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セーラー服の魔法使い  作者: 雨音静香
第六章 幼女と信頼
159/812

159 幼女、救出される

「次は?」

『10メートル先を左折』

「了解」

 足に纏わりつく長いスカートすらも障害にならないとばかりの見事なスライドで、校舎を疾走するゆかりは、通信機から聞こえてくる更に音を大きくした壁の打撃音に表情を顰めた。

 直接穂乃香が攻撃を受けていないだろうとは予測していても、その音を一人で聞いているのだと思うだけで、胸が締め付けられる。

 速くたどり着きたい一心で、ゆかりの脚は大地を掴み、そして体を前へとものすごい速さで押し出し、普段の歩幅の倍はありそうな大きなストライドを刻んだ。

 その勢いは凄まじく、ゆかりはうまく曲がり切れずに、廊下の壁に愛用のパンプスの靴跡をしっかり刻み付ける。

 だが、穂乃香へと意識を向けるゆかりにそのことを気にする余裕などありはしなかった。

 ほぼ無呼吸で目的のトイレを目にしたゆかりは、通信機のついた左耳と周囲の音を拾う右耳の音が重なるのを確認しつつ、何のためらいもなく踏み込む。

「散れ!」

 ゆかりが一歩トイレの中へと踏み込んだ直後発した言葉は、そのわずか二文字だった。


 クラスで一番やんちゃ、元気でみんなのリーダー、体力も体格も一番、それが少年が増長したきっかけだった。

 周りのクラスメイトや友人たちも、どこか遠慮したように少年に接し、多少の我が儘ならごり押しで通せる。

 その自覚が、少年を傲慢にしていった。

 だが、少年は愚かでありながらも、盲目ではない。

 少年の粗暴な振る舞いに嫌気や拒否感、恐怖を感じるクラスメイトや友人が、彼から離れていくのを察する程度の皮膚感覚はあった。

 一つ、少年が不幸であり愚かだったのは、その対処法を読み違えたことにある。

 無理やりのごり押しが通じてしまった成功体験が、少年に選ばせたのはより粗暴で攻撃的になる事であった。

 そして、その少年の攻撃の指針が、トイレの個室に閉じこもった穂乃香に向かってしまったのは、意思を持った選択の上に成り立った事象ではなく、ただの不幸な事故でしかない。

 だからこそ、まるでその理由を理解できないのだ。

 メイド服に身を包んだ美しい女性が、心臓が止まりそうなほど冷たい殺気を振りまいて、男子トイレに乱入してきた理由を、いや、事実そのものを、少年はまるで認識できない。

 そうして、呆然としている間に、殺気を纏ったメイドは命令を下したのだ。

「散れ!」


 勢いと殺気の籠ったわずか二音の言葉で一つのカギの締まった個室の前を囲む少年たちを怯えさせたゆかりは、何の躊躇もなく足を踏み出すと、ほんのわずかなでっぱりしかない個室のドア鍵の開閉金具につま先を乗せ、軽やかに宙に舞いあがった。

 怯えた目で自らを見る三人の少年たちなどお構いなしに、体を持ち上げたゆかりはそのまま、天井上部の隙間から中の様子を確認する。

 そこに愛すべき主人を見たゆかりの行動は素早かった。

 金具に掛けたのとは反対の脚で、軽くドアを蹴って後ろに体を移し着地を決めるなり、俊足で踏み込む。

 そうして施錠したままのドアに容赦なく、蹴りを叩き込むなり、その一撃でドアを無理やりこじ開けた。

 傍らで尻もちをつく少年らの声なき絶叫の表情を置き去りにして、ゆかりは個室の中に侵入すると、俯いたまま震える主人である少女を目に向ける。

 素早く視線を動かして、穂乃香に外傷がないことを確認したゆかりは、一瞬安堵に表情を緩めると、今度は乱入時の般若のごとき表情とまるで違う菩薩の様な柔らかな表情を浮かべて声を掛けた。

「大丈夫ですか、穂乃香お嬢様?」


 自分の腕の中に納まり震えている穂乃香が、幼稚舎に通う前と同じ様に自分を「ゆかり」と呼んだ瞬間、ゆかりの心中は愛おしさで溢れ出していた。

 自分に縋ってくる穂乃香の姿に、ゆかりは愛おしさを、自身の愛の全てを込めて優しく、それでいて力強く抱きしめる。

 そのまま衿元の通信機のマイクを叩いて、穂乃香の確保をモールス信号で伝えてから、ゆっくりと穂乃香を抱き上げた。

 体が浮く感覚に反応して、穂乃香がより強く抱き付いてくる。

 ゆかりは穂乃香に不安を感じさせないように、ぎゅっと支える腕に力を込めて、より体を密着させ、ふわりとスカートを揺らして踵を返した。

 床に尻もちをついて怯える少年らを巧みにかわしながら、大切な宝物を抱えたゆかりは、そのまま一言も発することなくトイレを後にする。

 穂乃香とゆかりが去り、取り残された少年だけが、破壊された個室と互いの顔を見合わせながら、いつまでも震えることとなった。


 ロケ車に戻る道中で、ゆかりは怯えた様子がだいぶ緩んだ穂乃香に声を掛けた。

 謝罪の言葉を交わし合いロケ車にたどり着いたところでゆかりは、穂乃香から不意打ちを受ける。

 感謝の言葉と潤んだ瞳に、照れたような可愛らしい笑み、穂乃香の見せた姿に、ゆかりは心を鷲掴みにされながらも、抱きしめてしまいたい衝動をメイドとしての矜持で振り払った。

「少しこちらでお休みになってください。何かあればすぐに参りますので、ご安心ください」

 ゆかりはそれだけ告げると、深く礼をしてロケ車のドアをスライドさせる。

 冷静さを取り戻しつつある穂乃香が、これから羞恥や後悔に身悶えるだろうと察して、急いで距離を取ったのだが、それ以上に物理的障壁を設けないと、欲望のままに穂乃香を抱きしめてしまいそうな自分を抑えられないとゆかりは判断したのだ。

「弱った穂乃香お嬢様は危険……」

 ゆかりがつぶやいた独り言は、通信機を共有する護衛隊メンバーの耳に刻まれた後で、さわりと吹いた風に消えていく。

 そして、護衛隊メンバーは、ゆかりの鋼の意思に尊敬と畏怖の念を抱くのだった。

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