↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【最終章完結】『「罰として下働きしろ」と言われたので、厨房で飯テロ無双します ~不味い飯に苦しむ王子を他所に、騎士団長と晩酌中~』  作者: 月雅
第1章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/50

第5話 甘い香りと急接近

厨房の裏口にある休憩所は、今や「エリス食堂」として、王宮の裏社会(使用人や騎士たち)で伝説になりつつあった。

けれど、今日の客層はいつもと少し違っていた。


「ああ……なんていい香りなんだ」

「天国……これは天国の匂いですわ」


集まっているのは、目の下にクマを作った文官たちや、激務に疲れたメイドたちだ。

彼らを惹きつけたのは、肉やスパイスの匂いではない。

脳髄を直接溶かすような、甘く芳醇な香りだった。


私が調理台で向き合っているのは、昨日レオンハルト様から頂いた『聖樹のバニラビーンズ』だ。

黒い鞘をナイフで裂き、中の種をしごき出す。

それを、濃厚な脂肪分を含む『ムームー牛』のミルクと、砂糖の結晶『スノーシュガー』を混ぜた鍋に入れる。


フツフツフツ……。


鍋を火にかけると、バニラ特有の甘い香りが爆発的に広がった。

優しくて、どこか懐かしく、幸せな記憶を呼び覚ます香り。


「よし、卵液の準備は完了ね」


私は『金鶏』の卵黄だけをたっぷりと使い、温めたミルクと合わせる。

それを一度濾して滑らかにし、あらかじめ底に『焦がし蜜(カラメル)』を敷いておいた耐熱容器に注ぐ。


あとは、蒸すだけ。

蒸し器の中で、卵液がゆっくりと固まっていく。

液体でも固体でもない、その中間の「ぷるぷる」とした奇跡の物質へと変化していくのだ。


「まだですか、エリス様……!」

「もう我慢の限界です……!」


カウンターの向こうで、文官の一人が涙目で訴えてくる。

彼はここ数日、予算削減のあおりを受けて徹夜続きらしい。糖分は彼らにとって生命線だ。


「もうすぐですよ。粗熱が取れるまで待ってくださいね」


私は氷魔法で冷やしておいた特製プリンを、型から皿の上にひっくり返した。


プッチン。

プルルンッ。


皿の上に現れたのは、黄金色の山。

その頂上には、艶やかな琥珀色のカラメルソースがとろりと掛かっている。

揺らすと、まるで生き物のようにフルフルと震えた。


『特濃・王道カスタードプリン』の完成だ。


「さあ、どうぞ」

「「「いただきます!!!」」」


文官たちとメイドたちが、一斉にスプーンを突き立てた。


スプーンが吸い込まれるような抵抗感。

すくい上げると、断面はどこまでも滑らかだ。


パクッ。


静寂が訪れた。

次の瞬間、全員がとろけた顔でテーブルに突っ伏した。


「んんん~~~~っ!」

「あま……いや、ほろ苦い!?」

「卵の味が濃い! でも口の中で一瞬で消える! なんだこれ!?」


金鶏の卵黄による濃厚なコク。

ムームー乳のミルキーな風味。

そして、聖樹のバニラが醸し出す高貴な香り。

それらを、ギリギリまで焦がしたビターなカラメルソースが引き締める。

甘いだけではない、大人のための極上スイーツだ。


「生き返る……死にかけてた脳みそが生き返るぞぉ」

「こんな美味しいお菓子、王族のパーティーでしか出ませんわ!」


皆が幸せそうに頬を緩ませるのを見て、私も嬉しくなる。

前世でもそうだった。

甘いものは、人を無条件で笑顔にする魔法だ。


と、その時。


「……何をしている」


休憩所の入り口温度が、急激に下がった気がした。

賑やかだった空気が一瞬で凍りつく。


入り口に立っていたのは、不機嫌オーラを全開にしたレオンハルト様だった。

腕を組み、鋭い金色の瞳で文官たちを睨みつけている。


「ひっ、黒狼騎士団長!?」

「し、失礼しましたーっ!」


文官たちは脱兎のごとく、残りのプリンを口に詰め込んで逃げ出した。

メイドたちも「ごちそうさまでした!」と慌てて退散する。


あっという間に、休憩所には私とレオンハルト様の二人だけが残された。


「……レオンハルト様、そんなに睨まないでください。彼らも疲れていたんですよ」

「……分かっている」


レオンハルト様はバツが悪そうに視線を逸らした。

彼はドカッといつもの指定席(カウンターの端)に座ると、拗ねた子供のように呟いた。


「約束の時間に来たはずだが……ずいぶんと他の男たちと親しげだったな」

「ただのお客様ですよ?」

「君の料理を食べてあんなだらしない顔をするのは、私と騎士団の連中だけで十分だ」


(えっ?)

それはつまり、独占したいということだろうか。

無自覚なのか、彼は不満げに頬杖をついている。

その様子が、ご主人様にかまってもらえなかった大型犬みたいで、私は思わず噴き出しそうになった。


「ふふ。……拗ねないでください。レオンハルト様には、特別なものを用意してありますから」

「……特別?」


ピクリ、と彼の狼耳(幻覚)が動いた気がした。


私は冷蔵庫の奥から、とっておきの器を取り出した。

他のみんなに出したものより一回り大きく、バニラビーンズも倍量使った『特製・極(きわみ)プリン』だ。

さらに、横にはホイップした生クリームと、真っ赤な『宝石イチゴ』を添えてある。


「これは、貴方がくださったバニラで作ったお礼の品です。一番美味しくできた部分を、貴方のために取っておいたんですよ」


「……私のために」


レオンハルト様の表情が、一瞬で緩んだ。

単純だ。いや、素直な人だ。


私はプリンと一緒に、カップを差し出した。

中身は、黒い液体。

南方の国から取り寄せた『カッファ豆』を深煎りし、ドリップしたコーヒーだ。


「甘いプリンには、苦いカッファがよく合います。一緒にどうぞ」


「……いただく」


彼はスプーンを手に取り、慎重にプリンをすくった。

黄金色の塊が、口の中へと消える。


彼は目を閉じた。


舌の上で、プリンが体温でほどけていく。

バニラの優雅な香りが鼻腔をくすぐり、濃厚な卵の甘みが味蕾(みらい)の一つ一つを歓喜させる。

甘さが口いっぱいに広がったところで、カッファを一口。

キリッとした苦味と酸味が、甘さを洗い流し、また次の一口を誘う。


「……美味い」


彼は深く息を吐いた。

その顔は、戦場の鬼神とは程遠い、蕩けるような笑顔だった。


「城の菓子は砂糖を固めたように甘いだけだが……これは違う。甘いのに、飽きない。いくらでも食べられそうだ」

「気に入っていただけて良かったです」

「ああ。……毎日でも食いたい」


彼はスプーンを動かしながら、ポツリと言った。

そして、無意識なのだろう。

皿についたクリームを名残惜しそうに舐め取りながら、私を見て呟いた。


「君のような女性が家にいて、毎日こんな美味いものが食えたら……どんなに幸せだろうな」


「えっ」


時が止まった。

皿を洗っていた私の手が止まり、水音が消える。


レオンハルト様は、自分の発言の意味に気づいていないようだったが、数秒後。

私の顔が真っ赤になっているのを見て、ハッとした。


「あっ……いや、今のは、その! 料理人として雇いたいとか、そういう意味で……! 決して、妻になってほしいとか、そういう下心で言ったわけでは……いや、君が嫌でなければ、その可能性も……ぶつぶつ」


彼は顔を真っ赤にして、しどろもどろになり始めた。

あの冷徹な「黒狼」が、耳まで赤くして狼狽えている。


「……ふふっ」


私はおかしくなって、笑ってしまった。


「光栄です、騎士団長様。もし『エリス食堂』を開店したら、一番に招待しますね」

「……うむ。絶対だぞ」


彼は咳払いをし、残りのコーヒーを一気に飲み干した。

その横顔は、まだ少し赤かったけれど、とても男らしくて。


(……胃袋を掴むつもりが、私のほうが心臓を掴まれている気がする)


私は胸の高鳴りを誤魔化すように、新しいコーヒーを淹れ直した。

厨房には、バニラとコーヒーの香ばしい香りが、甘く優しく漂っていた。


   ◇


一方、王宮の執務室。

窓の外を眺めていたギルバート王太子は、苛立ちを隠せずにいた。


「……最近、城内の空気がおかしい」


廊下ですれ違う文官たちが、妙に生き生きとしている。

死んだような目をしていた近衛騎士たちが、なぜか肌ツヤ良く笑っている。

そして何より、どこからともなく漂ってくる「美味しそうな匂い」が、彼の神経を逆撫でしていた。


「ギル様ぁ、お菓子が食べたいですぅ」


ソファで寝そべっていたミアが、不満そうに声を上げた。


「厨房に言っても、『予算がないので砂糖が買えません』とか『小麦粉の在庫がありません』とか言って、乾パンしか出してくれないんですのよ? ひどくないですか?」


「……ああ、そうだな」


ギルバートは生返事をした。

予算がないのは、お前がドレスを買ったからだ――という言葉を飲み込む。


以前のエリスなら、どうしていただろう。

彼女なら、「あら、砂糖がないなら果物を煮詰めて甘味を出しましょうか」とか、「小麦粉の代わりに芋を使いましょう」とか、知恵を絞ってなんとかしていたはずだ。


(……なぜ、俺はあいつを追い出したんだったか?)


地味だから。可愛げがないから。

そう思っていた。

だが、今のこの空腹感と、満たされない焦燥感は何だ。


ノックの音が響く。

入ってきたのは、側近の男だった。


「殿下、ご報告があります」

「なんだ」

「例の……城内で噂になっている『謎の美食』の出処(しゅっしょ)が判明いたしました」


ギルバートは弾かれたように顔を上げた。


「どこだ!?」

「はっ。……北側の、厨房裏口にある休憩所とのことです。なんでも、夜な夜な絶品の料理が振る舞われているとか」


厨房の裏口。

そこは、エリスが配属された場所だ。


「……まさか」


ギルバートの背筋に、冷たいものが走った。

まさか、あいつが?

いや、ありえない。あいつはただの地味な女だ。料理など作れるはずがない。


だが、あの文官たちの幸せそうな顔。騎士たちの異常な士気の高さ。

そして、今も微かに鼻をくすぐる、甘いバニラの香り。


「……行くぞ」


ギルバートは立ち上がった。


「えっ、どこへですの、ギル様?」

「確かめるんだ。その『美食』の正体を」


王太子が動き出す。

それは、私とレオンハルト様の穏やかな時間を壊す、嵐の予兆だった。


だが、今の私には最強の騎士団長がついている。

そして何より、厨房の味方たち(ヴォルグや料理人たち)も結束していた。


「エリス嬢を守れ!」


厨房全体が、一つの要塞のように私を守ろうとしてくれていることを、王太子はまだ知らない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。