12-8:民衆の蜂起
12-8:民衆の蜂起
噂が洛陽の街を覆い始めてから、わずか三日後――
それは、突如として始まった。
だが、それは、誰もが想像していたような、血の匂いを孕んだ暴動ではなかった。
民衆は剣も槍も持たず、ただ一つの想いを胸に抱きながら、静かに歩き出したのだ。
最初に集まったのは、かつて私が炊き出しを行った広場だった。まだ冬の名残が漂う冷たい風の中、粗末な衣をまとった男や女、子供たちが、ひっそりと腰を下ろし、両手を組んで天を仰いだ。
口元は動くが、叫び声はない。ただ、祈り――それだけがそこにあった。
その数、初日は数百。だが、人の心の炎は、木枯らしよりも速く広がる。
翌日には数千人、さらに翌日には数万の人波となって、洛陽の中心部を呑み込んだ。
高台から見下ろせば、広場から通りに至るまでが黒々とした群衆に覆われ、まるで大河が都を包み込むようだった。人々は皆、互いに肩を寄せ合い、寒さをしのぎながら、同じ方向を見つめる――それは、私の名を呼び求める瞳だった。
やがて、群衆の奥深くから、最初の声が上がった。
それは囁きにも似た、小さな声――
「……聖女様を、我らのもとへ」
その声は隣の者へ、さらにその隣へと渡り、やがて幾百、幾千もの口が同じ言葉を唱え始める。
「聖女様を、我らの元へ!」
「我らは、貂蝉様を信じる!」
その響きは、初めは波紋のように静かだった。
しかし次第に、波はうねりとなり、怒涛となって都中を揺らした。窓辺から顔を出した者は耳を澄まし、往来を行く商人は足を止め、その声がどこから生まれたのかを確かめようと群衆へ歩み寄る。
慈愛院の前では、かつて董卓軍の将であった華雄が、堂々と人々の前に立っていた。右腕は戦で砕かれ、包帯で吊られている。それでも、その巨躯は揺らぐことなく、彼の背中は、まるで都の城門のごとく厚く広く見えた。
彼の手には、粗末な布切れに炭で書かれた旗が握られていた。
《我らの聖女に、自由を!》
震える文字は不格好で、布は風にあおられてほつれていたが、その旗こそ、民衆の意志そのものだった。
かつて敗軍の将として人々に忘れ去られかけた男が、今や群衆の先頭で、未来を護る盾のように立っている――その姿に、老いた者も若き者も、胸を熱くした。
だが、この光景を高殿から目にした王允は、憤怒に顔を歪めた。
「愚民どもが……!」
彼は怒鳴り、震える声で衛兵たちに命を下した。
「あの者たちを追い払え! 逆らう者は、斬り捨てても構わん!」
だが――衛兵たちは動かなかった。
王允は信じられないというように目を見開いた。
だが、その理由は単純だった。
衛兵もまた、この都に生きる民の一人。
彼らの母は、貧しさの中で炊き出しに救われた。彼らの妻は、慈愛院で病を癒された。彼らの子は、私の差し伸べた手で飢えをしのいだ。
どうして――そんな自分たちの家族や隣人、友を、刃で脅かせようか。
衛兵たちの視線は固く、誰一人として槍を構えることはなかった。
王允の声は、空虚に広場の上を飛び、どこにも届かない。
その沈黙の中で、彼の権力は音もなく崩れ始めていた。
朝廷の重臣たちも、密かに互いの顔を見交わす。
もとより王允の独裁を快く思わぬ者は多かった。
そして今、民衆の圧倒的な支持が私――貂蝉にあると知れば、誰が好き好んで沈みゆく船に乗り続けようか。
王允の背後から、人が一人、また一人と離れていく。
彼の周囲に残るのは、もはや空気のように薄い忠誠だけ。
この日、洛陽に吹く風は冷たかった。
だが、民衆の胸に燃える炎は、その冷気をも溶かし、都の空気を変えていった。
王允が信じて疑わなかった「公権力」という盾は、民衆の「意志」という鋼の刃の前に、もはや紙のように脆く崩れ去ろうとしていた――。




