3-10:地獄の淵での舞
3-10:地獄の淵での舞
董卓を迎え撃つその日、私は、己の肉体と存在すべてを「武器」に変えるため、時間も息も惜しんで支度を整えていた。
どんな刀剣よりも鋭く、どんな毒よりも致命的な武器――それは女の姿に潜む、計算され尽くした美だった。
私が選んだ衣は、燃えるような真紅の絹。
それは宮廷において、皇后や最高位の女官のみが儀式でまとうことを許される、由緒正しき色と意匠。
血潮のように濃く深い赤は、視線を刺す刃のごとく鋭く、同時に、近づけば肌を灼く炎のような熱を帯びている。
その布は肌を過剰に晒すことはないが、歩みのたび、まるで生き物のように揺れ、私の身体の曲線を浮かび上がらせた。
それは「媚び」ではない。「見よ、これが漢王朝の威厳である」と高らかに告げる、誇り高き鎧だった。
髪は高く結い上げ、金と宝石で飾られた鳳凰の簪を差した。
鳳凰は翼を大きく広げ、今にも天へ舞い上がらんとする瞬間を切り取ったような意匠。
その双眸はルビーで象られ、燭台の炎を受けて妖しく瞬いた。
光が揺れるたび、その赤い瞳は生きているかのように私を見返し、「堕とせ」と囁いているようだった。
この装飾は、皇妃でさえ日常では身につけられぬ、まさに権威の象徴。
私は王允の宝物庫から、あえて無理を通して取り寄せた。
それはただ飾るためではない。この日のため、董卓の胸に「手に入れたい」という原始的衝動を突き刺すためだ。
唇には、血そのものを思わせる鮮烈な紅を引いた。
その色は、甘くも危険な誘惑の香りを漂わせつつ、同時に「覚悟」の色でもあった。
――これは生き延びるための戦装束。私は、舞台の上で生きるか、ここで散るかの境目に立っている。
鏡の中には、数日前に涙で頬を濡らし、震えていた少女の姿はもうなかった。
そこに映るのは、獲物を誘い込むため静かに糸を張る毒蜘蛛のような女。
瞳には、誰も逃れられぬ深い闇と艶やかな光が同居し、微笑の端には計算された残酷さが漂っている。
これはもう「人」ではない。男を破滅させるためだけに天が造り上げた、傾国の化身――そう形容しても不足はなかった。
「……これでいい」
私は低く呟き、鏡から視線を外した。
今日の舞は、魂を震わせるためのものではない。呂布に捧げたあの舞とは全く異なる。
董卓の胸奥に巣食う征服欲を、容赦なく、甘美に、しかし確実に刺激するための舞だ。
漢王朝四百年の歴史を背負い、格式と荘厳を纏った舞を、私は彼の目の前で繰り広げる。
その瞬間、彼は思い知るだろう。――力で奪えぬものが世にあると。
屋敷の外から、地の底を這うような重々しい音が近づいてくる。
それは馬車の轍が石畳を砕く音であり、鉄蹄が大地を叩きつける響きだった。
やがて、家中に響き渡る野太い声が「董卓様、ご到着!」と叫び、空気が一瞬で張り詰める。
私は瞼を伏せ、胸の奥でゆっくりと息を吸い込んだ。
――来た。
この瞬間を迎えるため、私は生き延び、準備し、牙を研いできたのだ。
心臓は暴れるように脈打っている。
恐怖もある。だが、それ以上に、獲物を前にした猛禽のような高揚が私を満たしていた。
董卓は、呂布とは違う。あの男は情や浪漫で動くが、この獣は違う。
欲望と猜疑と征服の塊。それを屈服させるには、同じ獣でありながら、その牙を凌駕する毒を持たねばならない。
私は想像する。
豪奢な馬車の中で、すでに酒の香を纏い、奢り高ぶった笑みを浮かべる男。
彼の目に私の姿が映った瞬間、その笑みは驚愕と渇望に変わるだろう。
そして私は、その隙に、彼の心臓へと見えない鎖を巻き付ける。
「――さあ、始めましょうか」
声にならぬ囁きが、唇から零れた。
地獄の淵で舞うのは、私。
そして、その淵へ堕ちていくのは、董卓――あなただ。




