第21話 追われたゴブリンの足跡
第1部:辺境領と教会編
第5章:ゴブリン小集団と柵作り
朝の水路は、いつもより静かだった。
ぷるが二体いるのに、静かだった。
大きい方は泥の底でゆっくり揺れ、小さい方は石の陰に半分隠れている。くず野菜の皮を置いても、いつものようには伸びてこない。ミナは水路の縁にしゃがみ、しばらく二つを見ていた。
「ぷる」
大きい方が、少しだけ揺れた。
小さい方も、遅れてぷるっと動く。
「水路だけ。畑はだめ」
二つとも返事はしない。でも、水路からは出ない。
それなら、今はそれでいい。
ミナは木札を三枚、膝の上に並べた。古い板を削っただけのものだ。新しい板ではない。村に、新しい板を木札へ回す余裕はない。
折れた箱のふた。割れた桶の端。薪にするには少し湿りすぎた木片。そういうものを選び、使えるところだけを切り出した。
紐も新しくない。ほどいた古縄を、まだ使える細さに割ったものだ。
「また増えるのか」
トマが小屋の方から来た。手には、鳴子に使う乾いた木片をいくつか持っている。
「増やす」
ミナは膝の上の木札を一枚、指先で押さえた。
「足跡があったから」
「木札を増やしたら、足跡も遠慮してくれるか?」
「分からない」
「だよな」
「でも、人は遠慮するかもしれない」
「そっちは分かる」
トマは木片を置き、水路を見た。
「ぷる、今日はおとなしいな」
「たぶん、森の匂いが残ってる」
「足跡のやつか」
「うん」
「魔物か?」
ミナは木札を持つ手を止めた。
「まだ決めない」
「でも、キキが昨日、ゴブって言ったよな」
「言った」
トマの目が、キキの隠れ場所の方へ動く。
「それでも決めないのか」
「決めない。キキも怖がってたから、ちゃんとは聞けてない」
トマは少し黙って、木札の向こうを見た。
キキの隠れ場所は、森番小屋から少し離れた木札の外側にある。枝と葉を重ねただけの小さな場所で、朝露に濡れた葉の先が光っていた。その奥から、キキがこちらを見ている。
昨日より、耳が伏せている。
木片を胸の前に抱え、鼻だけを少し動かしている。
ミナは布包みを持ち上げた。昨日、森の端で拾った赤茶色の布切れが入っている。直接見せるつもりはない。匂いだけで十分かもしれない。
「キキ」
キキは肩を揺らした。
逃げはしない。
けれど、近づきもしない。
ミナは木札の内側で止まり、布包みを地面へ置いた。
「見る?」
キキは布包みを見た。鼻がひくっと動き、すぐに耳がさらに伏せる。
「ゴブ」
小さな声だった。
ミナは布包みに手をかけたまま、すぐ閉じられるようにする。
「ゴブリン?」
キキはミナを見た。それから、自分の胸を指す。
「キキ」
今度は、布包みを指した。
「おおきい」
「キキより大きい?」
キキは少し迷って、うなずいたように見えた。
「キキ、ちがう」
「うん。キキとは違う」
「こわい」
「怖いんだね」
キキは森の方を見た。
「ロウ、こわい」
「ロウも怖い?」
キキは強くうなずいた。それから、布包みを見る。
「ゴブ、こわい」
「どっちも怖い?」
キキは返事をしなかった。代わりに、隠れ場所の枝をぎゅっと握った。
ミナは布包みを閉じた。
「もうしまう」
キキの肩が、少しだけ下がる。
トマが横で、小さく息を吐く。
「説明になってるようで、全然分からないな」
「うん」
「ゴブリンが怖いのか、ロウが怖いのか、どっちもなのか」
「どっちもかもしれない」
「それが一番困るやつだ」
「うん」
ミナは木札を拾った。
「だから、木札を増やす」
「分かりやすいな」
「分からない時は、分かるものを増やす」
「木札か」
「木札」
村の広場へ行くと、バルドはすでに待っていた。杖を持ち、顔は朝から固い。ガルムもいる。弓は背にあるが、手はすぐ届く位置にある。
村人は少し離れていた。
子どもはいない。
家の中へ下げられている。
それだけで、村の空気がいつもと違った。
「布切れは」
バルドの杖先が、ミナの道具袋へ向いた。
ミナは布包みを出し、地面に直接置かず、古い板の上へ乗せた。
「これ」
「触るな」
ガルムの声は短かった。
誰も触っていない。それでも、場の空気が少し締まった。
ミナはうなずく。
「素手では触ってない」
ガルムはしゃがみ、布包みの端だけを見る。鼻を近づけすぎない。
「血ではないな。泥と汗だ」
「獣の毛じゃない?」
「違う」
「人の布か」
トマの視線が、布切れからバルドへ移る。バルドの眉間が深くなった。
「人のものなら、人の足跡もあるはずじゃ」
「なかった」
ミナは古い板の上の布切れを見たまま、首を横へ振った。
「靴跡は見てない。小さい足跡がいくつか。裸足に近い形」
「ゴブリンか」
バルドの声は低かった。
ミナは、すぐにはうなずかなかった。
「まだ決めない。でも、キキは匂いに反応した」
「何と言った」
「ゴブ。おおきい。キキ、ちがう。こわい」
トマが布包みから顔を上げる。
「あと、ロウも怖いって」
バルドは額を押さえた。
「怖いものが増えすぎじゃ」
「うん」
ミナは素直にうなずいた。
「だから、子どもは下げておいて。家畜小屋は早めに閉める。森側の水汲みは一人で行かない」
「お前が言う前に決めておる」
「ならよかった」
「よくはない」
バルドは杖を鳴らした。
「ガルム」
「行く」
「トマ」
「行く」
「ルシェラ殿は」
「来ておる」
声は、背後からした。
振り返ると、ルシェラが広場の端に立っていた。いつの間に来たのか、誰も足音を聞いていない。
手には、肉を刺した串がある。
「……それ、朝ごはん?」
ミナの視線が、串の肉で止まる。
「見張りの途中で焼けた」
「見張りの途中で焼かないで」
「火加減は見ておった」
「そういう問題じゃない」
トマは串を見て、声を落とした。
「この状況で肉食ってるの、逆に安心するな」
「しない」
ミナの返事は早かった。
ルシェラは、布包みをちらりと見た。
「恐怖の匂いが残っておる」
バルドが顔を上げる。
「何か分かるのか」
「何かが逃げた跡だな」
「何からじゃ」
「それは見てみねば分からぬ」
「そこは分からんのか」
「分からぬものを分かったと言うほど、わたしは雑ではない」
トマがミナを見た。
「ちょっとミナっぽい」
「似てない」
「似てる」
「見に行くよ」
「流した」
バルドは咳払いをした。
「森奥へは入るな」
「入らない」
「普段の見回りの延長までじゃ」
「うん」
「足跡を見て、危ないならすぐ戻れ」
「うん」
ガルムの手が、弓の近くで止まる。
「足跡を踏むな」
「踏まない」
「ロウがいても近づきすぎるな」
「近づかない」
「ルシェラ殿がいても安心するな」
「しない」
ルシェラが串を持ったまま、不満そうに目を細めた。
「わたしがいても安心せぬのか」
「安心したら、ルシェラが何か焼くかもしれないから」
「失礼な」
「でも合ってる」
トマの口元が少しだけ緩む。ルシェラの視線がそちらへ向いた。
トマはすぐに口を閉じた。
森の端へ向かう道は、昨日より長く感じた。朝なのに、森の影が濃い。
ロウの姿は、南の木立の間にあった。
金色の目がひとつ。
右耳の端が欠けている。
ロウは森の中へ深く入らず、木の根元に立っていた。足跡の上ではない。少し離れて、草を踏まない位置にいる。
待っていたようにも見える。
見張っていただけにも見える。
ミナには、まだ分からない。
「ロウ」
ミナが呼ぶと、ロウの耳が動いた。
近づいては来ない。
「今日は、境を見るだけ」
ロウは答えない。ただ、森側へ少し顔を向けた。
ミナは足元を見た。
昨日の場所だ。
小さな足跡が、まだ残っている。夜露で少し縁が崩れているが、形は分かる。
一つではない。
草の陰で途切れながら、二つ、三つ、さらに奥へ続いている。深さも向きも違う。歩幅もそろっていない。
「ばらばらだ」
ガルムは足跡の向きを目で追った。
「並んで歩いてはいない」
「村へ来たって感じじゃないね」
トマも草の陰に残った跡をのぞき込む。
「向きが散ってる」
ミナはしゃがんだ。
足跡は小さい。でも、キキのものより大きい。子どもの歩幅ではない。小柄な大人の歩き方に近い。
ただし、足取りはきれいではなかった。
まっすぐ村へ向かった跡ではない。森沿いを迷い、立ち止まり、戻りかけ、また進んでいる。
「隠れた?」
ミナは倒木の陰を見た。
腐葉土が不自然に寄せられている。人が寝た跡ほど広くはない。獣が丸くなった跡とも違う。小柄なものが、体を低くしてじっとしていたような窪みだ。
近くには、根を掘った跡がある。食べられる草の根が、細くむしられていた。
ミナは、その跡を見た。
「食べ物を探した跡だね」
「ゴブリンでも腹は減るか」
トマの声に、ガルムの視線が向いた。
トマは少し慌てて手を振った。
「いや、変な意味じゃなくて」
「減る」
ガルムの声は低かった。
「腹が減ったものは危ない」
「うん」
ミナは根の跡を見たまま、畑の方を思い浮かべた。
「村の畑へ来たら困る」
「そこに戻るんだな」
「畑に来る理由になるから」
「そうだな」
倒木の先には、低い枝が削られた跡があった。
刃物できれいに削ったものではない。尖った石か、欠けた金具か、硬い木片でこすったような跡だ。削り取った枝の皮が、足元に散っている。
ガルムが枝を持ち上げずに見る。
「何か使っているな」
「道具?」
「道具のようなものだ」
ミナは近くの根元を見た。
赤茶びた金具が、土の中に半分埋まっている。新しいものではない。かなり古い。端が曲がり、錆で膨らんでいる。
その端に、こじった跡があった。
「取ろうとした?」
トマが金具の端をのぞき込む。
「取れなかったみたい」
ミナは手を出さなかった。
「素手では触らない」
「言われる前に言ったな」
「ガルムさんが言いそうだったから」
ガルムは否定しなかった。
ルシェラが倒木の向こうへ目を向けた。
「弱いものが隠れ、弱いものが食い、弱いものが削っておる」
「獲物って言わないでね」
「まだ言っておらぬ」
「言いそうだった」
ルシェラは少し口を尖らせた。
「小娘、わたしの言葉を先に取るな」
「予想させないで」
トマが小さく笑いかけたが、すぐに顔を戻した。
笑える場所ではない。
森の中は静かだった。鳥の声は遠い。虫の音も少ない。
ロウは少し離れた木の陰にいた。足跡には近づかない。踏まない。
ミナは、それに気づいてしまった。
「ロウ、知ってるの?」
ロウは答えない。
金色の目だけが、ミナを見る。
「知ってるように見えるな」
トマもロウの目を見ていた。
「見えるだけかもしれない」
「でも、足跡踏まないで待ってるぞ」
「うん」
「やっぱり分からないな」
「うん」
さらに少し進むと、足跡が乱れていた。
そこで一度、散っている。一つは倒木の陰へ。一つは水場の方へ。もう一つは、森の奥へ戻ろうとして、途中で横へ曲がっている。
草が倒れていた。
急いで動いた跡だ。
ただの移動ではない。
逃げ道を探した跡に見える。
ミナは膝をつき、泥を見た。浅い足跡の横に、細い線が引かれている。
足を引きずった跡だ。
その先に、小さな黒い点があった。
血だ。
新しくはない。乾いて、泥に混じっている。
「怪我してる」
ミナの指先は、血の点の手前で止まった。
「一体だけか?」
トマも足跡の横へ視線を落とす。
「分からない。でも、引きずってる跡はこれ」
ガルムがしゃがむ。
しばらく見た。
「逃げた跡だ」
「村へ向かって?」
「村へ向かったというより、森沿いに逃げている」
「何から」
トマの声が小さくなる。
ガルムはロウの方を見た。
ロウは動かない。
「分からん」
ガルムの視線は、まだロウから外れなかった。
「だが、追われた獣ほど危ない」
「ゴブリンでも?」
「同じだ」
ミナは、乾いた血の点を見ていた。
追われたもの。
怪我をしたもの。
腹が減っているもの。
村へ来れば危ない。
でも、追い詰めればもっと危ない。
「ロウたちが追ってるのか?」
トマの声が、森の湿った空気に小さく落ちた。
誰もすぐ答えなかった。
森の影で、ロウの金色の目が細くなる。低い唸りが、喉の奥から漏れた。
短く、低い音。
キキが聞いたら、きっと隠れる。
ミナは顔を上げた。
「ロウ」
ロウの耳が動く。
「追い詰めないで」
トマが息を止めた。
ガルムも、少しだけ弓に手を近づける。ルシェラは黙っている。
ロウは、しばらくミナを見た。唸りはすぐには止まらない。でも、少し低くなった。
それから、半歩だけ後ろへ下がった。
ロウがいた位置の草が戻る。
「……今の、言うこと聞いたのか?」
トマの声は、さっきよりさらに小さい。
「分からない」
ミナはロウから目を離さなかった。
「声に反応しただけかもしれない」
「でも下がったぞ」
「うん」
「分からないな」
「うん」
ルシェラが、ふっと息を吐いた。
「番犬どもは、もう見つけておったようだ」
「番犬じゃない。魔狼」
「では、魔狼どもは」
「どももやめて」
「注文が多いな」
ルシェラは肩をすくめた。
「外の牙が、何かを泳がせておる」
「獲物って言わないで」
「言っておらぬ」
「言い方が近い」
「小娘、察しがよくなったな」
「嫌なところだけね」
ミナは立ち上がった。
足跡は、まだ奥へ続いている。もっと見れば、もっと分かるかもしれない。
でも、奥へ入れば村が遠く、危険にもなる。夕方まではまだある。それでも、森は見た目より早く暗くなる。
ここから先は、普段の見回りより少し深い。
「今日はここまで」
ミナは木札を握り直した。
トマがすぐ頷いた。
「賛成」
ガルムも森の奥から視線を切った。
「戻る」
ルシェラが森の奥を見た。
「ふむ、あちらに気配は感じるぞ」
「分かってる」
「見なくてよいのか」
「村が先」
ミナは木札を握り直した。
「足跡は村の近くまで来てる。怪我してるかもしれない。お腹も空いてるかもしれない。追われてるかもしれない。だから、まず木札と鳴子を増やす」
「そこに戻るのか」
トマは足跡とミナの木札を交互に見た。
「戻る」
「まあ、戻るよな」
ガルムが足跡をもう一度見た。
「子どもは外へ出すな」
「うん」
「家畜小屋も早めに閉める」
「うん」
「畑の端に食べ物を置くな。根菜のくずもだ」
「うん」
「餌付けするな」
ミナは少しだけ黙った。
トマが横を見る。
「ミナ」
「分かってる」
「本当だな」
「食べ物は置かない」
「本当かなあ」
「近づかせたら危ない。まず線」
ガルムは何も言わなかった。ただ、うなずいた。
村へ戻る途中、ロウは森の影に沿って歩いた。近づかない。離れすぎない。ミナたちより先に動くこともあれば、木の陰で止まることもある。
案内しているようにも見える。
見張っているようにも見える。
追っているようにも見える。
どれかは、まだ分からない。
森番小屋の近くまで戻ると、キキが木札の外で待っていた。隠れ場所には入っていない。両手で木片を握り、ミナの顔ではなく、森の方を見ている。
「キキ」
ミナが呼ぶと、キキはびくっと肩を揺らした。
「ゴブ?」
「足跡があった」
ミナは布包みを出さなかった。
「一つじゃなかった」
キキの耳がさらに伏せる。
「おおきい」
「キキより大きい」
「こわい」
「うん。怖い」
キキは森の方を見た。
そこには、ロウがいる。
木々の影の中、金色の目だけが見える。
「ロウ、こわい」
「ロウも怖い」
「ゴブ、こわい」
「ゴブリンも怖い?」
キキは答えなかった。代わりに、木片を強く握った。
「くる?」
「分からない」
「ミナ、だめ?」
ミナは膝を折り、木札の内側で目線を少し下げた。
「村はだめ。木札の内側はだめ」
キキは、自分の足元を見る。
「キキ、ここ」
「うん。キキは、ここ」
「ミナ、いる」
「いるよ」
キキの肩が少しだけ下がった。
でも、安心したわけではない。木片は、まだ握ったままだった。
広場では、バルドがすぐに人を集めた。
集めたといっても、広場の真ん中へ大勢を出したわけではない。各家の戸口から聞こえるように声を張るだけだ。子どもたちは戸の内側。老人は壁際。家畜小屋は早めに閉める。
「森側の水汲みは二人以上。南の畑は昼まで。夕方には外へ出るな」
村人たちは顔を見合わせた。
不満はある。
畑を早く切り上げれば、その分仕事が残る。
でも、誰も大声では反対しなかった。
森に何かいる。
それだけは、もうみんな分かっている。
ミナは木札を立てた。
森番小屋の横。水路の下流。南の柵の外側。キキの隠れ場所から少し森側。
木札の数は足りない。だから、古い木片を削り、トマが紐を結び、ナナの母親が割れた実の殻を持ってきた。
鳴子にする。
捕まえるためではない。
気づくためだ。
「ここ、鳴るだけ」
ミナはキキにも見えるように、木片を揺らした。
から。
乾いた音が鳴る。
キキは耳を伏せたが、隠れなかった。
「わな?」
「罠じゃない。鳴るだけ」
キキは少し考えた。
「わな、だめ」
「うん。罠はだめ」
トマは古い鳴子を手の中で転がした。
「罠の方が早いって言い出す人、いると思うぞ」
「いると思う」
「どうする」
「古い罠も外す」
「増えたな」
「増えた」
近くで聞いていたバルドの顔が苦くなる。
「罠を全部外すわけにはいかん」
「村の近くの古くて危ないものだけ」
「獣避けも要る」
「分かってる。でも、何かが引っかかって暴れたら、村へ来る」
ガルムがうなずく。
「古いものは確認する。今の罠は触るな。勝手に外すな」
「うん」
「見る時は俺を呼べ」
「呼ぶ」
ガルムの言い方は短い。でも、必要なことは入っている。
夕方が近づくと、森の影は濃くなった。
鳴子は全部で五つ増えた。
木札は四つ。
足りない。
でも、今日はここまでだ。
ミナは最後の紐を結び、指先についた土を外套で拭いた。
「今日はここまで」
トマが肩を回した。
「やっと聞けた」
「まだ見回りはするよ」
「聞かなきゃよかった」
「すぐ戻る」
「それも怖い」
「戸口から見えるところだけ」
「なら、まあ」
森の奥で、草が揺れた。
風ではない。
ミナは顔を上げた。
南の木立の影で、金色の目が動いた。
一つ。
少し離れて、もう一つ。
ロウだけではない。
その先で、もっと低い草が揺れる。
金色の目より低い。
黒い影より小さい。
何かが、森の中で身を低くして動いている。
トマが息を呑んだ。
「今の、いたよな」
「うん」
「ロウじゃないよな」
「違う」
ガルムが弓に手をかけた。
バルドの杖が、地面を強く押す。
キキが木札の外で、隠れ場所の枝を握った。
「ゴブ」
小さな声だった。
森の奥で、金色の目が横へ動く。その先の草が、また低く揺れた。
追われているのか。
隠れているのか。
追っているのか。
まだ分からない。
ミナは木札の前で止まった。
「村には入れない」
誰に言ったのか、自分でも分からなかった。
ゴブリンらしき影にか。
ロウにか。
村人にか。
それとも、自分にか。
鳴子が一つ、乾いた音を立てた。
から。
森の暗がりが、少しだけ動いた。




