第二話 初める朝
神官の手から容赦なく放たれた激しい炎。子どもなど一瞬で炭にしてしまうほどの高温。その筈が、ライルを包み込んだ炎は、苦しみを楽しむように揺らめき、ゆっくりとライルの皮膚を焼いていく。
「ライル!ライル!お願い!やめて!」
必死に名を呼び、救いを求めて叫ぶサラの声は、既に喉が潰れて酷く掠れていた。それでも、叫び続ける。叫び続けることしかできない。
「ぎやぁぁぁあっ! あづい! おねぇ、ちゃ……っ!」
炎に包まれ、全身を激痛に苛まれたライルが助けを求めて狂乱し、這い寄ろうとする。
だが、教会騎士は顔色ひとつ変えず、近づかせまいと鞘に納めた剣でライルの小柄な身体を荒々しく殴り飛ばした。
「ゆっくり焼くと煩くて敵わんな」
神官がつまらなそうに吐き捨てた。
その言葉で、教会騎士が同意して見せた。
彼女の掠れた声が小さく囁かれた。
「お願い…助けて…」
届かない願い――その筈だった。
ライルを激しく焼いていた炎が、まるでそこにはなかったかのように、一瞬で霧散した。
「あつい…痛い、よ…」
ライルの声だけが響き、神官と教会騎士は理解が及ばずに戸惑いを隠せずにいる。その時、黒い神官服を纏った男が静かに家に入ってきた。
聖職者と呼ばれる神官は白と青の神官服、教会騎士は銀の鎧に白の装飾。それすら飲み込みそうな程の異様な黒に、僅かな金の刺繍。
その男の異様な姿と纏う気配を目にした瞬間、神官の顔から血の気が引き、見る見るうちに青ざめていった。
「何故…予定と違っ」
神官が、黒い神官服の男を見据えたまま後ずさる。
「確かに、少しだけ違いますね」
黒い神官服の男は、困ったような笑みを浮かべているが、明らかに異質に見えた。
教会騎士が剣を構えると、 金属が震えるような甲高い音が鳴った。教会騎士の持つ剣が朽ち果てていく。その光景に全員が目を奪われていたが、布が床に落ちる音がし、今度はそちらに目を向ける。
そこにあったのは、神官が着ていた神官服と、大量の蒲公英の綿毛だった。
「な…」
教会騎士が言葉を詰まらせる。
男は気にした様子もなくライルに近づき、ライルの額に人差し指を当てた。
「やめて!」
彼女は咄嗟に叫んでいた。ライルが消されてしまう。その恐怖が、男への恐怖を凌駕し、呆然と立ち尽くす教会騎士を押し退け、ライルを抱き寄せた。
抱き寄せたライルは、酷い火傷をしているが、服を強く握り返してくれる。
「大丈夫ですよ。すぐ戻りますから」
目を見て微笑む男の笑顔は酷く悲しそうに見える。
「もど…る?」
「はい。戻ります」
男の人差し指が、またライルの額に触れると、光すら発する事なく、時間が遡るかのように火傷が消えていく。
彼女は言葉も見つからずにライルと男を交互に見ている。
「体力は戻りませんから、少し寝かせてあげて下さいね」
男はそう言って立ち上がり、教会騎士に向き直る。
「ですが…流石に失くしてしまった命は戻せないので、敵討ちぐらいはして差し上げますね」
言い終えるのが先か、異常な程の威圧感がその場を支配し、正面にいる教会騎士は腰を抜かしてしまう。男の背後にいる彼女ですら、ライルを強く抱き締め逃げ出したい衝動に駆られた。
「や…やめ…っ!」
ひとりの教会騎士の悲鳴を上げようとするが、まるで音が世界から切り離されたかのように静寂に包まれた。
音が戻ったのは、教会騎士の鎧が床に落ちた瞬間だった。
「意識を保ったまま、儚い花となり散るがいい」
冷たく放たれた男の言葉が、ない筈の風を産み、床に落ちた神官と教会騎士だった蒲公英の綿毛を大空へと運んでいく。
彼女に背を向けて、大空に舞っていく蒲公英の綿毛を眺める男の背は、不思議と少しだけ小さく見える。
その背を見ているうちに、男への恐怖が少し和らいでいたことに気付く。
「あ、あの…ありがと」
その言葉は、男を少し驚かせた。
「いえ、ご両親は救ってあげられませんでした…」
そう言って、男が両親の亡骸に触れると、まるで生きているかのように綺麗な姿に戻っていく。
「せめて、綺麗な姿で埋葬してあげましょう」
――そうして数日の内に、小さな村で小さな葬儀が行われた。
葬儀の最後、手作りの墓標の前に二人の姉弟が並んでいる。その背中を少し離れた場所から、男は黙って眺めていた。
漸く振り返ったその背中の持ち主二人と男の目があった。
二人は男に歩み寄り、男に話し掛けた。
「あの…名前、サラっていいます。弟は、ライル」
「あ…あぁ。私はファル、でいいですよ」
ファルと名乗った男は葬儀までの間、ライルの容態を気にしてサラの家を訪問していたが、名乗っていなかった事に今さら気付き、ばつが悪そうに微笑む。
黒い瞳には、金の円環が浮かび不思議な光を放っている。
「ファルさん…あの、ちゃんとお礼をしたいんですけど」
ファルの見た目は20代前半に見えるのに、得体の知れない恐怖心がサラを支配している。
そんなサラを見て、ファルは少し苦笑いをしてから屈み、サラではなくライルに視線を合わせた。
「良く、頑張りましたね」
ファルが優しくライルの頭を撫で、9歳の子どもには抱えきれない傷が大粒の涙となって流れ出した。
ファルがライルをそっと抱き締めると、叫ぶように泣き出す。
「サラさんも、泣いていいのですよ」
ファルはそう言いながら、サラが握り締めている拳に手を添えた。
その手は、しっかりと人の体温を感じさせている。しかし、サラには底知れぬ冷たさが伝わっていた。




