12-5:呂布の葛藤
12-5:呂布の葛藤
軍議が終わった瞬間から、呂布の足取りは嵐だった。
重い軍靴が廊下を叩くたび、床板がたわむように響き、側近たちはただ道を開けることしかできなかった。
誰もがその背中に宿る怒気を感じ、視線を合わせることさえ恐れた。
天幕に入るや否や、呂布は息を荒くし、肩で呼吸しながら視界を彷徨わせた。
次の瞬間、彼の手が掴んだのは、金と瑠璃で見事に装飾された大壺――遠く西域から献上された、宝と呼べる逸品。
それが壁に叩きつけられるまで、一拍の間もなかった。
ガシャン――!
耳をつんざく破砕音が空気を切り裂き、破片が銀色の光を放ちながら宙を舞った。
かすかに漂う香油の香りさえ、怒りに焼かれる炎の匂いにかき消される。
呂布の胸が大きく上下し、荒い息が獣の唸りのように漏れた。
「あの、老いぼれどもめが……!」
低く、地を這うような声が漏れ、それが次第に怒号へと膨れ上がる。
「俺の力を恐れて、牙を抜こうというのか! 俺から兵を取り上げ、手足をもぎ取るつもりか! ふざけるな!」
外から駆けつけた張遼が幕を押し開け、呂布の前に飛び込んできた。
その顔には焦りが浮かび、声は必死に抑えているが震えていた。
「将軍、お気持ちは察します! ですが、どうかお鎮まりください!」
「鎮まってなどいられるか!」
呂布は、怒りの奔流に呑まれたまま張遼を一瞥する。
その目は剣のように鋭く、向けられた者の心臓を凍らせる。
「こうなれば、力ずくだ!」
彼の口から飛び出す言葉は火花のように熱く、危うい。
「老いぼれどもを一人残らず血祭りにあげ、この国を俺が支配してくれる!」
その手が、壁に立てかけてあった方天画戟に伸びる。
重く、鋭く、彼の魂そのもののような武器――その柄を握るだけで、戦場の血と鉄の匂いが蘇る。
私は、その瞳に見覚えがあった。
あれは、華雄が月を人質に取った、あの日の光。
理性を焼き尽くし、ただ破壊の本能に身を委ねる「獣」の光。
英雄として歩み始めたはずの男が、初めて経験する政治の駆け引きに行く手を阻まれ、己の最も得意で原始的な解決手段――暴力――に傾きつつある。
その危うさは、炎が枯れ草を舐めるよりも速く広がっていくのがわかる。
「将軍、お早まりなさいますな!」
張遼が飛びつくようにして呂布の腕を掴んだ。
その声は裂けるように鋭く、必死の思いがこもっていた。
「ここで暴れれば、我らこそが董卓と同じ国賊となりますぞ!
それでは貂蝉様のこれまでのご苦労が、すべて水の泡と――!」
「黙れッ!」
怒声と共に、呂布の怪力が張遼の腕を振り払った。
巨漢である張遼が、その一撃にたたらを踏み、数歩よろめく。
「貂蝉は関係ない! これは俺の誇りの問題だ!
俺は、誰にも支配されん!」
その声は雷鳴のように響き、天幕の中の空気を震わせた。
興奮は頂点に達し、もはや誰の言葉も彼の耳には届かない。
――その時、私はすでに天幕の入り口の影から、息を殺して見ていた。
昨夜、私は小蘭たちの手引きと、陳宮が外で起こした陽動――「呂布軍、反乱の動きあり」という偽の情報――によって、あの豪華な鳥籠のような館から辛くも脱出していたのだ。
私には、この事態が訪れることがわかっていた。
だからこそ、ここにいる。
(待っていて、呂布。貴方を独りにはしない)
私は深く息を吸い、胸の奥の鼓動を鎮めた。
(貴方の、その獣を御せるのは、この世で私だけなのだから)
そして、静かに幕を押し分け、一歩、天幕の中へと足を踏み入れた。




