4-5:鬼神への『わがまま』
4-5:鬼神への『わがまま』
「呂布の力を、だと?」
王允は、まるで目の前の娘が突然空から星を取ってこいと言ったかのような表情を浮かべた。
その視線には驚きと、半ば呆れたような色が混じっている。
「……あの男は戦のことしか頭にない武辺者だぞ。そのような地道な事業に協力するものか」
吐き捨てるような声。
だが私は一歩も退かなかった。
「いいえ、お父様。呂布将軍は動きます。――私が、動かしてみせます」
言い切った瞬間、私の胸の奥で何かが熱く脈打った。
自分の瞳に宿る光が、鋼のように揺るがないのを自覚する。
呂布という男の心――単純で、しかし真っ直ぐで、誇り高く、そして意外なほど純粋なその核を、私はもう見抜いている。
王允とのやり取りを終えると、私はすぐに人をやって呂布を屋敷へと招いた。
彼が私の名で直接呼び出されるのは初めてだったのだろう。
現れた呂布は、巨躯を揺らしながらも、まるで若武者のような浮き立った足取りだった。
その手には――驚くほど繊細な、美しい蘭の花。
戦場で血と硝煙にまみれるこの男が、わざわざ誰かのために花を選んだのかと思うと、胸の奥がかすかに震えた。
だがその震えを、私は表には出さない。
これから私がやるのは、情に流されることではなく、彼の心をこちらの道へと導くことなのだから。
「こちらへ、どうぞ」
私は彼を庭園のあずまやへ案内した。
夜風が涼しく、庭の池面に月が揺れている。
二人きりになるのは、これが初めてだった。
間近に立つと、呂布の体から立ち上る熱気が、まるで焚き火のように肌を撫でる。
汗と革鎧、そして金属の匂いに混じって、どこか土の温もりを思わせる香りがあった。
その存在感は圧倒的で、目を逸らせば呑まれそうになる。
「貂蝉……。俺を呼んだのは、何か用か?」
その声には、いつもの豪胆さはなかった。
大軍を率い、戦場で鬼神のごとく暴れる男が、今はただ一人の女の言葉を待つ少年のように、ぎこちなく立っている。
彼の視線は、手に持った蘭の花と私の顔を行き来し、どう渡せばいいのか戸惑っているのが見て取れた。
私はゆっくりと呼吸を整え、この瞬間のために何度も鏡の前で練習してきた、儚げな微笑みを浮かべた。
そして、ほんのりと瞳を潤ませる。
「呂布将軍……。貴方様にお願いしたいことが、あるのです」
私の声に、彼の肩がぴくりと動いた。
次の瞬間、彼の表情が強張り、そして狼狽に変わる。
「ど、どうしたのだ! 誰かにお前を泣かせるようなことをされたのか! 言え、どこのどいつだ! 俺が、そいつの首を刎ねてくれる!」
拳を握りしめるその仕草――まるで子供が好きな玩具を壊された時のように、純粋で、真っ直ぐで、少し危うい。
私は、そっと首を振った。
「いいえ……違います。私が泣いているのは……都の子供たちが、あまりに哀れだからです」
そう言って、伍孚の屋敷跡で出会った少女の話を語った。
声を震わせ、時に言葉を詰まらせ、まぶたに涙を浮かべる。
――もちろん、これは計算された演技だ。
だが語るたびに、あの小さな体が震えていた姿が脳裏に浮かび、本当に胸が痛むのもまた事実だった。
「親を失い、飢え、誰にも助けてもらえず、ただ死を待つだけの子供たちが、この都にはたくさんいるのです……。私はあの子たちを、どうしても救いたい。けれど、私には力がありません」
私はそこで、彼の目をまっすぐ見上げた。
濡れた瞳で、まるで最後の拠り所を求めるように。
「だから――お願いです、呂布将軍。
貴方の、その天下無双のお力をお貸しください。
貴方の武は、ただ敵を討つためだけのものではないと、私は信じております。
民を、か弱き者たちを守るためにこそ、天は貴方にその力を授けたのだと。
どうか、その力を、子供たちのために使っていただきたいのです」
私は、そっと彼の手に自分の手を重ねた。
厚く、硬く、戦いの跡を刻んだその手に、私の白く小さな手はすっぽりと包まれてしまう。
その瞬間、彼の体から伝わる熱が、私の指先から心臓まで一気に駆け上がった。
「鬼神の武威があれば、都の富商たちも孤児を救うための寄進を惜しまないでしょう。
……これは、私が貴方にお願いする、初めての『わがまま』です。
聞いては……いただけませんか?」
呂布の瞳が大きく揺れた。
愛する女の涙――その手の温もり――そして「民を守る英雄」という役割。
彼にとってそれは、生涯で一度も与えられたことのない、眩しく、誇らしい称号だった。
やがて、彼は唇を固く結び、私の手をぎゅっと握り返す。
「……分かった」
その声は低く、だが震えるほどの決意を帯びていた。
「お前の涙は、俺が見たくない。お前の願い、この呂布が必ず叶えてみせる!
富商どもが金を惜しむなら、この方天画戟が黙ってはいないとな!」
――ごめんなさい、呂布。
私は心の中で、静かに謝罪した。
けれどこれは、貴方をただの人殺しの道具から、真の英雄へと導くための、最初の一歩でもあるの。
そう、自分に言い聞かせながら、私は微笑んだ。




