3-8:次なる罠
3-8:次なる罠
呂布からの贈り物が、とうとう私の部屋の一角を埋め尽くすまでになった頃だった。
絹に包まれた華やかな箱、細工の施された漆の器、宝石のような光沢を放つ装飾品──まるで宝物殿の一角を切り取ってきたかのような光景が、私の居室を満たしていた。
一歩足を踏み入れるたび、真珠や金具の光が視界の端でちらりと瞬き、そのたびに呂布の顔が脳裏に浮かぶ。あの真っ直ぐすぎる瞳。必死に何かを伝えようとする、不器用な眼差し。
そして、贈り物が増えるたびに、私の胸の奥には妙な重さが積み上がっていくのを感じていた。
そんなある夕暮れ、私は再び王允の書斎へと呼び出された。
障子をくぐると、そこには薄暗い灯火に照らされた王允が、いつもよりも深く椅子に腰掛け、口元に微かな笑みを浮かべて私を待っていた。
その笑みには、計略が順調に進んでいることへの満足感がにじんでいる。
「呂布は──完全にお前に夢中だ」
王允は、まるで戦の勝利を告げる将軍のように、誇らしげに言葉を放った。
「面白いように、我らの掌の上で踊っておるわ。計画通りだな」
私は、無言で静かに頷く。
彼の言葉の端々が、胸の奥に細い針のような痛みをもたらしたが、それを顔に出すことは決してしなかった。
この男の前では、あくまで彼の計画に心酔し、全力で協力する忠実な娘でいなければならない。
表情一つ誤れば、王允の信頼はすぐに揺らぎ、その瞬間から私は彼の駒としての価値を失うだろう。
「……さて、次は董卓を釣る番だ」
その一言が、私の心臓を冷たく掴み上げた。
まるで背中から冷水を浴びせられたように、全身の血が一瞬で引いていく。
「明後日、相国府にて宴が催される。董卓が漢室の重臣たちを招いて開く宴だ。その席に、お前も呼ばれている。──董卓が、お前の舞が見たいとな」
相国府──。
それは董卓が住まいとし、同時にこの国の政治を意のままに操る権力の巣窟だ。
そこは、王允の屋敷とは違う。法も礼節も、あの男の気まぐれひとつでいとも簡単にねじ曲がる。
虎の巣に足を踏み入れるようなものだ。しかも、そこに護衛もなく、私は一人で乗り込まなければならない。
胸が、ぎゅっと締めつけられた。
呂布よりも遥かに狡猾で、残忍な男──董卓。
彼を相手にしなければならないのだ。
恐怖が、せっかく固めたはずの覚悟を、じわじわと溶かしていく。
呂布には、まだ子供のような純粋さがあった。感情は直線的で、読みやすく、時にその単純さが救いにすらなった。
だが董卓は違う。あの男は、欲望と猜疑心で全身を塗り固めた老獪な獣だ。その濁った瞳は、人の心の奥に隠した弱さや嘘を、容易く嗅ぎ当てるだろう。
王允は、そんな私の内心を見透かすこともなく、淡々と、冷酷に言葉を重ねた。
「心配するな。董卓には、ただお前の美しさを見せつけ、媚びを売ればよい。あの好色な豚のことだ、すぐに食いつくわ。お前の仕事は、奴の欲望を掻き立て、呂布への嫉妬の炎を燃え上がらせることだ。呂布の許嫁であるお前を、董卓が欲しがる──これ以上の筋書きはないだろう」
私は、心の奥で静かに舌打ちした。
違う──それでは駄目だ。
ただの玩具として飽きられれば、すぐに捨てられるだけだ。そんな結末では、計画どころか私の命すら守れない。
呂布が私に堕ちたのは、舞の美しさだけではない。
彼はそこに「魂の繋がり」を感じたのだ。彼の孤独と郷愁を突き、心の深い部分に触れたからこそ、あの男は全てを投げ出してまで私を求めた。
だが──董卓は違う。
彼は権力と欲望の権化であり、他人の心など信じてはいない。
魂の繋がりなど持ち出せば、せせら笑われ、その弱さを利用され、丸ごと飲み込まれるだけだろう。
彼を相手にするなら、もっと別の脚本が必要だ。
繊細で、緻密で、そして何より危険な、綱渡りのような脚本が。
王允の計画はあまりにも粗雑だ。
彼の駒として死ぬつもりは、私にはない。
私は──私自身の脚本で、この舞台を生き延びる。
書斎を辞した私は、庭に出て夜風を吸い込んだ。
冷たい風が、頬をかすめ、袖口から忍び込んでくる。
見上げれば、月がまるで何かを見透かすように、冷たく白く輝いていた。
その光は、私に一つの事実を突きつけてくる──この先の舞台は、私の命を賭ける戦場になる。
そしてその戦場では、一瞬の油断すら命取りだ。
呂布は狼だったが、董卓は虎だ。
狼を手懐けることはできても、虎の首を撫でようとすれば、返り血を浴びることになる。
それでも私は行く。
なぜなら、そこで負ければ、私も、私の守ろうとした全ても、無惨に食い尽くされるのだから──。




