12-6:再会と新たな策
12-6:再会と新たな策
私が、天幕の中へと、足を踏み入れた瞬間、それまで嵐のように荒れ狂っていた空気が、まるで氷のようにぴたりと止まった。
そこにいたのは、怒りと焦燥に燃えた一人の男――呂布。方天画戟に伸ばされた彼の右手は、私の姿を認めた瞬間、空中で固まっていた。
「……貂蝉……?」
低く押し殺した声が、震えているように聞こえた。
その目は、驚愕と安堵と、信じられないという思いが入り混じった、複雑な光を帯びていた。
「なぜ……お前がここに……王允の奴に、閉じ込められていたはずでは……」
「抜け出してまいりました」
私は、静かに、そして一歩一歩、彼へ近づきながら答えた。
「貴方が、一人で、苦しんでいるのではないかと……思いまして」
――その一言だった。
長く張り詰めていた弦が、ふっと切れる音が、私にははっきりと聞こえた気がした。
彼の瞳に宿っていた危険な、あの獣の光が、ゆっくりと、朝霧が消えていくように薄れていった。代わりに、胸の奥底からこみ上げる安堵、そして、己の激情を恥じる色が浮かび上がってくる。
カラン――。
重く鋭い金属音が、床に響いた。
呂布の手から、方天画戟が滑り落ちた音だった。
「……すまん」
その声は、戦場で雷鳴のごとく轟く豪勇の将のものではなく、迷い、傷つき、戸惑う一人の男の声だった。
「俺は……また……お前の前で、見苦しい姿を……」
「いいえ」
私は首を横に振り、彼のそばに歩み寄る。彼の背は大きく、そして今は、その広い背中がひどく心細そうに見えた。私はそっと手を置き、優しく撫でる。
「貴方の、お気持ちは、よく分かります。悔しかったでしょう。腹立たしかったでしょう」
その瞬間、呂布の肩がわずかに震えた。張遼も、天幕の隅で、何も言わずただその様子を見守っている。
「ですが――」私はゆっくりと言葉を紡ぐ。「力で対抗しては、相手の思う壺です」
呂布がはっと私を見た。
「王允お父様は、貴方が暴発するのを待っています。そして、『呂布はやはりただの獣であった』と国賊の烙印を押し、大義名分を掲げて我らを討つでしょう」
沈黙。
焚き火の音だけが、パチパチと小さく響く。
その音が、彼の胸の奥に渦巻く怒りの火花のようにも感じられた。
やがて、張遼が口を開いた。
「……確かに、司徒殿(王允)の狙いはそこにありましょう。将軍が一度でも剣を抜けば、全ての罪は我らにかぶさる」
「では、どうすればいいのだ」呂布の声は低く、しかし内にはまだ火がくすぶっている。「このまま黙って、兵を取り上げられろと?」
「もちろん、そんなことはさせません」
私の言葉は、焚き火の炎よりも強く、まっすぐだった。
「私に、お考えがあります」
その瞬間、呂布も張遼も、わずかに身を乗り出した。
私は二人を椅子に座らせ、天幕の中央に立った。
あの鳥籠のような部屋から脱出した昨夜以来、私の頭の中で練り上げ続けていた一手――その構図は、もう寸分の迷いもなく完成している。
「王允お父様を、完全に失脚させるための、最後の策です」
そう口にすると、二人の視線が、鋭く私を射抜く。
彼らの呼吸は浅く、しかしその目には、希望の火が灯っていた。
私は静かに言葉を続けた。
「王允が、最も頼りにし、そして最も軽んじている力――それこそが、彼を破滅させる、最強の武器になります」
焚き火の炎が揺らぎ、三人の影が、天幕の壁に伸びて揺れる。
その揺らぎの中で、私たちの運命が大きく動こうとしていた。
呂布の拳が、無意識に固く握られている。張遼の眉間には深い皺が刻まれている。
私は二人の瞳を順に見つめ、はっきりと告げた。
「この策は、一度きり。失敗すれば、全員が命を落とします。それでも――」
呂布が、私の言葉を遮った。
「やる」
その声音には、もう先ほどまでの衝動的な荒々しさはなく、鋼のような決意があった。
「お前が考えた策なら、俺は命を賭ける」
私は小さく微笑んだ。
そして心の中で、そっとつぶやく。
(これで、ようやく……獣ではなく、真の英雄へ――)
焚き火の炎が、また一度大きく揺らいだ。




