138 幼女、現状把握に勤しむ
「疲れたわ……必要のないところでものすごく疲れたわ」
自室のベッドに、ネグリジェ姿で寝っ転がりながら、穂乃香はぼやいた。
『主殿がいちいち可愛いらしいのが原因だの』
「だ、だから、もうやめて!」
ふわふわと浮かびながら言うユラに、穂乃香はガバリと体を起こしながら抗議する。
『ははは』
「笑い事じゃないんだからね!」
『すまぬの、主殿、ついじゃ、つい』
「つい、で、こんなに恥ずかしい思いをさせないで!」
ブスっとした顔をみせる穂乃香に、謝罪の言葉を伝えたところで、ユラは声の調子を変えた。
『さて、主殿、あの場所の事であるがの』
「え、あ、スタジオのこと?」
穂乃香の言葉に頷きながら視線を動かせば、そこには人形サイズの体で椅子の上に寝かされた三人の精霊たちの姿がある。
『そこの三体に調査を命じた結果から言うとだの、おそらく、あの事故を起こした黒い魔力の塊は、残滓すら残さず消え去ったようだの』
ユラの報告に、首をひねった穂乃香が問う。
「消え去った……って、もう存在しないってこと?」
『そうなるの』
穂乃香の言葉にユラが頷いた。
すると、穂乃香は笑みを浮かべて「それならよかったじゃない」と口にしたが、その言葉にユラは少し深刻そうな顔で首を左右に振る。
『それが、そうとも言えぬの』
ユラの態度に、穂乃香は強い危機感を覚えて、不安そうな表情を浮かべた。
「それってどういうこと?」
『霧散したのであれば、痕跡が残る……が、それがないということは、霧散したのではなく、何かに入り込んだ可能性が高いの』
ユラの言葉を吟味しつつ、穂乃香は言葉の中で特に引っ掛かった点を尋ねる。
「入り込んだ何かって……」
『……モノであれば良いがの』
言葉を濁すユラの態度に、穂乃香は一つの仮説を思い浮かべた。
「もしかして……人に入り込んだ?」
穂乃香の言葉にやや間を開けてから、ユラはコクリと頷く。
『人の中に入り込んだ可能性は否定できないの』
ユラの言葉に、穂乃香は瞬時に表情を硬くした。
『主殿は膿を滅してくれたが、此度のそれは近しくも別のモノのようだの』
顎に手を当てながら、ユラは自らの結論をそう言葉にした。
「別モノ?」
『膿はその名前に秘める言霊の方向性ゆえに、飲み込むという性質が強く、ヒトやモノに入り込むことはない存在だの……むしろ、ヒトやモノを飲み込んでしまう方が、性質としては発現し易いの』
ユラの言葉を噛みしめながら、穂乃香は「なるほど」と頷く。
『対して此度の存在は、凝であろうと思われるの』
「こり?」
『左様、もともとは澱と呼ばれおったのだがの、ヒトの怨念などが流れのない沼や池の底で蓄積された怨念の集合体のようなものかの』
ユラは少し緊張した面持ちで説明の言葉を紡ぎ、穂乃香はネットを駆使して仕入れた知識をもとに、正確にその意味を読み取った。
ゆえに、穂乃香の表情はだいぶ苦々しくなっている。
「そんなものが、どうして……」
『そこは何とも言えぬが、芝居小屋や劇場は、舞台と舞台裏、表と裏がはっきりと分かれやすい性質があるからの。さらには、観劇というものは見る者を楽しませる性質があるゆえ、暗い感情は剥離しやすいの』
ユラの言葉に頷きながら、森の人が何故生まれたのかと調べた時に、劇場やスタジオなどで怪奇現象が起きやすいという情報を目にしていた穂乃香は、ふたたび納得したように頷いた。
『それにだの。そこの三人だがの』
「青葉たち?」
『うむ、それらは木の怪なのだがの。そう言った者たちは水辺に生まれやすいのだの』
ユラの言葉に穂乃香はスタジオを思い浮かべながら首をひねる。
「水辺と言っても……見当たらなかったような」
穂乃香が目にした範囲にそれらしいものはなかったのだが、ユラは『いくつかあったの』と指を折った。
『まずは大きな水槽だの。以前主殿が行った水族館と違って魚は泳いでおらなんだがの』
「撮影用の水槽があるって、あおいさんが言ってたわ、海や川のシーンを撮ったりできるって!」
ユラに言われてあおいとの会話を思い出した穂乃香が、声を大きくしながら頷く。
『それに屋上には水の詰まった巨大な容器もあるの』
「そうか、幼稚舎の校舎もそうだけど高い建物にはついてることがあるって何かの時にゆかりさんに聞いた気がする」
次いで水道用のタンクに思い当たった穂乃香は、再び大きく頷いた。
納得が増える程、それが嬉しいのか、穂乃香は表情を大きく輝かせていく。
一方、その様子を見つめるユラも興が乗ったようで、主の反応を楽しみつつ指を折った。
『さらには地下にも水が溜められておったの』
「地下……地下……あ、そうか、たぶん、エリーの言ってた防火水槽だわ」
答えに到達した穂乃香は、自分の思考をユラが読めることなどすっかり忘れて、笑顔で説明をして見せる。
「このお屋敷にもあるのだけど、火事が発生した時に、消火に使う水を貯めておくの、そのための水槽よ!」
ユラは、珍しく年相応に見える誇らしげな主に微笑みながら、次を口にした。
『それに加えて、あの土地は元々、沼であったようだの』




