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森番の娘は魔王様?!〜魔物にご飯と仕事をあげていたら、辺境村が魔王領扱いされました〜  作者: 志摩 伊純


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第19話 夜回りのロウたち

第1部:辺境領と教会編

第4章:魔狼の夜回り


 金色の目は、数日たっても消えなかった。


 夜になると、村の外側を回る。南の柵の向こう、森番小屋の裏手、家畜小屋から少し離れた草地。畑の端や、水路の下流側にも、ときおり暗がりの中で金色が動いた。


 どこにも入ってこない。


 畑は踏まない。


 家畜小屋にも寄らない。


 子どもがいる家の近くにも来ない。


 それでも、夜の暗がりで金色の目が動くのは、どう考えても怖かった。村人たちは日が傾く前に戸を閉めるようになり、薪を取りに行くのも早くなった。犬は吠えない。吠えかけても、途中で喉だけ鳴らして黙る。


 毎日、バルドの声が村のあちこちで飛んだ。


「外へ出るな。鳴子が鳴っても、一人で出るな。子どもは戸口にも立たせるな」


 みんな聞いた。


 誰も文句は言わなかった。


 文句を言うには、金色の目が怖すぎた。


 その朝も、ミナは戸口で止まった。


 森番小屋の扉を開けた途端、足のすぐ前に肉があった。大きな獣の後ろ脚らしい。皮はところどころ剥がされ、まだ湿っている。血がにじみ、木の板に赤黒い跡がついていた。


 あと一歩踏み出していたら、踏んでいた。


「……また」


 ミナは扉を押さえたまま、しばらく肉を見た。


 肉は貴重だ。冬前の村で、肉はありがたい。ありがたいのは間違いない。けれど、戸口の前に置かれると、とても困る。


 虫が寄る。野良犬も寄る。水路へ血を流せない。解体しなければいけない。保存するなら塩がいる。


 塩は足りない。


 食べるなら、誰にどれだけ分けるかも決めなければいけない。


 あと、怖い。


「献上だな」


 背後で、寝起きのルシェラが満足そうに目を細めた。声だけは妙に晴れている。


「献上じゃない」


 ミナはしゃがみ、肉の下に敷かれた葉を見た。森の葉だ。大きな葉を何枚か重ねてある。土に直置きではない。


 そこだけは、少し気を使っているようにも見える。


 それがまた困る。


「戸口に置かれると、処理しなきゃいけないんだけど」


「処理すればよい」


「塩がいる」


「焼けばよい」


「全部は食べられない」


「わたしが手伝おう」


「手伝うの意味が違う」


 ルシェラは少し不満そうに口を尖らせた。


 小屋の外で、トマが足を止める。


「うわ」


 素直な声だった。


「今日もか」


「今日も」


「毎朝肉が置いてあるの、普通に怖いからな」


「うん」


「しかも戸口」


「うん」


「踏みそうだな」


「今、踏みそうだった」


「やめろよ。朝から魔狼の置き肉を踏んだとか、縁起が悪すぎる」


「置き肉って言わないで」


「じゃあ何て言うんだよ」


「……困る肉」


「それはそう」


 トマは周りを見た。森の端、水路、木札の外側。いつもの警戒の順番だ。


 水路には、ぷるがいた。


 この数日、ぷるは最初ほど震えなくなった。今日も水路の奥で、泥と腐った草をゆっくり取り込んでいる。くず野菜の皮を置くと、ぷる、と一度揺れて、そちらへ伸びた。


「ぷる、もう怖くないの?」


 ミナが水路へ顔を向けると、ぷるは水の中で、ぷるっと揺れた。


 答えではない。


 たぶん。


 でも、畑には出ていない。水路の中にいる。それなら、今はそれでいい。


 木札の外側では、キキが隠れ場所の陰からこちらを見ていた。耳はまだ伏せている。手には木片。数日前なら、金色の目の気配があるだけで隠れ場所の奥から出てこなかった。今は、顔だけは出す。緊張が続きすぎて、少しだけ慣れたのかもしれない。


 慣れたというより、疲れたのかもしれない。


「キキ」


 ミナの声に、キキが顔を上げた。


「ここ」


 小さく言って、自分の足元を見る。


「うん。キキは、ここ」


 キキは森の方を見た。


「だめ」


「うん。だめ。怖いね」


 キキはまた森を見た。


 来ない。


 でも、いる。


 それを覚え始めている顔だった。


 広場の端に、バルドとガルムが来た。バルドは肉を見て、額に深いしわを寄せる。ガルムはしゃがみ、肉の切り口と毛の残りを見た。


「新しい」


 ガルムの指が、切り口の近くで止まった。


「夜のうちに狩ったものだ」


「牙の跡は?」


 バルドの杖先が、肉の裂け目へ向く。


「ある。だが、荒れていない。食い散らかしではない」


「置いた、ということか」


「そう見える」


 バルドは長く息を吐いた。


「肉は……ありがたい。だが、毎朝はちと多い」


「うん」


 ミナはすぐにうなずいた。


「血が水路に流れたら困る。戸口も困る。虫も来る。保存するなら塩がいる」


「そういうことだけではないが……たしかに塩は足らん」


「足りない」


「分けるにも、誰が解体する」


「ガルムさんに聞こうと思ってた」


 ガルムは肉から目を離さなかった。


「解体はする。だが、毎朝は無理だ」


「うん」


「肉を置いていく理由は知らん。だが、獲物は新しい」


「村の近くで狩ってる?」


「近すぎる」


 短い声だった。


 バルドが森番小屋の前から、村の方へ目を移す。


「助かることと、認めることは別じゃ」


「うん」


「村へ入れるな」


「入れない」


「子どもを外へ出すな。家畜小屋には近づけるな」


「うん」


「森番小屋の外までじゃ。それ以上はならん」


 トマが声を落とす。


「森番小屋の外まで、って時点でだいぶ近いんだけどな」


「近い。だが、木札の内側ではない」


 ミナは肉を見た。


 戸口から、一歩。


 あまりにも近い。


「だから、ちゃんと見ないと」


「見に行くのか」


 トマの声がすぐ低くなった。


「行くというか、見る」


「その違い、毎回怖いんだよ」


「このまま分からないままの方が怖い」


 ミナは道具袋の紐を締め直した。


「どこを回ってるのか。村を襲う気があるのか。なぜ肉を置くのか。水路に血を流さないか。見ないと分からない」


「怖くないのか」


「怖いよ」


 ミナは道具袋の紐から手を離さなかった。


「だから見るの」


 トマは口を閉じた。


 ガルムは弓を持ち直した。


「俺も行く」


「うん。でも、撃たないで。まだ」


「村に入るなら撃つ」


「うん」


「当たって止まるかは別だ」


「それも、うん」


 バルドの顔が苦くなる。


「ルシェラ殿も連れて行け」


「呼ぶつもり」


「ようやくか」


 背後で、ルシェラの声がした。


 いつの間にか、椀を持って戸口に立っていた。


「ようやく頼る気になったか」


「念のため」


「念のためか」


「うん」


 ルシェラは少しだけ楽しそうに目を細めた。


「よかろう。念のため、いてやる」


「それ、椀は置いて」


「なぜだ」


「両手を空けて」


「わたしは椀を持っていても強い」


「強いのは分かってる。でも、椀は落とす」


「落とさぬ」


 ミナは床を見た。


 昨日、椀を落とした跡がうっすら残っている。


 ルシェラは、そっと椀を戸の横に置いた。


「……念のためだ」


「うん。念のため」


 調べに出る準備をしていると、言いようのない気配を感じた。


 森番小屋の前。


 木札の外側。


 低い草の向こうに、黒い影が立っている。


 一頭だけだった。


 ほかの金色の目は見えない。けれど、いないとは思えない。


 先頭の魔狼だった。


 右耳の端が欠けている。肩が高く、黒い毛に灰色が少し混じっている。獲物の血はついていない。口は閉じている。牙は見えない。


 けれど、ミナは覚えている。


 あの顎が、猪の首の横へ入ったところを。


 太い体を押さえ込んだところを。


 泥を跳ね上げて、獲物を引いていったところを。


 今は、狩りの顔ではない。目は荒れていない。こちらに気づいてほしくて、気配を出しているのかもしれない。


 魔獣だ。


「……来た」


 トマの声が小さく落ちた。


「来たね」


「帰ってほしいな」


「うん」


 ミナは一歩だけ前へ出た。


 トマの手が、外套へ伸びかける。


 ミナは首を横に振った。


「ここまで」


「それ以上は?」


「行かない」


「本当だな」


「本当」


 ルシェラがミナの横に立った。


「近いな」


「うん」


「だが、牙は見せておらぬ」


「うん」


「おもしろい」


「おもしろくはない」


 先頭の魔狼は、低く喉を鳴らした。吠え声ではない。首を垂れた時のように、村全体を震わせる声でもない。喉の奥で、小さく低く響くだけ。


 それでも、ミナの背中は少し冷えた。


 魔狼は、木札の手前で止まっている。


 首を下げた。


 森の影が少し沈む。


 正面から、ミナへ向けて。


 まただ。


 ミナは困った。


「頭を下げても、村に入っていいわけじゃないからね」


 魔狼は頭を下げたまま、動かなかった。


 ルシェラが口を開く。


「群れの長が自ら――」


「今は村に入らない話」


「……むう」


 ルシェラは少し不満そうに黙った。


 トマが声をひそめる。


「今の、説明してもらった方がよかったんじゃないか?」


「あとで」


「あとで聞ける話なのか」


「分からない」


「分からないの多いな」


「多い」


 ミナは魔狼を見た。


 大きい。


 近い。


 でも、牙は見えていない。耳も立ちすぎていない。尻尾は低い。目は、こちらをまっすぐ見ている。


 怖い。


 なのに、一瞬だけ思ってしまった。


 大きな犬みたい。


 すぐに打ち消す。


 違う。


 犬じゃない。


 魔狼。


 先日、猪を狩った魔狼だ。


 ミナは息を吸った。


「……すぐに襲う気は、ないんだよね」


 魔狼は答えない。


 金色の目だけが、ミナを見ている。


「分かるかは知らないけど、言いたいことがある」


 トマが横目でミナを見る。


「魔狼に?」


「魔狼に」


「通じるのか?」


「分からない」


「だよな」


「でも、言わないよりはいい」


 ルシェラが、ふむ、と喉の奥で笑った。


 ミナはそちらを見ない。


「難しい顔しないで。私も分かってない」


「顔に出ておったか」


「声に出てた」


「ほう」


「ほうじゃなくて」


 ミナは魔狼へ向き直った。


「村には入らないでほしい」


 魔狼の耳が少し動く。


 分かったのか、音に反応しただけかは分からない。


「畑はだめ」


 ミナは畑の方を指した。


「家畜小屋もだめ。山羊もだめ。子どもに近づかない」


 トマが小さく笑いかけて、すぐ顔を戻した。


「山羊、名指しなんだな」


「山羊は噛むから」


「そこか」


「噛んだら大変」


「どっちが」


「両方」


 魔狼は動かない。


 ただ、ミナの手の先を見た。


 畑。


 家畜小屋。


 村の家。


 もう一度、ミナを見る。


「水路に血を流さない」


 ミナは水路を指した。


「ぷるの水路に入らない。キキの木札の近くもだめ」


 木札の外で、キキが隠れ場所から少しだけ顔を出した。すぐ耳を伏せる。


「キキ、ここ」


 小さな声だった。


「うん。キキは、ここ」


 魔狼の目が、一瞬だけキキの方へ動いた。


 キキは木片を握った。


 魔狼は近づかない。


 ミナは続けた。


「鳴子は壊さない。鳴るだけだから。罠じゃない」


 トマがぼそっと息を吐く。


「これ、通じてなかったら、ただの畑注意だぞ」


「通じてなかったら、怖い魔狼に畑注意してるだけだね」


「それはそれで怖いな」


「うん」


 ミナは魔狼を見た。


「でも、通じたら少し助かる」


 魔狼は、低く息を吐いた。


 返事ではない。


 たぶん。


 でも、吠えはしなかった。


「吠えるなら、小さく。みんな起きるし、子どもが泣く」


 魔狼の耳が、少し伏せた。


「狩るなら森側。村の中はだめ」


 ミナは足元に置かれていた平たい石を見た。


 森番小屋の戸口から少し離れた場所だ。薪置き場にも水路にも近すぎない。虫は来るかもしれないが、戸口よりはましだ。血が落ちても、すぐ土を入れ替えられる。


「肉を置くなら、戸口じゃなくてこの石の上」


 トマがすぐこちらを見る。


「置くの前提なのか」


「置かなくていい、って言いたいんだけど」


 ミナは少し困った。


「置くなら、ここ」


「そこで妥協するのか」


「戸口よりはまし」


「それはそう」


 魔狼は石を見た。


 戸口を見る。


 もう一度、石を見る。


 ミナの喉が少し詰まった。


 見ている。


 分かっているようにも見える。


 でも、見ているだけかもしれない。


「それから」


 ミナは少し迷った。


 呼ぶ言葉がない。先頭の魔狼。大きい一頭。右耳が欠けている魔狼。毎回そう呼ぶには、長い。


「魔狼って毎回言うの、長い」


 トマが目を丸くした。


「今そこか?」


「呼びにくいと、止める時に遅れる」


「それは……そうかもしれないけど」


「一番大きいし、群れの先頭っぽいし」


 ミナは魔狼を見た。


 喉の奥で鳴った低い声を思い出す。


 ロウ、と聞こえたような、ただ低く響いただけのような音。


「……ロウ、でいいかな」


 金色の目が、はっきり強くなった。


 ミナは一瞬、しまったと思った。


 魔狼の耳が立つ。


 前足が半歩、出かける。


 ガルムの弓が上がる。


 トマが息を呑む。


 魔狼が吠えた。


 大きかった。


 村中を震わせたあの吠え声ほどではない。でも、十分に大きかった。森番小屋の壁が震える。水路で、ぷるが大きくぷるっと揺れた。キキが隠れ場所の奥へ半分引っ込む。


 ミナの肩も跳ねた。


「ちょっと待って、吠えないで。怖いから」


 魔狼の耳が、すぐ伏せた。


 低くなった。


 さっきまで大きかった体が、ほんの少し小さく見える。喉の奥で、今度は小さく鳴った。


 ルシェラが楽しそうに笑う。


「名を得て喜んでおる」


「ただの呼び名だよ」


「そう思っておるのは、おぬしだけだ」


「やめて」


「やめぬ」


 トマが額を押さえた。


「また名前か……」


「呼びやすい方がいいだけ」


「前にも聞いたぞ、それ」


「大事だから」


 バルドが遠くから声を上げた。


「ミナ! 勝手に話を進めるな!」


「進んでない!」


「吠えたぞ!」


「私も怖かった!」


「なら下がれ!」


 その声に、ロウがぴたりと顔を上げた。


 金色の目が、バルドへ向く。喉の奥で、低い音が鳴った。牙は見せていない。けれど、さっきまで小さくなっていた体が、急に大きく見えた。


 バルドの杖を握る手が止まる。


 トマも息を呑んだ。


 ミナも、背中が冷えた。


「ロウ、だめ」


 ミナはとっさに言った。


「吠えない。近づかない」


 ロウの耳が動く。


 低い音は、すぐには止まらない。


 ルシェラが半歩だけ前に出た。


「まあ、落ち着け」


 誰に向けた声なのか、一瞬分からなかった。ルシェラはロウを見て、それからバルドを見る。


「爺もだ。声が大きい」


「わしが悪いのか」


「今はそう見える」


「見えるだけで決めるな」


「さっきの魔狼にも同じことを言えるなら、大したものだ」


 バルドは口を閉じた。


 ロウは、ミナを見た。


 それから、ゆっくり喉の音を小さくした。


 ミナは息を吐いた。


「下がってる。だから、ロウもそこまで」


 実際、ミナは半歩下がっていた。


 ロウも、それ以上近づいていない。木札の外。線の向こう。そこで首を低くしている。


「ロウ」


 ミナがもう一度呼ぶと、魔狼は顔を上げた。


「村には入らない。畑もだめ。肉は置かなくていい。置くなら石の上。吠えるなら小さく」


 一つずつ、指で示す。


 村。


 畑。


 石。


 口元。


 ロウは、ミナの指を追った。それから、石を見た。


 小さく、喉を鳴らす。


「……通じてるのか?」


 トマの声は、まだ少しこわばっていた。


「分からない」


「分からないまま、魔狼に畑と石の説明をしてるのか」


「うん」


「怖いな」


「うん」


 ミナは、ロウを見た。


 怖い。


 まだ怖い。


 でも、今は牙を見せていない。


「今日は、ここまで」


 ロウは少しだけ頭を下げた。


 そして、ゆっくり後ろへ下がった。


 森側へ。


 一歩。


 また一歩。


 黒い体が草の向こうへ溶けていく。


 最後に、金色の目だけが見えた。


 それも、すぐに消えた。


 誰もすぐには動かなかった。


 トマが、ようやく息を吐いた。


「……俺、いま、すごく疲れた」


「私も」


「ルシェラは?」


「面白かった」


「聞かなきゃよかった」


 ガルムは弓を下ろしたが、矢は戻さなかった。


「牙は見せていない」


「うん」


「目は荒れていない」


「うん」


「だが、魔狼だ」


「うん」


「忘れるな」


「忘れない」


 バルドは、森番小屋の前に置かれた肉と、平たい石を見比べた。


「石を用意するな」


「戸口よりはまし」


「ましで済ませるな」


「でも、また置かれるかもしれない」


「置かれなければよい話じゃ」


「うん」


 ミナはうなずいた。


「置かれなければ、それが一番いい」


 その日の夜、金色の目はまた村の外側を回った。


 村には入らない。


 畑も踏まない。


 鳴子は一度だけ鳴った。


 から。


 すぐに止まった。


 誰も外へ出なかった。


 ミナも、戸口から見ただけだった。


 ロウかどうかは分からない。


 でも、一つの金色の目が、森番小屋の方を少しだけ見た気がした。


 気がしただけかもしれない。


 翌朝。


 ミナは、戸口を開けて止まった。


 肉は、戸口の前にはなかった。


 平たい石の上にあった。


 昨日、ミナが指した石だ。


 大きな肉の塊が、葉を敷いた上に置かれている。血は少し落ちているが、戸口の板は汚れていない。水路にも流れていない。


 ミナはしばらく見下ろした。


「……聞いてた」


 後ろからトマが顔を出した。


 石を見る。


 肉を見る。


 もう一度、石を見る。


「聞いてた方が怖いんだけど」


「うん」


「通じたってことか?」


「分からない」


「分からないのに、石には置いてある」


「うん」


「怖いな」


「うん」


 ルシェラが、戸口の横から肉を見た。


「名を得た獣は、主の言葉をよく聞くものだ」


「主じゃない」


 ミナはすぐに言った。


「あと、戸口に置かれると困るから言っただけ」


「だから聞いたのだろう」


「そこが怖い」


 森の端で、金色の目がひとつ見えた。


 ロウだった。


 たぶん。


 遠い。


 でも、右耳の欠け方が見えた。


 ロウは短く、小さく吠えた。


 昨日より、ずっと小さい。


 それでも、ミナの肩は少し跳ねた。


「小さくはなった」


 トマが言った。


「なったね」


「それで安心していいか?」


「だめ」


「だよな」


 水路では、ぷるが何事もなかったようにぷるぷるしている。木札の外では、キキが隠れ場所の陰から森の端を見ていた。


「ん、そこ」


 小さな声だった。


 ロウは動かない。


 森の端。


 線の外。


 そこにいる。


 ミナは石の上の肉を見下ろした。


 助かる。


 困る。


 怖い。


 少しだけ、通じたかもしれない。


 どれも本当だった。


 ミナは深く息を吐いた。


「……どうしたらいいんだろうな」


 ロウは遠くで、もう一度だけ小さく喉を鳴らした。


 森番小屋の前には、肉がある。


 水路では、ぷるが揺れている。


 木札の外では、キキが見ている。


 そして森の端には、金色の目がある。


 村はまだ怖がっている。


 ミナも、まだ怖い。


 それでも、肉は戸口ではなく、石の上に置かれていた。


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