幾ら金を稼いでもダメなものはダメ
天上天下唯我独尊。ネットで調べて見て下さい。
ちょうど、選抜の甲子園が遣っていたので例えとして用いらせて貰ったが、実に素晴らしいと云えるだろう。其れに引き換え、僕の友人は『天上天下唯我独尊』を貫いて尚、其の無防備さに気付いていない。そんな考えは判然云ってギャンブルと同じ事だ。其れはそうだろう。自身が有力な人脈を持っていて、下の者に引き継がせる事が出来たなら其れは大いに結構。成功と云えるだろう。只、僕の“友人”は自身の為にしか徒労を良しとしない。昔から、そんな奴だ。自分が楽しく無ければ、先ず納得しない。従って、部下の失態を赦さず、又、尻拭いも嫌だと云うのだから呆れて物も云えない。然も、自身の成功には多大なる評価を求める。日本語とは本当に自由自在である。間違いを犯しても言葉で何とか出来る。逆に、成功を収めても言葉で蹴散らす事も出来る。好いた張ったで凡てが片付いてしまう。実に下らない。馬鹿も休み休み云えと、僕は判然と云える。之までの人生が其れを裏打ちするに足るからである。僕は正しく生きようと努めた。例え、頭が悪くても。けれども、其れは赦されなかった。だからして、四年制大学へ通い、かなり優秀な成績で卒業した。其れに比べて、彼の友人は、専門学校から四大へと編入し、経済学を学び、卒業した。其れだけは褒められた事だと思う。然し、大学を卒業する為に必要な卒業論文を書いていないというのだからお笑いだ。『詰まり君は食べる為に大学へ行ったのか?』と、そういう訳である。別に生涯アルバイトで暮らす事も出来る世の中だ。いや、寧ろ、其の方が国に収める金子が減って楽だろうにと思う。恐らく彼は、時代に付いて行けず、惨めな最期を遂げるであろう。仕事は仕事。遊びは遊び。そんな風に割り切れない彼は、生涯を思い、到る死へと誘われるだろう。……
因みに僕は、沢山の人との交流を経て、最期を迎えたいと思っている。多少の損は仕方ない。其れでも、其の時其の人が笑って呉れるなら、其れが一番だと考える。命と云う物は明々白々。望む可き処へ行けなければ、何んなに成功を収めても敗北である。わざわざこんな“アホ”に付き合って下さる方には能く解ると思う。成功してもダメな物はダメ。他人の言葉に耳を貸さないのもダメ。自分本意で生きるのはもっとダメなのだ。正に今日、思い知った。自分が『マスターベーション』の最中なのに邪魔をするなと云われたからだ。もう一度云おう。実に下らない。馬鹿の相手はもう止めだ。君達、いや、僕よりも年齢を重ねている人も居るかも知れないが、一度、原点に返って考えて見るといい。
友と呼んだ人物は其れきりの余りものでした。




