2-6:噂は翼を持つ
2-6:噂は翼を持つ
計画を実行してから、ほんの数日。
洛陽の空気は、確かに変わり始めていた。
街路に漂っていた腐臭は、ゆっくりとだが薄れ、道端に横たわっていた病人の姿も目に見えて減っていく。
まるで、長く閉ざされていた都が、ようやく一筋の光を受けて息を吹き返し始めたかのようだった。
炊き出しの場には、毎日、うねるような人の列ができていた。
列の端から端まで見渡せば、老人、母親、子ども、そして行き倒れ寸前の若者が、器を抱きしめるようにして立っている。
兵士たちは、慣れぬ手つきで木杓子を操り、湯気の立つ白粥を器へと注いでいく。
最初は「こんな仕事は戦場の務めじゃない」と不平を漏らしていた彼らも、民から直接「兵隊様、ありがとうございます」と頭を下げられるうちに、次第にその表情が変わっていった。
胸を張り、声に張りが戻り、無骨な顔にも、わずかながら誇りと喜びの色が差し始めていた。
粥を受け取った人々は、それを宝物のように抱きしめ、すすり泣きながら口に運ぶ。
「ありがたや……ありがたや……」
「これで今日も、子どもに何か食べさせてやれる」
「これもすべて、王司徒様のおかげだ……」
最初のうちは、その感謝の矛先は確かに王允に向けられていた。
私は、毎日その場に足を運んだ。
絹も金飾りも纏わず、質素だが清潔な衣に身を包み、背筋を伸ばして民の前に立つ。
老女の皺だらけの手を握り、「お身体、大事になさってくださいね」と優しく声をかける。
痩せた子どもの頭を撫で、「たくさん食べて、大きくなるのですよ」と微笑む。
その瞬間、子どもの瞳に浮かぶ光は、ほんの小さな火種のようだが、確かに希望の色を帯びていた。
ある日のことだった。
列に並んでいた幼い男の子が、受け取ったばかりの粥を抱えて私の前を通った時、足をもつれさせ、前のめりに倒れた。
土の器は地面に落ちて砕け、温かい粥は泥にまみれて広がっていく。
子どもはそれを見た瞬間、顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくった。
周囲の大人たちは舌打ちをしたり、「どきなさい、邪魔だ」と冷たく言い放つだけで、誰一人手を差し伸べようとはしなかった。
彼らも必死だった。飢えと寒さの中、自分の分を守るだけで精一杯なのだ。
私は迷わず駆け寄った。
膝をつき、泥で汚れることも気にせず、子どもの涙を指で拭った。
「大丈夫よ、痛くなかった? ほら、お粥はもう一度もらいましょう」
子どもはしゃくり上げながら私を見上げ、小さく頷いた。
私はその小さな手を引き、列の先頭へ連れていく。
兵士は最初、面倒くさそうに眉をひそめたが、私だと気づくと慌てて姿勢を正し、熱々の粥を器によそってくれた。
「ありがとうございます、兵隊さん」
私がにっこりと微笑むと、屈強なその兵士は顔を真っ赤にして俯き、何も言わずに背筋を伸ばし続けた。
そのやり取りを見ていた民の中から、ざわめきが起こった。
息を呑む音、感嘆の囁き、そしてどこか信じられないというような視線。
――そう、それは計算された一幕だった。
だが、真実と演出の境界は、時に見る者にとってどうでもいいものになる。
飢えと絶望に沈んでいた人々にとって、あの瞬間の私は、まさに天女のように映っただろう。
高貴な娘が、何のためらいもなく自分たちの目線に降り、泥に手を伸ばす――。
その姿は、心に焼き付いて離れなくなる。
そして、噂は静かに形を変え始めた。
「なあ、聞いたか? あの炊き出しは、王司徒様のご息女、貂蝉様の発案だそうだ」
「なんと……あのお美しいお嬢様が……」
「ああ。しかも、ご自分の髪飾りを売って食料を工面なさったとか……」
口から口へ、井戸端から市場へ、昼の酒場から夜の焚き火へ――噂は羽を得て飛び回る。
そしていつしか、話はさらに脚色されていく。
「いや、違う。俺が聞いたのは、貂蝉様が夢で天啓を受け、疫病を鎮める方法を授かったという話だ」
「やはり……あのお方は天から遣わされた仙女様に違いない……」
焦点は、いつしか「王司徒の慈悲」から「貂蝉の聖性」へと移っていた。
それは私が望んだ方向でありながら、同時に計算外の速さでもあった。
本来は、父の名声を高めるための舞台だった。
それが今や、主演は私にすり替わろうとしている。
王允がこの変化をどう受け止めるのか――。
胸の奥に、薄く冷たい影が差し込む。
私は、もしかすると、虎の尾を踏んでいるのかもしれない。




