第51話 閑梨の立ち位置と課長の立場
状況を知らないはずの矛瀬が、まだ酒挽とキイナが説明していない内容に踏み込んだ。
理香の推測どおり、誰かから童話裁判の状況を得ているのだろう。
その上で白雪姫の有罪、極刑をひっくり返す必要はないのでは、などと言っている。
恐らくは、検察側からの一方的な情報の提供があるのだろう。
それを確認していくため、酒挽は少し慎重に話を進める。
「……そうだ、すみません。少し言葉が足りない部分がありました」
「何かな?」
「さっき、『今は『王妃』が『白雪姫』を4度殺そうとした件について』と言いましたが、これは童話『白雪姫』を知っている私だからこその言い方です」
読み手として、全ての状況を俯瞰して見ているから、実際に誰がどのように手を下しているのかを知り得ることができる。もちろん、登場人物は自分が遭遇していないことは知らないし、『王妃が白雪姫を殺そうとした』なんて、憶測以上の何物でもない。
もっとも、酒挽自身、4つの事件のうち、2つの件は知らないことなのだが。
酒挽は、一呼吸置いてから続ける。
「この件に関して、被告人である白雪姫に確認しましたが、白雪姫自身は、自分に手を掛けた人物が王妃だとは微塵も思っていなかったそうですよ」
小人は、王妃が物売りに化けたと言っていたが、白雪姫はそれを証言で否定している。
「それはおかしいんじゃないかな?」
「どの辺りがでしょうか?」
「だって、第一審で白雪姫の殺意が認定されたから、極刑なんて判決が下ったんだよね? 4度も命を狙われて恨みを抱いていた。十分動機足り得ると思うんだけど?」
「その件について、私は裁判上で異議を唱えました。『白雪姫が王妃に恨みを抱いていた、というのは、検察の憶測に過ぎないことだろう』と。結果、検察側は過ぎた発言であることを認めて撤回しました」
「……え、撤回した?」
「ええ」
そう断定してみせるが、実際は『事実確認』の中で行われていることであるので、推定・憶測といった類が排除されている中で行われている。その前提があればこその撤回なのだが、酒挽は敢えてそこに言及しない。
だが、検察の主張はあくまでも、白雪姫が王妃に4度殺されかけたために殺意を抱くほど恨んでいた、なのだ。
「だよな、キイナ?」
「なのです」
「なので、検察側は白雪姫が王妃に抱く殺意を別の方法で立証してくるものと思っているのですが、なかなかそこが読めずに苦労しています」
撤回、別の方法……矛瀬が知り得ない部分を少しゆっくり目に話して強調することで印象付けていく。
相手が把握しているのは、検察側の主張に基づく内容。それに対する弁護側の主張を、検察が認めた内容に絞って説明することで、情報の確実性を少し不安定に思わせ、揺さぶりをかける。
「一つ、検察側の主張がありまして『小人の家への不法侵入』『食事の無断摂取』――つまり泥棒ということになると思うのですが、そのような犯罪行為を犯す人物だからこそ、殺害への罪悪感も低いのでは、という主張をしてくる可能性を危惧しているわけです」
「いや、だがそれは『緊急避難』ということなのではないのか?」
――引っかかった。
白雪姫が小人の家に転がり込んで、用意されていた夕食を食べたことについて、検察側は確かに「緊急避難」の可能性に言及した。
それに対し弁護側は「緊急避難による違法性の阻却」を主張しなかった。
元々小人が白雪姫のそれらの行為について被害を訴えていないことを指摘して、テールの誘導尋問を看破したのだ。
あそこで、ホイホイ「緊急避難」という話に乗っかってしまったら、白雪姫の「不法侵入」と「盗難」という違法行為を認めたことになってしまう。緊急避難は「違法行為」の、違法性を認定しないに過ぎず、違法行為が行われたこと自体を否定する訳ではないのだ。
「『緊急避難』――ああ、確かに検察はそんな事を言っていましたね。しかし、びっくりしましたよ。『緊急避難』の理論を検察が自ら持ち出してきたのは。弁護側が主張するならともかく、本来なら罪を問うべき検察が違法性を問えなくする緊急避難に言及することはあり得ないと思うんですよ」
「いや、しかし……」
「ですがっ! ……それはあくまでも検察が可能性の一つとして指摘したことですよね? 酒挽さんやキイナさんが主張しなくても、検察側がその点を検証するのは、当然ではないでしょうか? 検察側としては罪に問えない可能性は潰しておく必要があるでしょうから」
それまで黙っていた閑梨が急に口を挟んできた。それも矛瀬の言葉にかぶせるように、出出しを強めに、言葉を遮ってまで主張する。
酒挽は内心で舌打ちする。
今まで酒挽とキイナが説明した内容だけでは、絶対に『緊急避難』という言葉が使われる余地はないはずなのだ。
二人は「実の母親である王妃が白雪姫を4度殺そうとした」ことは説明したが、なぜ小人の家に至ったかについては一切言及していない。しかも、その殺人未遂事件についても、具体的な内容までは触れていないのだ。
にもかかわらず、矛瀬は「緊急避難」について、適切に反応してしまったのだ。
白雪姫が小人の家に辿り着いた経緯について説明を一度も受けていないはずの矛瀬は緊急避難を主張し得ない。
しかもここは、検察側は容認し、弁護側が否認している、意見の対立点。
だから結論は一つしか導出されない。
矛瀬は、検察からの情報を得ている、と。
一方で、閑梨の立ち位置が酒挽には不明だった。
今の会話の割り込み方。漏らしてはならない「緊急避難」という単語が出てきたから、当たり障りのない一般論として話を強引に話を切り上げようとした。
全てを知っていて矛瀬の失言をフォローしたのか、おかしいという危機感を抱いたから割って入ったのか。そこが判然としない。
「皆様、少し話に夢中になりすぎですね。食事も出てきたことですし、食べながら話を進めていきませんか?」
テーブルの上には、誰も箸をつけていない料理が並んでいた。飲み物も乾杯後からほとんど減っていない。
「今回は、現状の把握という目的の他に、この件に関わっている方々の顔合わせと懇親も兼ねているんです。もう少しライトな感じでいきましょう」
そう言うと、自ら率先するかのように、ウーロン茶を煽る。
「それと、課長」
「……何だ?」
「我々は、この童話裁判についてはサポート役であって、当事者ではないんです。直に裁判に臨んでいるお二人に対し、無責任な持論の押し付けは慎んでください。ましてやお二人は弁護側の人間ですよ? 極刑を容認した方がいい、なんて発言を眼前でする無神経さを、少し反省した方がよろしい方と思いますよ?」
そう言い終わると、閑梨は再びウーロン茶を煽る。丁寧な口調ではあったが、端々に随分と棘があるように聞こえたのは気のせいではないだろう。
「お、おぅ……」
発言に圧倒された様子の矛瀬は、そう返事するのが精いっぱいだったようだ。
「……酔ってるのです?」
キイナが心配そうに尋ねる。
「ソフトドリンクですよ?」
アルコールが入っていないことを示すためのストローはきちんと刺さっている。
「いや、雰囲気に酔ったのではと思ったのです」
「言い得て妙ですね。久方ぶりに若い方々とご一緒の席なので、多少浮かれていることは否定しません」
「……私がこの中で一番年上になるのですよ」
齢3桁になるかならないかのキイナが指摘する。
「すると、私は下から2番目ですか」
「十分若いのです」
「ありがとうございます」
閑梨は、そう言うとにっこりとほほ笑んだ。落ち着いた物腰は、一番年上と言っても誰も文句は言わないだろう。
一方で、一番年上に見える課長は、部下に辛辣な言葉を投げかけられたせいなのか、拗ねているような態度で、ビールをちびちびと喉奥へと流し込んでいるのだった。




