第十話 明けぬ夜へ
深夜、月明かりが淡く照らす家の中、サラはライルの寝顔を眺めていた。
幼い無垢な寝顔。
思わず笑いそうになってしまうような寝相。
「ライル…ごめんね」
サラは優しく、壊れ物を撫でるようにライルの髪を撫でた。
少し冷たい髪を掻き分ければ、確かな温もりが伝わってくる。それを忘れないように、噛み締めるように、サラはほんの僅かな時間を大切にした。
惜しむようにライルから離れ、机に手紙を置いて部屋を後にする。振り返らないように、足を止めないように前を向いた。
玄関から外に出て空を、月明かりが少しだけ眩しい。
「行ってきます…で、いいんだよね」
サラは小さく呟いて歩きだした。
母が大事に育てていた花、父が大切にしていた畑、ライルが書いた地面の落書き、何一つ視線は向けない。
虫の鳴き声とサラの足音だけが世界にあるような、そんな静かな夜。
何度も何度も、歩く速さが遅くなる。その度に、必死で歩く速度を早めた。
サラには短い時間が長く感じられた。何時間も歩いたような感覚に陥り、漸く見えてきたひとりの影。夜すら飲み込みそうな黒い神官服を着たその人は、ひとり月を見ている。
サラの足音に気付き振り返ったその顔は、いつもの穏やかな表情だ。
「サラさん…おかえりなさい」
これから旅に出ると言うのに何を言っているのか、そんな考えより先に涙と笑顔が溢れていた。
「なにそれ…変なの」
ファルは表情変えずにサラに歩み寄り手を差し出した。
「サラさん、帰ってきたら、ただいま、ですよ」
「…うん…ただいま」
サラがファルの袖を摘むと、ファルは仕方ないと言うように笑い、サラは気まずそうにしながらもしっかりとファルを見ている。
ファルがゆっくり目を閉じてから、息を一つ吐いた。
「まずは、北にある王都の図書館にいきましょうか」
サラはそれを聞いて北を向いた。
「…図書館?」
「ええ。歴史のお勉強です」
ファルの低い声に思わずファルを見上げると、穏やかな表情がなくなり、寂しそうにサラを見下ろしていた。しかし、サラはその理由を聞かずに飲み込む。
「ねえ…今から呼び捨てにしていい?」
「急ですね?」
「敬語とか、私には似合わないでしょ?」
「…確かに」
ふたりは小さく笑いながら一歩を踏み出す。
ファルの袖を摘まんだままのサラの手は月明かりに照らされ、鎖の一片のような影を作り出していた。




