ヘルパーの九割は実はクソですよ
経験則からして、ヘルパーって結構悪どいですよ
転職を考えて介護、“特養”の施設の面接を受けた。最初の挨拶位は普通に済ませた。然し、実際に面接になると完璧な“圧迫面接”だった。知らない人もいるかも知れないので簡単に云うと、『ヤクザ』と話し合いをするようなものだ。もっと具体的に云うと、向こうの気に入るか気に入らないかだ。正直言って途中から遣る気が無くなった。そもそも、『コロナ対策はどうですか?』と云う質問をしたら『国が定めているのでしっかりと遣っている』と云われた。全く答えに成っていない。更に云うなら、入り口に在る手を消毒するアルコールの量は、普通のスーパーやら量販店、病院に比べると、凄まじく少量だった。判然云って、絶対的に少ない量だ。其れで国の定めている基準とは全く以って少ないのにも拘らず、堂々と話して来る時点で正直云って『馬鹿かコイツ』と思った。基本的に介護の現場と云うと、三大介護というのが有って、身体介護プラス食介、入浴介護、排泄介護と云うものが有る。そして、一番重要なのが、一介護に付き、一消毒である。更に、多めにアルコールの量を普段から適切に手に取るのが当然だ。其の上で、きちんと手に染み込ませる様に揉むのが普通だ。だからして、面接がどうのという以前から不信感に捉われてしまった。詰まり、コロナ対策はしているが、万全ではなかったのである。そのクセ、圧迫面接。呆れるより他に無い。然も、其の面接官が二人居て、二人共女性で、明らかに僕の欠点を見付けようとする人と、もう一人は其れを聴いて、僕と云う人間の人格を探っていた。更に、一緒に行った派遣会社の人の一挙手一投足で、今の返答は間違いだったんだなと解ってしまった。詰まり、之は失敗だったと思い知らされた。流石に僕も其れ程馬鹿ではないので、其の度に『ああ、そうか』と思いながら、途中からはテキトーに話をしていた。そもそも、僕の住んでいる処には、其処で指折りのヘルパーさんが居て、色々と教えて貰っていたので、面接官の程度も直ぐに解った。其の上で面接を受けて居るので、正直不愉快だった。「貴様は何れだけの経験則を持っているのだ」と思いながら話をし、質問に答えていた。今まで生きて来た中で、最も下らない面接だった。皆は、ヘルパーといえばきちんと介護をし、其れを誇りにし、そして生きて居ると思っているかも知れない。然し、実際は全くの逆だ。喰う為に遣って居るだけだ。畢竟、喰う為だけに遣っているだけだ。然も、ヘルパーなんぞクソ喰らえと云う考えを持った人の方が多い。完全な自己防衛だ。自らが生きる為に他人の“世話”をする。大体七割位のヘルパーがそんな考えを以って仕事に従事している。なので、本当に親を介護したいなら、自身がヘルパーに成る可きだ。或いは、資格は無くとも介護を覚える可きだ。ド素人のヘルパーなんぞ、人とのコミュニケーションさえ出来ていないから。此処まで書いては来たものの、業界用語を避けたのには理由が有る。中途半端に覚えてしまうと対応に間違いが生じるからだ。三大介護は特に問題は無い。寧ろ覚える可きだ。其れが出来ないと、普通の生活が送れないからだ。例えば、皆の中にも障害者は居るだろう。詰まりは、そういう事だ。真面な生活は送れなくとも、軽度であれば健常者と同じ条件で暮らして行かねばならない。其の辛さを僕自身味わっているのだから間違いは無い。家に帰れば、兄達からの虐待。眠ろうとしても、隣の部屋で、大音量で洋画を観る父。喰いたくなければ喰うなと云う時代錯誤の母。そもそも、実家に居た時には本当の、人としての生き方が出来なかったのである。今更なので一々、責任を負えとは云わないが、流石に此の歳になると色々と心配になる。自分はホームレスにでも成って其の辺でのたれ死んでしまえば好いが、之まで育てて貰った恩義が有る。すると、やはり今後の両親の生活を已む様になる。だからして、ヘルパーの資格を取ったのだが、先述の通り腐った心根を持った連中が確実に半分以上は居る。正直に云うと、そいつ等が一番厄介だ。喰って行こうと思うなら別の仕事でも好いのに、わざわざ介護に来る連中が多い。理由としてはこうだ。会社をクビになった。楽がしたい。テキトーでも通用する。利用者様を物として観ている。僕は今までそんな連中を沢山見て来た。無論、自分が介護職に就こうと思う前の事だが。然し、介護の現場と云うのも余りに不親切で、先に挙げた様な『圧迫面接』でなくとも、或いは、一般的な面接であっても、遣る気が有るか無いかを問わずに、資格だけを見て雇ってしまう。非常に軽薄だ。僕は命の遣り取りの中生き残り、シベリアへ抑留されても帰って来て呉れた祖父が居たから、温い環境で育った連中がテキトーな仕事をするのを観て居られない。我慢がならない。遣ると決めたら命を懸けろと、そう云いたい。自分が生きているのは命が有ってこそ。ならば、介護をさせて頂く人達にも命が有るのだ。今の人間には少しく常識が足らない。分かる事でも無造作にしてしまう。其れでは駄目だ。一単位に一単位。命とは等しく有る可きなのだ。存在の証明として命が有るのなら、其れを最期まで観護るのが、本来だろう。最期に成って線香をあげても、もう遅い。生きて、日々を送っている命を護るのがヘルパーの仕事だ。此処まで読んでヘルパーに成ろうと云う人は失格だ。自分で気付け。当たり前の毎日は命有っての事だ。其れを知らずして介護に携わろうと云うのなら、判然云うが、間違いだ。勘違いだ。心理学と、社会学を勉強してからにしろ。中途半端な気持ちで介護の現場に来てくれるな。以上、現状報告である。
皆、御飯が食べたいから遣ってるだけです




