第105話 お休みの挨拶を
お待たせいたしました。2週間ぶりの投稿です。
「時間も時間だ。一旦お開きにしよう」
理香のその言葉に時計を見れば、間もなく夕食の時間になりそうな頃合いだ。酒挽はその提案に同意する。正直、入ってくる情報が過多で、一人でゆっくりと頭の中を整理したかった。
「ボクは大概思い付きで推理していたからな。明日の裁判までゆっくりと推理内容を再検証するとしよう」
酒挽を玄関に送りながら、理香はそんなことを言ってくる。
「思い付き?」
どの推理も、とてもそうは思えない内容だった。
「思い付きの副産物ではあったが……」
二人っきりのはずなのに、理香は口を酒挽の耳元に寄せて、小声で呟く。
「事は童話世界の根幹に関わる。途中からキイナが口を噤んだのが、その証左だ」
確かに、途中からキイナは突然無口になった。それを案じてか、理香が進言したほどだ。「ボクの憶測を聞くこと自体が君に不都合なら、一旦童話世界に戻っても構わない」と。
「当利も、その点を考慮に入れておいてくれ」
理香は「おやすみ」と一言加えて、酒挽を見送った。
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未だベッドに座ったままのキイナの元へ、理香は一人戻ってきた。
「童話世界へと帰らなかったのか……」
理香の言葉に、キイナは俯いたまま答える。
「流石に、挨拶もなしに帰るのは、抵抗があるのです」
「そうか」
理香はその場から動かずにいた。
少しの間を置いて、キイナがゆっくりと顔を上げて、理香を見つめる。そこには、何の感情も抱いていない表情を張り付かせていた。
「何も聞かないのです?」
「聞いても答えられる内容ではあるまい? 裁判記録でしか『白雪姫』を知らないと主張した君が、当利の知る『白雪姫』の内容が、正確なものであると断言した理由について、なんてものは」
理香の言葉に思わず唇を噛み締める。沈黙に耐えられず、キイナは呟くようにして答える。
「……理香の言うとおりなのです」
「なら、聞く理由はないな。そもそも、それは審理に直接影響のある話ではない」
「そんなことは……っ!」
思わず口を突いて出てきた言葉を、理香は制する。
「そこは否定するべきことだ。ボクは直接、と言ったぞ? 間接的に影響があることは否定しないさ。
審理上の『白雪姫』と、当利の知る『白雪姫』。どちらも正しく存在する同一の物語という点が、君の求めていた最適解だという点についてはな」
理香の言葉に、もうキイナは笑うしかなかった。
「やっぱり、理香は何でもお見通しなのですね」
「……認めてしまうのか、それを」
そう言うと理香はため息を一つ挟んで言葉を続けてくる。
「全く……先に童話世界に戻っていれば、答えられないことを追求される必要もなかっただろうに」
キイナは首を横に振った。
「それでも、理香にお休みの挨拶をしなければ、今日は終われないのです」
「そうか……じゃあ、もういいな。お休み」
理香にそう言われて、キイナは立ち上がる。
「はい、お休み、なのです」
ぺこりと頭を下げてから、扉を出現させる。キイナの正面。理香からは真横に見える位置に。
理香はゆっくりと、今までキイナが座っていたベッドへと近づく。
キイナは、扉を押し開いて、中へと入った。
「お休みなさ……っ!」
キイナが振り返った時、ゆっくりと閉まる扉の向こうで、理香の体が倒れていく光景がスローモーションのように見えた。
慌てて閉まりかけの扉に手をかけようとしたが、そのまま扉は閉じる。
「理香……理香っ!?」
扉を叩きながら、キイナは叫ぶ。
スマホが震える。
『強烈な睡魔に襲われただけだ。心配しなくていい』
理香からそんなメールが届いた。
キイナは返信する。
『なら、ゆっくりと休むのです』
それに対する返信がないことに後ろ髪を引かれつつ、キイナは扉の傍を離れた。
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睡魔には抗えない。だが、夢を見るのが怖い――それが理香の正直な感情だった。
幼女検事は、理香の夢に干渉して、白雪姫の物語を覗き見た、と言った。
つまり、酒挽の知る白雪姫の結末を、あの幼女検事も知っているということだ。
第一審で認定されたのは、りんごの芯が口から飛び出したから白雪姫が意識を取り戻した、という事実。
しかし、酒挽の知る白雪姫は、王子のキスで目が覚めるというもの。
当然その相違を幼女検事は知っている。
王子の証言は確定。その上、新たな証人であるメイドも、王子に沿った内容で証言している。
その相違に対する答えを推理できてしまっている理香は、夢でその理由を幼女検事に提供してしまう可能性がある。
自分と酒挽の思い出を取り戻すためには、彼女にカンニングをさせるわけにはいかない。
その一心で耐えていた睡魔だが、限界だった。
――深い眠りにつけば、夢を見ることなく目を覚ますことができるだろうか。
そんな淡い期待も空しく、理香は夢を見る。
ずっと昔の、子供の思い出。
誕生日か何だったか。手描きで作った童話の絵本を酒挽から受け取った。
真っ赤な画用紙に、クレヨンで絵が描かれた表紙。左側に2つ穴を開けて、黒ひもで綴った手作りの絵本。
ずっと昔にどこかに仕舞った気がする。あれにもグリム童話が書かれていた。
そういえば、あのつづりはどうなっているだろう。酒挽が「白雪姫」はグリム童話だと言っていたから、もしかするとあれには残っているかもしれない。
それとも、そこからも「白雪姫」は消えてしまっているのだろうか。
目が覚めたら、確かめてみよう――。
そうして理香は、睡魔に身を任せて。
――完全に意識を失った。
次回の更新は、10月20日(日)の夜の予定です。
そこから、少しずつ更新ペースを上げていければと考えています。




