第4話 騎士団の行列と、王太子の不満
「……あの、ヴォルグ料理長」
「なんだ」
「勝手口が、開きません」
昼のピークタイムが過ぎた、午後の厨房。
私が裏口の扉を開けて換気をしようとしたところ、扉は何かに阻まれたようにびくともしなかった。
鍵は開いているはずだ。なのに、まるで巨大な岩が置かれているような重みを感じる。
「故障か? 貸してみろ」
ヴォルグが巨体を生かして体当たりをした。
ガゴンッ、という鈍い音がして、扉が数センチだけ開く。
その隙間から覗き込んだヴォルグは、ひっと息を呑んで後ずさりした。
「……く、黒い壁だ」
「壁?」
「近衛騎士団の鎧だ! しかも一人や二人じゃねぇ、分隊規模でいやがる!」
ヴォルグの言葉が終わるか終わらないかのうちに、扉の隙間から野太い声がねじ込まれてきた。
「頼む! 入れてくれ! 匂いだけで飯が食えそうなんだ!」
「団長だけズルいぞ! 俺たちも『伝説のまかない』を食いたい!」
「金なら払う! 言い値でいい!」
どうやら、レオンハルト様の口から(あるいは態度から)、この『裏・エリス食堂』の存在がバレてしまったらしい。
「騎士の名にかけて誓う」と言っていたけれど、美味しいものを食べた時の人間の表情までは隠せなかったようだ。
私はため息をつきつつも、エプロンの紐を締め直した。
扉の向こうからは、腹の虫の大合唱が聞こえてくる。これを無視するのは、料理人の名折れだ。
「……仕方ありません。ヴォルグ料理長、手伝っていただけますか?」
「へっ、面白ぇ。騎士団様を胃袋で屈服させるなんて、痛快じゃねぇか」
ヴォルグがニヤリと笑い、扉を全開にした。
雪崩れ込んできたのは、屈強な男たち十数名。狭い休憩所は一瞬で黒い鎧に埋め尽くされた。
「本日のメニューは一択です。文句は受け付けませんよ」
私が宣言すると、騎士たちは赤子のように頷いた。
今日使うのは、『ロックバード』のモモ肉だ。
岩山を走り回るこの鳥は筋肉質で、普通に焼くと硬くなりがちだが、旨味は鶏肉の比ではない。
私は一口大にカットした肉をボウルに入れ、特製ダレを揉み込む。
すりおろしたニンニク、ショウガ、黒しずく(醤油)、そして酒。
ここまでは昨日の生姜焼きと似ているが、ここからが違う。
「卵を一つ、揉み込みます。これで肉がコーティングされ、柔らかくなるんです」
さらに、白い粉をたっぷりとまぶす。
小麦粉ではない。『片栗芋』から精製したデンプン粉だ。
「さあ、いきますよ」
大鍋にたっぷりと用意した油。温度は中温。
そこへ、衣を纏った肉を次々と投入していく。
シュワアアアアッ……!!
無数の泡が肉を包み込み、心地よい音が厨房に響き渡る。
香ばしいニンニク醤油の香りが熱気と共に立ち上り、騎士たちの鼻腔を直撃した。
「ぐっ……この音だけで白飯がいける」
「何の拷問だこれは」
彼らは喉を鳴らしながら、鍋を凝視している。
私は肉がいったん揚がったところで、すべてバットに取り出した。
キツネ色にはなっているが、まだ完成ではない。
「えっ、もう終わりか?」
「まさか。ここからが魔法です」
私は油の温度を一気に高温に上げた。
そして、少し休ませておいた肉を、再び油の中へ戻す。
二度揚げだ。
バチバチバチッ!!
先ほどより高く、鋭い音が響く。
衣に含まれた水分が一気に飛び、表面が硬化していく音だ。
この工程を経ることで、衣はカリッと、中はジューシーに仕上がる。
黄金色の鎧を纏った『ロックバードの唐揚げ』の完成だ。
大皿に山盛りにされた唐揚げ。
その横には、櫛形に切ったレモン(に似た酸味の強い柑橘『シトロン』)と、山盛りのキャベツ。
そして飲み物は、エールではない。
勤務中の彼らのために用意したのは、炭酸水にシトロンの果汁と氷をたっぷり入れた『特製ハイボール風ソーダ』だ。
「お待ちどおさま!」
ドン、とテーブルに置かれた瞬間、戦いが始まった。
「いただきます!!」
先頭の騎士が、熱々の唐揚げを口に放り込む。
カリッ!!!
小気味よい破砕音。
その直後、彼は目を剥いて天を仰いだ。
「あっちち! でも……うめぇええええ!!」
カリカリの衣を突破すると、中から熱々の肉汁が鉄砲水のように噴き出したのだ。
ロックバード特有の弾力ある肉質は、噛むたびに旨味を染み出させる。
ニンニクと醤油のパンチの効いた味付けが、脳髄を痺れさせる。
「なんだこの衣は!? サクサクなのに、中は蒸し焼きみたいに柔らかいぞ!」
「肉汁で口の中が火傷しそうだ、だが止まらねぇ!」
脂っこくなった口の中を、冷えたソーダで流し込む。
シュワッとした炭酸と酸味が脂を切り、口の中がリセットされる。
すると、また次の一個が欲しくなる。
無限機関の完成だ。
「エリス殿……いや、エリス女神……」
「一生ついていきます」
騎士たちが涙目で唐揚げを貪る中、遅れてやってきたレオンハルト団長が、その惨状(狂喜乱舞)を見て額を押さえた。
「お前たち……抜け駆けとはいい度胸だ」
「あ、団長! これヤバいです! 飛びます!」
「……私にもよこせ。あと、エリス。私の分は確保してあるんだろうな?」
レオンハルトが、子供のように不安げに私を見た。
私はこっそり取り分けておいた「揚げたて特盛セット」を差し出す。
「もちろんですよ、レオンハルト様」
彼が安堵の息を吐き、唐揚げを頬張って頬を緩ませるのを見て、私は確信した。
これで、城の武力(近衛騎士団)は完全に掌握した、と。
◇
一方、その日の夜。
王宮のダイニングルームは、騎士団の熱気とは対照的に、お通夜のように静まり返っていた。
カチャ、カチャ……。
食器の音だけが響く。
ギルバート王太子は、皿の上に乗った『鶏肉の香草焼き』を睨みつけていた。
「……硬い」
ナイフが通らない。
無理に切ろうとすると、肉の繊維がボロボロと崩れる。
口に入れると、パサパサとして水分がなく、喉に詰まりそうになる。
味付けも薄く、ただ塩を振っただけのようだ。
「どうなっているんだ……」
ギルバートはナプキンを投げ捨てた。
昼間、裏庭の方から漂ってきた、あの抗いがたいほど香ばしい匂い。
あれを嗅いでしまっていたせいか、目の前の食事が泥のように感じられる。
「料理長を呼べ!!」
王太子の怒鳴り声に、給仕たちが震え上がる。
やがて、白い制服を着たヴォルグが、面倒くさそうに……いや、恭しく現れた。
「お呼びでしょうか、殿下」
「ヴォルグ! これは何だ! 余への嫌がらせか!?」
「『ロックバードの香草焼き』でございますが」
「そんなことは分かっている! なぜこんなに不味いんだと聞いているんだ! 昔はもっと、皮がパリッとしていて、中は柔らかかったはずだぞ!」
ヴォルグは表情一つ変えずに答えた。
「それは、良質な油と、新鮮な肉を使っていたからでございます」
「……なに?」
「今月より、厨房への予算が三割削減されました。そのため、最高級のロックバードは仕入れられず、また、揚げ油やバターなどの油脂類も購入できませんでした。結果、安価な胸肉を、少量の油で焼くしかないのでございます」
ギルバートは絶句した。
予算削減? そんな命令を出した覚えはない。
「誰だ、勝手に予算を削ったのは!」
ヴォルグの視線が、ギルバートの隣へ、すっと流れた。
そこでは、新しいドレスを着たミアが、気まずそうに目を泳がせていた。
「……ミ、ミア?」
「あ、あの……ギル様。ほら、来月は建国記念パーティーでしょう? だから、私のドレスや装飾品を新調しなくてはと思って……」
ミアは上目遣いで、可愛らしく小首を傾げた。
「たかが食事じゃありませんか。パンさえあれば生きていけますもの。それより、私が綺麗になることの方が、ギル様も嬉しいでしょう?」
いつもなら、「そうだね、ミアは可愛いね」と答えていたかもしれない。
だが、今のギルバートは空腹だった。
そして、不味い飯への怒りは、人間の最も原始的な感情を刺激する。
「……ふざけるな」
ギルバートが低く呟いた。
「え?」
「たかが食事だと? 余は王太子だぞ! 国の顔だ! その余に、毎日こんな鳥の餌のようなものを食えというのか!」
ドンッ! とテーブルを叩く。
ミアが「ひっ」と悲鳴を上げた。
「それに、エリスがいた頃は……」
口に出してから、ハッとした。
そうだ。エリスが婚約者だった頃、彼女は徹底的に帳簿を管理していた。
無駄を省きつつも、食事の質だけは絶対に落とさないよう、目を光らせていたのだ。
「健康な体は食事から作られますのよ」と言って。
(あいつは……俺のためにやっていたのか?)
いや、認めるわけにはいかない。
あんな地味で可愛げのない女が、この愛らしいミアより優れているはずがない。
「……もういい、下がれ!」
ギルバートはヴォルグを下がらせると、不味いワインを一気に煽った。
(どこかで……どこかで美味そうな匂いがしていたはずだ)
彼の脳裏に、昼間の香ばしい匂いが蘇る。
あれはどこだ? どこの厨房だ?
王太子が本当の美食に辿り着くまで、あと数日。
だがその時、彼の胃袋を満たす席は、すでに屈強な騎士たちによって埋め尽くされていることを、彼はまだ知らない。
◇
深夜。
騎士たちの襲来を終え、疲れ果てながらも充実感に満ちていた私は、裏口の掃除をしていた。
「ふふ、今日はたくさん食べてくれたわね」
空になった大鍋を見るのは気持ちがいい。
と、その時。
暗闇の中から、一人の人影が現れた。
「……エリス」
レオンハルト様だった。
彼は一度帰ったはずなのに、私服姿で戻ってきたのだ。
その手には、小さな包みが握られている。
「どうなさいました?」
「いや、その……礼を、と思ってな」
彼はぶっきらぼうに包みを差し出した。
開けてみると、中には高価な『癒やしの茶葉』と、私の大好きな製菓用のバニラビーンズが入っていた。
「騎士団の連中が世話になった。それに、私の……その、個人的な感謝だ」
彼は耳まで赤くしている。
甘いものが好きだという噂は聞いていたけれど、こんな気の利いたプレゼントをくれるなんて。
「ありがとうございます。これ、すごく高かったのでは?」
「……気にするな。それより、そのバニラとやらで、何か甘いものが作れるのか?」
期待に満ちた目。
私は思わず笑ってしまった。
「ええ、作れますよ。とびきり甘くて、とろけるような『プリン』が」
「プリン……」
レオンハルト様がゴクリと喉を鳴らす。
どうやら、この強面の騎士団長様は、唐揚げだけでなく、甘味の罠にも掛かってしまいそうだ。
「明日、楽しみにしてくださいね」
私が微笑むと、彼は「うむ」と短く答え、逃げるように去っていった。
その後ろ姿を見送りながら、私は確信した。
この人は、チョロい……ではなく、とても素直で素敵な人だ、と。
厨房改革は順調。
騎士団の胃袋も掌握。
次は、いよいよ甘いお菓子で、王宮の女性陣を味方につける番だ。




