第106話 信じられない二人
――本当のところ、理香はどこまで知っているのです?
そう尋ねたら、理香は答えてくれるだろうか――キイナそんな疑問を抱く。案外「実のところ、全部わかっている」と答えてくれそうな気もする。「確証はないのだがな」なんて一言を付け加えて。
少し苦笑い気味の理香の表情が脳裏に浮かんだところで、キイナは頭を左右に振る。
今は、そんな妄想をしている場合ではない。
キイナは童話裁判所の記録保管室にいた。併設されている閲覧室の1区画で、第一審の記録を読み込んでいる。もう何度も目を通しているせいか、証言が書いてある大体の場所も分かるようになっていた。
調べているのは、白雪姫が意識を取り戻した時の証言。
酒挽が覚えている「白雪姫」は、白雪姫が目を覚ますのに、王子のキスが必要だった。
裁判の証言と異なる内容。
だから、裁判が始まってから何度も証言の粗を探した。どこかに矛盾があるはずだと。
明確な間違いはなくても、綻びは絶対にあると確信していた。童話は年月とともに手が加わり、ストーリーが変質することもある。その変質の元となるあやふやな部分が、あるはずなのだ。
理香に再三記録の確認を求められるまでもなく、キイナは膨大な記録を、事あるごとに読み返した。
だが、どこにも見つけることができなかった。
ところが、あの二人は全然違うアプローチで、白雪姫が意識を回復した時の王子の証言に虚偽の可能性があることを、あっさり示して見せた。第一審では証言台に立つことのなかった、物語に登場すらしない「メイド」という存在を引っ張り出して。
検察すら、その存在を察知できなかったのに、なぜあの二人にはそんなことが可能なのか――もしかして、本当は最初から全部知っているのではないか。そんな疑念すら抱いてしまう。
――コンコン。
不意に背後からノックの音が聞こえる。
「やはりこちらでしたか」
閲覧室はドアがない。来訪者は壁を叩いて音を出していた。
「何です? テールさん」
記録から視線を外すことなく、返事をする。
「次の裁判日程を確認しに来たのですが」
「支障がなければ、明日の夕方の予定なのです」
入口の柱に寄りかかって腕組みをしながら、テールは問う。
「その『支障がなければ』という理由で、反故にされること、ないでしょうね?」
身長がそれなりに高ければ様になるところだが、幼女のテールがやると、子供が背伸びをして大人ぶっている雰囲気がどうしても拭い去れない、若干滑稽な光景が展開されてしまう。が、キイナは一切振り返ることなく、答える。
「……トーリは、人間界では学生で未成年者なのです。学校の都合、家庭の都合。自由にならないことは少なくないのですよ。私たちと違って」
「つまり、突然の予定の変更があると?」
「可能性はゼロではないのです。申し訳ないことなのですが。可能な限り、予定どおり進行できるように尽力はするのです」
「まぁ、あなたのことです。信じましょう」
テールは、背中を預けている入口から体を起こし、キイナに背を向け、横を見ながら言葉を続ける。
「ああ、そうそう。人間界の学生は、明後日辺りから『夏休み』なる長期休暇に入るそうですね」
何を言わんとしているか、簡単に察知することができたキイナはため息を一つつきながら、顔を上げる。だが、それでも振り返ることはしない。
「……心得ているのです。極力裁判に時間を割くよう、トーリに言っておくのです」
「よろしくお願いいたしますよ。弁護保佐人殿」
テールはそういうと、頭上まで手を挙げて、ヒラヒラと揺らしながら退室して行った。
キイナは再び裁判記録に視線を落とす。
第一審で王子は、白雪姫の口から飛び出したのは、りんごの「破片」だと言い続けていた。一度も「芯」と言ったことはない。
証言が変わったのは、第二審でメイドの存在が明るみに出てから。
考えすぎかもしれない。だが、王子が「破片」から「芯」に変えたタイミングも、その理由も唐突すぎる。
酒挽の「見たのか」という質問に対して、王子は「聞いたのは」という条件を付して回答している。それも、白雪姫の口からりんごが飛び出した瞬間には立ち会っていないとまで言い切って。
「……とんだ狸ではないですか、あの王子」
キイナは思わず呟く。
第一審の記録で王子は、第二審と全く同じ証言をしていた。
『ある日、白雪姫の棺を運ばせていた者が、まぁ、些細なことなのだろうが、突然激昂した。
そして、あろうことか私の白雪姫を棺から引っ張り出し、背中を叩いたという。
その瞬間、白雪姫の口から、りんごの破片が飛び出し、白雪姫は意識を回復するに至った』
激昂する理由は、あくまでも内面の動機なので、外からは伺い知ることができない。
それはまあいい。
背中を叩いた瞬間を目撃していないから「叩いたという」と、伝聞情報であることを示唆した証言になっている。
そこもいいだろう。
案の定、第一審でテールはそこを見逃さなかった。
問題はその後だ。
王子は、テールの追求を、巧妙にはぐらかした。
――その者が、なぜ激昂し、なぜ背中を叩いたのかまで、知る由もない。
動機と動作を一つの括りとして答弁したのだ。
王子への反対尋問の時、テールの表情が釈然としていなかったのかが、なんとなくわかった気がした。おそらく、自分が王子の掌で踊らされていたと思い至ったからだろう。
これで王子が百パーセントの正直な証言をしていないことは確認できた。
問題なのは、ここから先だ。
結局、メイドの証言と王子の証言の間には、決定的といえるほどの矛盾は存在しない。
にもかかわらず酒挽は、二人の間の証言に矛盾があると主張した。
矛盾理由は、王子が白雪姫は「意識を失っていただけ」と言ったことに対し、メイドは「死んでいた」と答えたという、ただ一点のみ。
次第にテールの眉間に深いしわが刻まれてくる。
「というか、何なのです、あの二人はっ!?」
イライラが募り、思わず大声を出して机を叩いてしまう。
酒挽は、一体どんな甘言を用いて、根拠の薄さをものともせず、テールから再証言の確約をあっさりと取り付けたのか。
確かに二人をもう一度法廷に引っ張り出さなければ、偽証を立証することはできないのだ。当然の処置と言える。
おそらく酒挽は、理香が告げた言葉に素直に従っただけだろう。
――王子は無能だったわけではなく、検察側と組んで、姫を敢えて有罪にするよう仕向けた可能性がある。
それは王子の偽証を疑う進言。
だがその言葉は、白雪姫がりんごで殺されかけた時のことを証言する前に理香が呟いた憶測でしかない。
しかし酒挽はその言葉を信じ、多少強引な理屈付けではあるが、王子の再証言をもぎ取った。そしておそらく、王子の偽証を暴くために、メイドの再証言もセットにして。
もしかしてあの二人は……
「……何一つ、信じていないのでは?」
王子は、第一審の弁護人だ。しかも、被告人である白雪姫の夫でもある。そんな立場の人間が、被告人に不利になるような偽証をするなんて、普通は考えられない。常に何かの陰謀を疑っていなければ、到達できない発想だ。
不意に背後から呆れたような声が聞こえた。
「……信じられないのは、あなたの方ですよ」
発言の主はとっくに退室したと思っていたテールだった。
「閲覧室では、静粛に」
その言葉にキイナは、顔を真っ赤にして恥じ入るしかなかった。
次回の更新ですが……
来週日曜までに3話、という、不定期予告とさせていただきます。
投稿のたびに、活動報告に上げさせていただきますので、よろしくお願いします。




