死して生くる可し
実際にもう直ぐ死ぬかも知れません。
僕等は等しく平等で、犯されざる可き自由を手にしている。そう云うと聞こえは良いが実は、其処に悲惨な不自由が有る。詰まりだ。僕等の選ぶ選択肢の九割は間違いなのだ。 然し、現実に希望は有った。宣伝になるかも知れないが、敢えて云おう。the pillowsの❝ファニーバニー❞が宣伝のテーマとして遣われたのだ。之は今以って信じられないが、信ずる可き事だと思う。実際、他に選ぶ曲など無いからである。只、其れだけの事であるが、僕は素晴らしき事だと思った。そんな、七十億の人類からすれば一片の喜びですら、“生きよう”と云う希望を与えて呉れる。其の存在は大きい。だからして、生きて行けるのである。僕が実際である。然し、何うやら僕は、もう直き死ぬらしい。まだ、判然とはしていないが、大学病院の先生の見立てに因ると、肝の臓がイカレていると云われてしまった。冒頭で述べた通り、等分の自由を行使し続けた結果、そうなってしまった。之も又、冒頭で述べた通り、九割の間違いを犯してしまったのだ。けれども、死ぬるか生くるか、其の何方か解らないで生きて行くよりずっとマシだと僕は思う。丁度、左の手首も折れていて、何うあっても金を稼げないのなら、一応ではあるが生き延びる方に賭けてみたい。そうすれば、憧れるものに少しでも近付けるかも知れない。そして、其れが現実と成ったなら、僕の2リットルにも満たない脳から湧き出る想いや、世界を見詰めて思った事を綴れる。其れは、比べる可くも無いとても美しい事だ。ネガティブな訳では無い。之は完全にポジティブな考えだ。人は何れ死ぬ。其れを約束として生まれて来たのだから。……
後何れ程生きられるか解らないが、出来る事を只管に、一所懸命に、一生懸命に遣れる筈だ。僕は冒頭に挙げたバンドの素晴らしさに、一歩でも近付きたい。出来得るなら会って話がして見たい。其れは適わぬ夢故、単なる望みとして心に仕舞置こう。之からは何時か観た四角いプリズムの様に、歪でも好いから人を感動させる様な物を書いて行こうと思う。一握りの人達の為に。
でも、只では死にません。




