云い様が無い
皆さんまだまだ苦労を知りませんよ。
今日、正につい先刻近くの、所謂量販店に行って来た。僕は、コンビニには殆ど行かない。沢山の品揃えが有るけれども、判然一つ一つの値段が高いからだ。便利と云えば便利だが、そう、度々通える処ではない。だからして、大体一週間位の必需品、と云っても食糧ばかりなのだが、何時も其処で仕入れをする。そもそも、仕事の都合上、稼ぎも高が知れている。毎日命懸けの仕事をしていた頃と違って、僕はもうオッサンなのだから、又、障害者でもあるので、流石にそんな仕事は出来ない。鈍った体だが、其の割には未だに百キロは優に持ち上げられる。全く無意味な力だ。筋力ばかりで、此の情報社会を生きるのは無理な話だ。其れに、土工の仕事などは冬に多い事が何故だか知っているだろうか。実は簡単な話で、年度毎の予算を遣い切らないと、翌年の税金の配当が減らされるからなのである。オカシな話だが、税金と云う物は一度国に徴収され、馬鹿な政治家に因って配分が決められるのである。なので、幾ら頑張って見ても、現状を知らずに居る連中が仕切るのだから、給料は滅多に上がらない。散々取り立てておいて、相応しい金が手に出来ないのは阿呆共の宴会の資金に成るからだ。一度でも好いから肉体労働をして見ろと云いたい。止めよう。下らない話だ……。
兎も角も、僕等は失う必要の無い時間すら奪われている。自身で捨てる者も居る。何うしてかな。ひょっとしたら、今こうして書いている事も、他者から見たりなば“其れ”なのかも知れない。然し、やおら書きたくなる衝動には敵わない。心が溢れてしまいそうなのだ。感情論ではなく、吐き出してしまいそうな程に荒れ狂うのだ。そんな時はとても苦しい。掻き毟りたくなる衝動を覚える心には、決して触れられないのだから。一つのお話が勝手に出来上がり、いや、マスメディアの影響に因る処が大きいのだから、自業自得と云うしか無いが、まるでパラノイアの様に情報を求めて已まない自らの愚かさに振り回されている。子供の頃には、まさか、自分がこんな人間に成るとは予期もしなかった。けれども、成ってしまった。生きる事とは死ぬ事と知る。詰まり、出来得る限りの“奉仕”を以って世界、いや、社会に準じねばならないのだ。其れはとても残酷だ。然し、死ぬ事と知るのならば、後世に生きる者達の“踏み台”位には成らねばならない。其れなら其れで多いに結構。自分達が実際過去の人達の恩恵に与っているのだから。いや、之も下らない。単なるマイノリティーだ。マジョリティーには所詮成らない。馬鹿馬鹿しい話だ。僕は悪い癖で、英語の順序で話を書くから、付いて来れる人など殆ど(ほとん)、居ない。全く、自身で満足するだけのパラダイスだ。幾ら書いても“繋がる”事は無い。本当の阿呆は、きっと僕の事なのだろう。
何うすれば、皆と解り合えるのだろう。冒頭に書いた通り、世の中は既に腐っている。腐り切っている。バレない様に世の中を仕切っている。オリンピックの話をすれば少しは解るかも知れない。結局の処、“爺さん”が金を吸い上げる為に遣って来たのだから。好い加減、実行に移そうよ。定年を迎えたなら年金で暮らせ。人に、国民に迷惑を掛けるな。嗚呼、まだ云い足りないが、最期に一言。笑わせるな。『おもてなし』って何だ?
何故なら、知っていたなら現政府を赦す筈ないですから。




