4-1:聖女の日常
4-1:聖女の日常
「連環の計」の第一幕は、私が頭の中で何度も繰り返し練り上げた脚本の通り、息を呑むほど美しい軌跡を描いて幕を開けた。
呂布――あの無骨な武将が、今や私との一瞬の邂逅を胸の奥で何度も反芻し、日に日にその想いを募らせていると人づてに聞く。
そして董卓もまた、ただの美女ではない、「呂布の許嫁」という特別な札が貼られた私に、強烈な興味と、病的な独占欲を抱き始めていた。
二人の英雄――いや、二頭の獣の間で、まだ誰も知らぬ火花が散り始めているのを、私は肌の奥で感じ取っていた。
だが、ここで急ぐのは愚策だ。
果実は、まだ青い。焦って手を伸ばせば、渋みが口いっぱいに広がるだけ。
完熟を迎えたその瞬間を見極め、確実に摘み取らねばならない。
私は次の計略の糸を静かに紡ぎながら、日々の表の顔――「聖女」としての務めも怠らなかった。
その名声をより盤石なものとし、民の心に深く根を張らせること。
炊き出しだけでは足りない。あれは所詮、その日限りの飢えを癒す一時しのぎに過ぎない。
もっと永続的に、人々の暮らしと魂を支える何か――それを私は探していた。
その日も、私は炊き出しの場に身を置き、鍋から立ち上る湯気と、土と人いきれの混ざった匂いに包まれていた。
配膳をしながら、腰の曲がった老婆が私の手を握り、涙を滲ませながら言う。
「貂蝉様のおかげで、今日もなんとか食いつなげます……」
私は微笑みを返す。けれど、その笑みの奥には、わずかな翳りがあった。
「ありがとうございます。ですが、これだけでは……本当の救いにはなりませんね」
老婆は不思議そうに首をかしげたが、私はそれ以上は言わなかった。
粥を受け取った子供が、湯気越しに私を見上げる。その頬はこけ、唇は乾いている。
私は柄杓を握ったまま、ふと考えてしまう――結局、私がしていることは、前世とそう変わらないのではないかと。
前世で私は、経営不振に陥った地方企業の再生プロジェクトを数多く担当していた。
帳簿を広げ、数字を睨み、無駄なコストを削ぎ落とす。
衰退した会社に新しい事業の柱を立て、失われた社員の心を掴み直し、改革を断行する。
数字と人心を同時に動かす、その冷徹かつ緻密な作業。
今、私がやっていることも、本質はそれと同じだ。
ただ、失敗の代償が株価の下落ではなく、人の命というだけで――そして、その一点がすべてを重くしていた。
(株価は時間をかけて回復できても、死んだ命は戻らない……)
その現実が、時折、胸に鉛のように沈む。
押し潰されそうになる瞬間もある。
だが、泣き崩れている暇など、私にはない。
行動しなければ、何も変わらないのだ。
柄杓を置き、笑顔を作ろうとしたその時――。
「貂蝉様!」
鋭く張り詰めた声が、雑踏を裂いた。
私は反射的に顔を上げる。
駆け寄ってきた兵士は、額に玉の汗を浮かべ、肩で息をしていた。
その表情に、ただならぬものを感じた。
「一大事にございます!」
息を整える暇も惜しむように、兵士は叫ぶ。
「城門校尉の伍孚様が……一族郎党、皆殺しにされたと!」
――瞬間、血の気が引いた。
背筋を、氷の刃がなぞるような感覚。
頭の中で、その名が持つ意味を理解するよりも先に、直感が告げていた。
これは、董卓だ。
董卓が放った、見せしめの一撃だ。
あまりに無惨で、あまりに冷酷な――権力者の、圧倒的な暴力の誇示。
伍孚が何をしたのか、理由はどうでもいいのだろう。
大切なのは「逆らえばこうなる」という事実を、人々の心に焼き付けること。
そのためだけに、一族の命を踏みにじる。
私は唇を噛みしめた。
熱い鉄の味が、口の中に滲む。
私がこれまで築き上げてきた、小さくも温かな平穏――民の笑顔も、子供たちの未来への希望も、すべて嘲笑うかのような暴挙。
まるで「貴様の努力など、この一振りで無にできる」と言われているようだった。
胸の奥から、怒りと悔しさが湧き上がる。
だが同時に、その炎は別の色を帯び始めていた。
――これが、私が探していた「次なる一手」。
しかも最悪の形で、私の前に差し出されてしまったのだ。
私は深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
この出来事は、利用できる。必ず。
それが、たとえ地獄の淵を渡る計略であっても。




