4-7:陳宮の疑念と張遼の目
4-7:陳宮の疑念と張遼の目
呂布が私の言いなりになって都の富商から金を巻き上げている――その異常な事態は、当然、彼の側近たちの間にも大きな波紋を広げていた。
特に、呂布の軍師であり幕僚筆頭でもある陳宮は、この状況を苦々しく思っていた。
彼はもとは流浪の身であったが、数か月前、洛陽近郊での戦をきっかけに呂布に迎え入れられた男だ。
以来、軍略や政務においては右に出る者のない参謀として、呂布の陣営に不可欠な存在となっていた。
しかし、その冷静で現実主義的な視線は、私に対しては常に厳しかった。
「主君が、女の涙に絆され、まるで私兵のように使われている。しかも、やっていることは富商からの略奪。これではいずれ都中の人間を敵に回すことになる。あの女は、主君を誑かすただの妖婦に違いない」
陳宮はそう断じ、何度も呂布に諫言した。
「主君、お考え直しください。貂蝉様の行いは一見、慈悲深く見えますが、その実、我らの評判を貶める危険な罠やもしれません」
しかし、恋に溺れた呂布は全く耳を貸そうとしない。
「陳宮、お前は俺の知恵袋だが、この件ばかりは譲れぬ。貂蝉のやることに間違いはない。彼女は俺とは違う、民を思う心を持っているのだ。俺は彼女の剣となり、その志を助ける。それの何が悪い」
その言葉に取り付く島はなかった。
陳宮の私に対する不信感は、日増しに募っていった。
彼は、私の行動のすべてを、自分の名声と私腹を肥やすための計算され尽くした偽善だと疑っていたのだ。
その疑いは、ある意味では正しかった。彼は私の本質をかなり正確に見抜いている。だからこそ、彼は私にとって危険な存在だった。
一方、呂布の部将・張遼は、少し違う目をしていた。
彼は陳宮のように策略を巡らす男ではない。
だが、真っ直ぐな義を胸に抱き、虚飾を嫌う。
戦場では冷静に敵の刃を受け止めるように、人の心の奥に潜む真実も見抜く眼差しを持っていた。
張遼は、富商から集められた金がどこへ向かっているのかを黙って見守っていた。
やがて、その行き先が明らかになる。
都の外れ、誰も寄りつかぬ打ち捨てられた古寺――そこが改修され、「慈愛院」という名の孤児院となっていく。
ある日の午後、張遼はふと、その建設現場を訪れた。
風に乗って、木槌の響きと子供たちの笑い声が混じり合って届く。
荒れ果てていた寺は、徐々に瓦が葺き替えられ、柱には新しい漆喰が塗られ、命を吹き返していた。
現場では、孤児たちが瓦礫を小さな手で運び、大人たちの作業を手伝っていた。
かつて空っぽだった彼らの瞳には、もう諦めの色はない。
笑い、駆け回り、泥まみれの顔を輝かせる――まるで、長い冬を越えた芽が春を迎えたかのように。
そして、その中心に、私がいた。
高価な衣を脱ぎ、質素な麻の上着を纏い、袖を捲って子供たちの中に混じる。
瓦礫を抱え、土埃にまみれ、額に汗をにじませながら、私は彼らと笑い合っていた。
一人の少年が、はにかみながら木片を差し出す。
「……この字、なんて読むの?」
私はその手を取り、地面に枝で文字を書き、ゆっくりと教えた。
少年の指が震えないよう、自分の指で包み込みながら。
――その光景は、陳宮の言う「妖婦」像とはかけ離れていた。
張遼は、しばらく柱の影に立ったまま、無言でその場を見つめていた。
彼の瞳に、疑念よりもむしろ、戸惑いと敬意が混ざっていく。
やがて彼は、静かに歩み寄った。
「貂蝉様」
呼びかけに気づき、私は振り向く。
「まあ、張遼将軍。お越しとは珍しいですね」
土埃の中で微笑むと、張遼はわずかに頷き、子供たちの姿を見やった。
「……何故、このようなことを?」
その声は低く、真剣だった。
「あなた様ほどの方が、瓦礫運びや子供の相手など……なされるべきことではないように見えます」
私は笑みを崩さず、真っ直ぐに彼の目を見返した。
「将が守るべきは、城や領土だけではございません。その土地に生きる民であり……そして国の未来そのもの、この子供たちです」
少し言葉を置き、子供の頭を優しく撫でる。
「この子たちが安心して笑い、学べる国を創ること――それこそが、呂布将軍が、そして貴方方が、本当に成すべきことではないでしょうか」
その瞬間、張遼の胸の奥で何かが揺れた。
彼は武人として、命じられるままに戦い、敵を斬る日々を過ごしてきた。
だが今、目の前の女が突きつけた言葉は、「何のために戦うのか」という問いそのものだった。
その答えを、彼はまだ持っていなかった。
張遼はただ、深く一礼した。
その瞳の奥には、陳宮のものとは違う、別種の火が宿り始めていた。




