美人なもので。職責上、色々な方面から様々な要望、要求が舞い込んでくるものですから、この会合の趣旨を取り違えているようなのです。申し訳ありません」
「……それ、話していいことなんですか?」
「これは私の個人的な課長評ですから、別に問題ありませんよ?」
食えない人だ、と酒挽は思う。
矛瀬との話し合いの中身とぶつければ、先程の一件は、どこか他から「白雪姫の無罪獲得は止めさせろ」という圧力がかかっているのだろう、と推察はできる。
しかし、彼女自身は具体的なことは何一つ話していない。「色々な方面」「様々な要望」だけでは、何の意味も持たない内容であるし、「この会合の趣旨」は「意見交換」と「懇親会」なのだ。矛瀬の個人的な見解を述べただけ、と言われれば、それ以上の追及は不可能だ。
「それで、審理は本当はどこまで進んでいるのですか?」
閑梨が尋ねてくる。それに酒挽が聞き返す。
「あなたはどこまで把握しているんですか?」
閑梨はフッと笑みを浮かべると、嘆息する。
「質問に質問で返すのは、失礼にあたると思うのですが?」
「いえ、課長のお話を聞く限り、どうにも私が知っている以上の内容をご存じのようですので、参考までに聞かせていただければ、弁護人として非常に心強いものですから」
しばしの間、見つめ合う二人。すぐに閑梨が嘆息して視線をそらす。
「……私は、キイナさんから聞いた話しか知りませんよ?」
「キイナから?」
キイナは、文化庁に何も報告をしていない、と言った。にもかかわらず、閑梨はキイナから話を聞いているという。
「ええ。もっとも私が存じ上げているのは、童話『白雪姫』の概要だけですが」
聞けば、童話「白雪姫」の弁護人を探す際、タイトルだけではなく、簡単なストーリーを閑梨に聞かせたという。
「なので、物語のラストで王妃が真っ赤に熱せられた徹の靴を履かされて、死ぬまで踊らされた、というオチは知っているんですよ」
なるほど。それなら少しは理解できる。
裁判の対象となっている童話「白雪姫」では、王妃は白雪姫の実母であるし、王妃が白雪姫を殺そうとしたのも4回だ。森の中を逃げて、小人の家に辿り着く下りも知っていてもおかしくはない。
が、白雪姫は小人の好意により家に留まることができているのである。そこに緊急避難の要素は入り込む余地がないのも事実だ。
矛瀬が小人の家に侵入した件を「緊急避難」だと指摘するのは、無理筋というものだろう。
「もっとも、そこまで聞き出すのに苦労しましたが」
「苦労、ですか?」
キイナは聞かれたことに割と素直に答える。時々、答えられないことがあっても、正直に「答えられない」と言ってしまうほどだ。
「キイナさんは異世界人ですからね」
「まぁ、『そうですか』とはいかないでしょうね」
「ええ。冷静さを欠いた男性職員共が彼女に群がりまして……ああ、一応最初は私が対応しまして、服は用意させていただきましたよ。取り急ぎ、貸与用の制服でしたが」
全裸で現れたわけか。最初理香が酒挽に電話してきた時にもそんな事を言っていたことを思いだす。
閑梨はまた溜息をつく。
「彼女、ほぼ人間と違いはありませんが、耳があからさまに兎ですからね。色々と……」
「あ~……」
「さすがに『白雪姫』の話だけ、とはいかず、根掘り葉掘りと。最終的に私が話を聞き、上に報告をしたわけです。会って早々『あなたには話を最後まで黙って聞いて欲しいのです』と言われた時には、色々察しましたよ」
キイナは色々苦労しているようで。心労で倒れないことを願うばかりだ。
「ストーリー、と言ってもそんな状況で聴取した内容ですから、箇条書きにならざるを得ず、断片的な情報であることには違いがありません。なので、今回、具体的な話をお聞かせ願えればと思ったのですが……」
小声で「あの馬鹿課長が」と聞こえたような気がしたところは聞き流しておく。
「当職が知っているのは以上です。それで、裁判の状況はどうなんですか?」
「今は、第三の殺人未遂事件の審理中ですね」
敢えて裁判で使った用語で伝えてみる。
「第三の殺人未遂事件、ですか?」
閑梨が首を捻る。その反応は正しい。白雪姫が殺されそうになったのは確かに4度あるが、狩人の件は果たして殺人未遂と言えるかどうかは疑問だ。他の件とは違い、狩人は事を起こさず、白雪姫も意識を失ってはいないからだ。
「櫛が使われた事件です」
「ああ、りんごの前ですか」
「ええ。証拠品の櫛の分析と、櫛に含まれていた毒が小人の家から検出されるかを確認して貰っています」
だから休廷中なわけだが、そのことを知っているかどうか、閑梨の反応を注意深く確認する。
「櫛に毒……それで人の命が奪えるものですか?」
閑梨は怪訝そうな表情を見せて首を傾げる。
確かに櫛と毒では人は殺せない。普通はそう考える。
「ですが、その毒は、蜂の毒だったんです。ですから、アナフィラキシーショックを起こした可能性があります」
「そうでしょうか?」
閑梨は真っすぐ酒挽を見つめて問い返す。
「いくら櫛の表面に毒が塗られていても、皮膚に傷を付けただけでは、アナフィラキシーショックは起きないのではないですか?」
「確かにそうかもしれませんが……」
酒挽はそう言いながら、にやりと笑う。
「閑梨さん、なぜ私が櫛に含まれていた毒と説明をしたのに、その毒が櫛の表面に塗られていると思ったのですか?」
「……え?」
ほんの些細な違い。だが、今まさに櫛は分析中だ。
裁判での証言で、最年長の小人は、毒は櫛の中に仕込まれていると思っていた。
だが、実際の証拠では、表面に毒が塗られていた。
だからこそ、酒挽は「櫛に毒が含まれている」と表現した。そしてこの表現の仕方は、常識的に考えて、実に違和感が満載の言い方だ。
閑梨はそこに突っ込まなかった。加えて「含まれている」、という言葉から通常は発想できない「表面に塗られている」という具体的な状況への言及。
とてもキイナから聞き取った「白雪姫」の話の概要とは思えない。
「やはりあなた方は、童話裁判の状況を知っていますね?」
「……課長のフォローなら自信があったんですが、まさか自分が引っかかるとは」
やれやれ、と言わんばかりに、肩を竦め、首を横に振る閑梨。
「なぜ、情報を聞き出そうとしたんですか?」
知っている事なら、わざわざ呼び出してまで話を聞く必要はないはずだ。
「お察しのとおり、私たちは検察側から情報を得てはいるけど……客観性を担保するために、弁護側からも話を聞かないと、報告書として成立しないんですよ」
そう言うと、閑梨はキイナに焼酎の水割りを要求した。




