196 幼女、表情を曇らせる
機械室へと足を踏み入れた穂乃香は、その独特の雰囲気に言葉を失った。
大型機械の放つ独特の重低音と振動に混ざって、稼働によって生み出された熱が部屋中にまき散らされている。
一方で、機械の熱暴走を防ぐために送り込まれる冷気も室内には漂っていた。
要所に取り付けられた機械を照らす蛍光灯は、機械の影に深い闇を作り上げていて、チカチカと点滅する赤や緑の小さな光が、その闇の中に見える。
だが、穂乃香の言葉を奪ったのは、機械の影、更に闇の深まった場所に、魔力を持つ者だけが見えるそれを見つけたからに他ならなかった。
「……魔法陣……」
『主殿!』
それを見た瞬間から、様子のおかしい穂乃香に、ユラが強めに呼びかける。
すると、そのショックに我に返った穂乃香が、慌てた様子でユラを見上げた。
「ゆ、ユラ」
『大丈夫かの? 主殿?』
そう心配そうに尋ねながらも、ユラの視線は魔法陣に向いたまま固定されている。
ユラの知識をもってしても、それが何かはわからないが、ユラヒメノミコトとしての本能というべき、自らの内にあるものが、激しく警鐘を鳴らしていた。
「く、詳しく、見てみないことには……なんとも……」
完全に動揺を隠しきれていない穂乃香がユラユラと左右に体を揺らしながら、一歩ずつ、機械の闇へと歩を向ける。
一歩進むごとに、穂乃香の顔からは血の気が失われて、青から白へと変わっていった。
『主殿!』
「大丈夫よ、ユラ」
再び響いたユラの呼びかけに、穂乃香は振り返ることなく答える。
そうして、穂乃香は大きく、そして長く息を吐き出した。
「あれは、間違いなく邪気を集めるための魔法陣だわ」
『それって、あの『澱』っていうのを作っている……って、こと?』
戸惑いの強く乗った茉莉の言葉に、穂乃香は「……うん」と少し答え難そうに返事をする。
返事を躊躇ったのは、頷いてしまえば、何者かによって『澱』が人工的に生み出されていたと認めることになる上に、穂乃香自身が心のどこかで受け入れたくないと思っていたからだ。
そうして生まれた沈黙に、ともすれば、お互いに言葉を無くして黙り込んでしまいそうな雰囲気を察した茉莉が、無理やりに穂乃香に声を掛ける。
『と、とりあえず、対応は出来そう?』
その意図を察した穂乃香も、頭を振って気を取り直すと、魔法陣へと意識を向けた。
「見る限り、特にこの魔法陣自体に捻りはなさそう」
『捻り?』
「例えば、触れる者、破壊しようとするもの、描き換えようとする者……要するに干渉しようとする者に呪いをかける様な対抗の術式は組み込まれていない」
穂乃香の言葉に、茉莉は『ちょっと見ただけで、そこまでわかっちゃうの?』と驚きの声を上げる。
「……特殊なところとしては、ヒトの目に映らないように魔力で直接書かれていることかな」
穂乃香は直接茉莉の疑問に答えずに、魔法陣に対する追加の情報を伝えた。
すると、茉莉から、なるほどと納得の声が上がる。
『いや、さっきから画面に映し出されているのが、何もない床だったから、疑問だったんだよね……ここを見てとか指さされたらどうしようかと思ってたよ~』
雰囲気を明るく保つために、とぼけた調子で放たれた茉莉の言葉に、真面目なトーンの穂乃香の問いが返された。
「茉莉お姉ちゃんにはこの魔法陣が見えないのね?」
床に描かれた魔法陣をわざわざ指さした穂乃香の問いに、PC越しに同じものを見ているはずの茉莉が『うん』と正直に答える。
すると、それを聞いた穂乃香は黙り込んでしまった。
「ど、どうしたの、穂乃香ちゃん?」
未知の部分が多い魔法に関する事だけに、茉莉は緊張をもって、沈黙したままの穂乃香に問いかけた。
すると、穂乃香が動いたことを示すように、PCの中央に表示されていたブローチの映像が動く。
それからややあって、穂乃香の声が聞こえてきた。
『この魔法陣は魔力で直接書かれているけど、別に隠ぺいの魔法が掛けられているわけではないわ』
「う、うん」
『結論から言うと、ユラ側から隠ぺいを解除しているとはいえ、話ができる茉莉お姉ちゃんに見えないわけがないわ』
穂乃香にそう言われて、茉莉は再度床の魔法陣を診ようと目を細めるが、床の上に魔法陣が浮かんで見えることはない。
「やっぱり、魔法陣なんて見えないけど……」
申し訳ない気持ちで、俯きかけた茉莉に、穂乃香から『それなら』と新たな仮説がもたらされた。
『茉莉お姉ちゃんの用意してくれた、このブローチ……というよりは、おそらく、カメラは魔力を録画することはできないのかもしれないわ』
「じゃあ、私も直接見れば……」
『そこは実験しないと断定はできないけど、実験する価値はあるわね』
「ほんと!」
魔法陣がみえなかったことで、落ちていた茉莉の気持ちが一気に急浮上する。
思いの外、役に立てないことや、魔法陣を見られないことに、気落ちしていたのだと実感して、茉莉は苦笑してしまった。
『それじゃあ、この魔法陣は危険なので消してしまいましょう』
「できるのね?」
『もちろん』
自信に満ちた穂乃香の言葉に、茉莉は思わず背中に在ったベッドにもたれかかって息を吐く。
だが、穂乃香の様子に安堵してし、気を抜いた茉莉は、直後に穂乃香が漏らした呟きを聞き逃してしまった。
『だってこれは、私の……わしの世界のモノだからの』




