7-3:闇夜の殺気
7-3:闇夜の殺気
その夜、軍営は昼間の喧噪が嘘のように静まり返っていた。
私は、呂布軍で与えられた自分専用の天幕で、陳宮と向かい合い、燭台の炎を挟んで話し合いをしていた。外では虫の声が絶え間なく続き、時折、遠くで兵士が槍を立て直す微かな金属音が響く。それは、安堵と緊張が混じり合った、夜営特有の静けさだった。
議題は兵站改革。
私は地図と木札を使いながら、現代で学んだロジスティクスの概念を、この時代の言葉に変換して説明していた。
「兵糧の管理は、ただ蓄えるだけでは不十分です。各部隊に迅速かつ正確に配給するルートを確立しなければ、いざという時に兵は餓えます。そのためには、まず正確な兵員数、一日の消費量、それらを基にした計画的な補給――これが重要です」
陳宮はうなずき、記録用の竹簡に筆を走らせていた。
炎がゆらめくたびに、彼の顔に深い影が生まれ、知将としての厳格な輪郭が際立った。
――その瞬間だった。
背筋を這い上がるような、冷たい悪寒が私を貫いた。
皮膚の表面だけでなく、心臓の奥底まで凍りつくような感覚。空気の密度が一瞬で変わり、呼吸がひどく重たく感じられる。これは――殺気。
これまで宮中で感じた不穏な空気とも、戦場で嗅いだ血の匂いとも違う。
それは、研ぎ澄まされた刃のように鋭く、感情や迷いの一切を削ぎ落とした純粋な「殺すための意思」だった。しかも、それは一つではない。四方から迫る複数の気配。それぞれが精鋭の武人であり、中心にひときわ強烈な、獣の咆哮にも似た殺意がある。
私は無意識に唇を引き結び、低く呟いた。
「……陳宮殿」
「なんでしょう?」
その穏やかな声色は、次の瞬間、驚愕に変わった。
「刺客です」
陳宮は眉をひそめ、即座に腰の剣に手をかける。
「どこから来る!?」
「西の柵を越えてきたはず。数は五、六。だが――その中に一人、異様なまでに強い武人がいる。呂布将軍の武勇とは別の系統……荒々しく、血に飢えている」
私は脳裏に浮かんだ名を押し殺すように吐き出した。
「……華雄」
空気がさらに重くなる。
董卓の命を受けた暗殺者――いや、これは単なる刺客ではない。軍営を混乱させるための計略の一環だ。ここで騒ぎを起こせば、兵士たちの士気は一瞬で乱れ、敵の思う壺になる。
「陳宮殿、貴方はここに。決して騒ぎを起こさず、張遼殿にのみ伝えてください。ただし、兵は動かすな」
「しかし、貂蝉様お一人では――」
「私一人では行きません。最強の剣を伴います」
私は立ち上がり、外套を羽織った。燭台の炎が風で揺らぎ、天幕の中の影が踊る。その影は、これから始まる血の舞を予感させるようだった。
呂布の天幕に入ると、彼は驚いた顔をし、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。
「貂蝉か! どうした、こんな夜更けに」
私は一歩近づき、声を低めた。
「将軍、一大事です。董卓様からの贈り物が、間もなく届きます」
「贈り物?」
「ええ――貴方の命を狙う、鋭利な刃という名の贈り物が」
呂布の表情が一変し、眉間に深い皺が刻まれる。
私はその瞳を真っ直ぐに見つめ、言葉を続けた。
「ですが、これは好機です。貴方の武威と我らの義を、天下に示せる機会。……ただし、約束してください。決して殺してはなりません」
呂布は短く息を吐き、しばし沈黙した後、こくりと頷いた。その瞳の奥に燃える闘志と、わずかな困惑。彼はまだ、この計画のすべてを理解してはいない。だが、それでも私の確信を信じてくれた。
――華雄。
闇に紛れて迫るその足音が、もう耳に届いている。
あなたの命は無駄にはしない。董卓を討つための、最も重要な駒として――生かして捕らえる。
私は心の中で、冷たく、それでいて確かな誓いを立てた。




