3-9:欲望を相手にする脚本
3-9:欲望を相手にする脚本
書斎の空気は、まるで何日も閉め切られた部屋のように重く淀んでいた。
蝋燭の炎が小さく揺れ、その光が王允の顔に深い陰影を落とす。光と影が交互に走るたびに、彼の瞳に宿る野心が、まるで爬虫類のそれのように冷たく光った。
私は、その光景を目の端に捉えながら、胸の奥で別の炎を燃やしていた。
このまま彼の浅はかな筋書きに乗れば、私はただの使い捨ての駒。舞台から退場する時は、血に染まったカーテンコールしか待っていない。
――そんな結末、私の脚本には存在しない。
心を落ち着けるため、私は頭の中で董卓という男を改めて解剖する。
西涼の荒野に生まれ、血と土と汗の中で成り上がった男。
都の貴族たちが、世襲の特権と磨き上げられた教養を武器に生きる中、彼は剣一本と野心だけでその座を奪い取った。
その中で彼の胸に巣食ったのは、劣等感と、それを覆い隠すための異常なまでの征服欲。
彼は力で人を従わせる。しかし、心までは決して得られない。
だからこそ、彼は「持たざる者」だった。
そして、彼が欲する美しい女とは、ただの愛玩ではない。
それは、己の支配力を示す証、貴族たちを見下ろすための最上の戦利品――そう、「征服の証明」なのだ。
ならば、董卓に見せるべきものは、呂布に見せたような「魂の温もり」ではない。
見せるのは、もっと冷たく、もっと遠く、手を伸ばしても掴めぬ高みから降る月光のような存在感。
「お前の力では届かない」と一度思わせ、同時に「だが、もし手に入れられたら――」と想像させる。
その狭間に、彼の渇望を煮えたぎらせるのだ。
私の中で、脚本が組み上がっていく。
第一幕――舞。
呂布の時のように感情を交わす舞では駄目だ。
董卓には、圧倒的な格式と高貴さで打ちのめす舞を。
漢王朝四百年の歴史が育んだ音と所作、誰もが息を呑むほど荘厳な衣装、その一つ一つに「権威」という棘を仕込む。
ただ美しいのではない、「これは選ばれし者だけが目にできる光景だ」と思わせる舞台を作るのだ。
第二幕――態度。
媚びるなど、論外。
むしろ、初めは彼を無視する。
他の貴族たちがへりくだり、媚び諂う中で、私だけは目を合わせず、まるで対等、いや、それ以上の立場でいるかのように振る舞う。
「この俺を無視する女がいるのか」という苛立ちは、やがて執着へと変わるだろう。
そして第三幕――呂布。
董卓の意識が私に向いたその瞬間、静かに、しかし確固たる声で告げるのだ。
「ですが、私には呂布将軍という方が……」
その名を出すだけで、彼の中の猜疑心は炎のように燃え上がる。
自らの養子であり最強の将である男が、自分より先に「至高の宝」に手を伸ばしている――その屈辱は、彼の欲望を狂気にまで引き上げるはずだ。
私は、自分の脳裏に広がるその舞台を鮮明に描きながら、恐怖を抑え込んだ。
もはや心臓は乱れることなく、冷たい計算だけが私を支配している。
「お父様」
私はゆっくりと顔を上げ、王允の目を真っ直ぐに見据えた。
「お父様のおっしゃる通りに致します。ただ……一つだけ、お許しいただけますか」
王允は眉をひそめる。「なんだ」
「董卓様の前で舞う衣と楽曲、こればかりは、この私に選ばせていただきたく存じます。最高の舞台を整えるには、最高の準備が必要でございますので」
声は柔らかく、しかし否応なく承諾を引き出す響きを込めた。
王允はしばし私の顔を見つめ、やがて小さく頷く。
「……好きにせよ」
――その瞬間、私は密かに勝利を確信した。
彼は、私の申し出を女の見栄だと軽く受け取ったのだろう。だが、この小さな「自由」は、私が舞台を完全に支配するための鍵になる。
蝋燭の炎が、再び小さく揺れた。
その光が照らした私の横顔には、もう恐怖の影はなかった。
あるのは、綱渡りの舞台を踏みしめる舞姫の、静かな自信だけだった。
――董卓。
あなたは、私の脚本の中でしか生きられない。
そして、その幕引きは、私が決める。




