第107話 情報の流出元
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ドンドンというノックの音が、聞こえてくる。
随分遠くから聞こえているように思えるが、これは違う。音源はもっと近くのはずだ。
それを自覚して、理香はゆっくりと意識を覚醒へと導いていく。急激に目を覚ますと、金縛りに陥ることは、経験上知っている。だから、無理はできない。
「う……」
それでも、無茶はしている。意図的に寝返りを打ち、瞼を持ち上げる。
視線の先にある時計は、6時少し前を示していた。もうそんな時間か、という感想と、まだ少し早い、というキイナへの苦情が、同時に脳裏を駆け巡る。
気だるい体を起こし、部屋のど真ん中にポツンと立っているドアへと近づく。相変わらず、ドンドンという音が聞こえ「理香―、理香ー」と呼びかける聞こえてくる。
割と大音量なので、近所迷惑になりそうなものだが、部屋を一歩でも出ると、なぜか音が聞こえなくなる。一応、異世界側から、それなりの配慮があるようだ。
それでも自分には大騒音でしかないので、とっとと扉を押し開ける。
「おはようなのです……理香?」
「おはよう。だが、なぜ疑問形だ?」
「昨日の服のままなのです」
理香は、自分の体へと視線を落とす。
「……ああ、そうだな」
「まさか、昨日ベッドに倒れてそのまま朝まで寝ていたのですか?」
「まぁ、そうなるか」
縛ることもせずに体を横たえたせいでボサボサに乱れた髪に指を通そうとして、途中で頭を掻く仕草に変える。
「じゃあ、夕食も食べていないではないですかっ!」
「ああ、そこは安心していい。ドラマを見ながら間食はしていた」
「……間食では満腹感は得られないと思うのです」
「情報過多で、お腹いっぱいではあったがな」
「うまいこと言って誤魔化したってだめなのです!」
キイナは腰に手を当てて、前屈体制になって指を理香に向けてくる。
理香は苦笑いを浮かべて顔を横にそむけた。
「……無理をしているのではないですか?」
キイナは眉間に皺を寄せて尋ねてくる。
「無理はしていない」
「なら、眠れないわけですか」
断定してきた。理香はその様子を目の端で確認する。彼女の目は射貫くように理香を真っ直ぐ見据えていた。
キイナはおそらくカマをかけている。明確な根拠など持ち合わせていない、はずだ。理香は少しの間を置いてから、答える。
「まぁ、ここのところ、眠りが浅かったのは事実だ。追試の勉強にも付き合ったことだし」
自分が、この白雪姫以外に、酒挽との思い出を忘れている可能性があることに思い至ったこともある。
キイナは、追試の件を少し笑っただけで受け流したようだ。今日のキイナは随分と手ごわい。
「昨日、童話世界から戻って来た時、なかなか扉が開かなかったのも、居眠りしていたのですね」
理香は内心で舌打ちをする。そこに結び付けられていては、適当な言い逃れもできない。両手を上げてため息を漏らす。
「認めよう。だが、当利には言わないで貰えると助かる」
「私の質問に素直に答えてくれたら、そのお願いを聞いてあげてもいいのです」
「ボクの体を好きにしたいのなら、抵抗しないが、シャワーだけ浴びさせて貰えると嬉しい」
少しはにかみながら答えるが、キイナはそれにも乗ってこない。
キイナがため息を漏らす。
「テールさんに、何を言われたのですか?」
一瞬、理香は右目の視界だけが上下に広がったことを感じた。おそらく右眉だけをピクリと跳ね上げてしまったのだろう。
ほんのわずかな表情の変化のはず。すぐに澄ました微笑を浮かべて「え?」と返してみるが、キイナは、理香のことを見つめていた。
「ネタは上がっているのです、理香。『あの幼女検事から、よくそんな失言を引き出せたものだ』は、失言だったのです」
「そんなこと、言ったか?」
「言ったのです」
確信に満ちた表情で、キイナは答える。
たった二文字の違いでしかない。だが、テールの人となりを知らない理香は「幼女検事」とは言えても「あの幼女検事」とまで言い切る必要はない。それはキイナの指摘どおりではある。
しかし、一般論であって絶対論ではない。会話の中で思わず付けてしまうこともあり得なくはない。
「それのどこに失言要素がある?」
「テールさんは、第一審で一度も証言に出てこない『魔法の鏡』について、裁判外でトーリの質問に答えた上に『証言できない』と、現状まで回答したのです。それは、理香の指摘のとおりなのです」
「確かに指摘したが……何か問題あるか?」
「今までの裁判の流れから『魔法の鏡』は、裁判で召喚可能な登場人物の誰も存在を知らないはずのものなのです。唯一知っていた王妃は、殺されているのですから。
テールさんの立場では存在を把握すらできない『魔法の鏡』を、彼女はトーリの何気ない質問で、あっさりと自分がその存在を知覚している事実を供述してしまったのです」
「だから『幼女検事の失言』という話になるのだろう?」
「では聞くのです。一度も直接面と向かって、裁判の審理どころか、会話すらしたことのないはずの理香が、なぜ『あの幼女検事』と、テールさんのことを強く特定したのです?
文脈から考えて『テールさんは失言しない』ことが前提となっているのですが、なぜ理香が、あったこともないテールさんに、そんな印象を抱いたのです?」
想定どおりの指摘。
「……随分と強引な理屈をねじ込んできたものだな」
「理香は、テールさんと会った事実を、当利に隠したいのですよね?」
理香の異論に答えることなく、キイナは質問をぶつけてくる。それも、随分と確信めいた言いっぷりで。
これが、キイナの憶測だけなのであれば、知らぬ存ぜぬを通すことも不可能ではないだろう。
だが、テールとの会談には、文化庁の閑梨が立ち会っている。閑梨はキイナの後ろ盾でもあり、連絡手段としてキイナにスマホを支給した人物でもある。
そちらから「会った」という情報が流れていても、おかしくはない。
――カマかけると、あっさりと口を割る人だったしな。
情勢としては不利と言わざるを得ないが、ここまで明確な証拠の提示なし。認める要素はないが、果たしてどう対処しようか。理香が少しだけ思案した次の瞬間、キイナは、首を横に振って、嘆息する。
「……理香。テールさんが『魔法の鏡』について言及したとトーリから言われた時、本当ならあなたは、真っ先に突っ込むべきことがあったのですよ」
「……突っ込むべきところ?」
「では聞くのですが、そもそもテールさんは魔法の鏡について、なぜ知っていたのですか?」
「!?」
キイナに指摘されて、理香は初めてそのことに気が付いた。
自分たちは当然のように「魔法の鏡」を検証していた。その存在があるが故に、王妃は、前日に殺したはずの白雪姫の生存を察知し、また翌日に殺しに行くことができたことも言及した。
しかし、結局裁判では活用されていない情報だ。
「私はテールさんに教えていませんし、トーリも裁判では、そのことを語っていないのです。トーリに確認したところ、テールさんに『魔法の鏡』に話したことはないそうなのです」
だから酒挽は最初、証言者について、テールに「物に対する尋問は可能か?」と尋ねた。
ところが、彼女は「魔法の鏡ですか?」と、はっきり問い返してきた。
それはつまり、テールが自ら「魔法の鏡」の存在を認知している証拠に他ならない。
だが、今は、童話裁判で人間界から童話「白雪姫」が抹消されている。
唯一その物語を覚えている酒挽は、テールに「魔法の鏡」の存在を教えていない。彼から話を聞いているキイナも同じだ。
そして、第一審の裁判記録では「魔法の鏡」のことを、証人の誰一人として言及していない。
他に王妃の持っていた魔法の鏡について言及しているのは、酒挽の知る童話「白雪姫」と全く同じ物語である、理香の書いた演劇台本「森の姫君」だけ。
キイナは優し気に微笑んで「だから」と理香に告げる。
「――理香から情報が漏れたとしか、考えられないのですよ」
次回の更新日は決まっていませんが、日曜日含めてあと2話投稿予定です。
時間だけは22時50分前後の予定です。




