6-3:裏切りの発覚
6-3:裏切りの発覚
陳宮は、軍内の目と耳を通じて、李粛の不可解な動きを誰よりも早く掴んでいた。
彼は私が衛生改革や訓練の改善を推し進める陰で、もうひとつの戦いを続けていた。それは、呂布軍という巨大な組織の内部に潜む、見えぬ亀裂や火種を探し出すための、地道で執念深い情報収集だった。まるで、病の芽が広がる前に摘み取る医師のように――。
「貂蝉様、近頃、一部の古参兵の間で、不穏な動きが見受けられます。中心にいるのは……おそらく李粛にございます。」
陳宮は淡々と告げたが、その声の奥底には、固く押し殺した怒りの響きがあった。
私は瞬きもせず、彼の瞳を見つめ返す。
「やはり……私も、薄々感じておりました。あの人たちは、私のやり方を、快く思ってはいないのでしょうね。」
そう言いながらも、胸の奥にひやりとしたものが広がるのを感じた。反発は想定していた。しかし、それが「裏切り」という言葉に繋がるとなれば話は別だ。
「それだけではございません。」
陳宮は静かに首を振る。その仕草が妙に重く、空気が少しずつ沈んでいく。
「李粛の金の使い方が、近頃、妙に荒くなっております。まるで……裏で大金を手にした者のように。」
一拍の沈黙。外では風が天幕を打ち、ぱたぱたと布がはためいた。まるで、何者かが耳をそばだてているかのような不気味さだった。
陳宮は迷いなく続けた。
彼は密かに信頼できる兵を選び出し、李粛の一挙手一投足を昼夜を問わず監視させていた。その報告が、今日ついに「決定的瞬間」を告げてきたのだ。
――その夜、月は雲に隠れ、森は墨を流したような闇に沈んでいた。
李粛は、まるで獣のように辺りを窺いながら軍営を抜け出す。足音を殺し、湿った土を踏みしめ、林の奥へと消えていった。
そこには、黒い外套をまとった商人風の男が待っていた。顔は影に隠れ、ただ低く湿った声だけが闇に溶ける。
「……これが、次の演習での軍の配置図だ。相国様によろしくお伝え願いたい。」
李粛は、油断なく木簡を手渡す。その指はかすかに震えていたが、それは恐れではなく、取引の高揚感によるものだった。
「確かに。こちらが、約束の品だ。」
密偵は、ずしりと重い袋を懐から取り出す。中には金子がぎっしりと詰まっており、わずかな光に反射して妖しく輝いた。
李粛は、その袋を素早く懐に押し込み、にやりと口角を上げた。金属の冷たさが胸元に触れるたび、彼の心には裏切りの快感が染み込んでいく。
――その一部始終を、陳宮の配下は、林の影から息を殺して見ていた。指先は冷えきり、背中には冷たい汗が伝っていた。それでも瞳は、瞬きもせず二人の動きを捉え続けた。
報告を受けた陳宮は、深く息を吐き、天を仰いだ。
裏切りは、もはや疑う余地のない事実となった。だが、この事実を、どう扱うべきか。
呂布――あの短気で、激情に駆られやすい主君が知れば、激怒は避けられない。李粛だけでなく、彼に同調していた兵士たちまでも、その場で斬り捨てかねない。そうなれば、軍は血で染まり、結束は一夜にして崩壊するだろう。それは、敵に笑われる最悪の結末だ。
陳宮は、何度も何度も考えた。
そして、やがて一つの決断を下す。
――この事をまず告げるべき相手は、主君ではない。
あの人だ。
今や呂布軍の空気を変え、兵士たちの心を掴んでいる、あの女性。
彼女ならば、この火種を最小限で消し止められるかもしれない。
その夜、陳宮は私の天幕を訪れた。
灯りに照らされた彼の顔には、これまで見せたことのない深刻な影が落ちていた。
「貂蝉様……夜分に、申し訳ございません。」
低く抑えられた声。その響きに、私はただならぬものを感じた。
「陳宮殿。どうかなさいましたか? そのご様子……ただ事ではないようですが。」
私は彼を中に招き入れる。
外套を脱いだ彼は、まっすぐ私の目を見つめ、そして――深く頭を下げた。
「一大事にございます。我が軍に……裏切り者が出ました。」
その言葉は、静かでありながら、私の胸を鋭く貫いた。天幕の中の空気が、一瞬にして凍りつく。外から吹き込む夜風さえ、何か不吉な知らせを運んでくるように感じられた。




